第9話『揺れる心』



あの日以降私は頻繁に中野と会った。


中野と会う日はたいがいドラッグを使用し、朝まで自宅には帰らないといった生活になっていた。


ドラッグを使用した日は杏菜やまどかを呼びだしSEXに明け暮れた。


仕事も休みがちになり、会社からも明らかに疑いの目を向けられていた。


美加との生活も以前と異なり、会話も途絶えSEXもまったくしなくなった。美加はそのことに対して私に何も言わなかったが不満が態度に出ていた。


それでも私は自分の本能のまま生きる事を決めた。


自分の人生だからもちろん主役は自分だ。他人に合わせて自分が後悔するようなことはあってはならない。


自分がやりたい事、好きな事をする。それを邪魔する人間は許さない。


これが私の思想となった。


中野と会う回数が増えるたびに森とも頻繁に会うようになった。


森はドラッグ以外にも色々なモノを提供するいわば闇のブローカーだった。


森のバックには暴力団をはじめ、警察、政治家など数々の強大な力があった。だからこのオヤジはこんな商売をしていても傷1つ負ってないのだ。


それにしても気掛かりな事が1つだけある。中野の金回りだ。


日野は中野のしている風俗のキャッチはおそらく副業だと言っていたが、それが当たりだとしても私はいまだに中野の本業を知らない。


仮にキャッチが副業だとしても中野は常に不自然なほど莫大なキャッシュを持ち歩き、森からドラッグを買う時も金は全て中野が払った。


もはやサラリーマンの資金力ではない。だから私は一度中野に聞くことにした。


「あのー、中野さん1つ聞いてもいいですか?」


「んー?どした?」


中野はこちらを見ず、アイスコーヒーをストローで吸いながらズボボッと音をたてグラスの中の氷で遊んでいる。


「前から思ってたんですけど何でそんな金持ってるんですか?」


中野はストローを咥えたままギロッとこちらを見た。


瞬時に余計な事を聞いてしまった、と思った。


でも中野はすぐに微笑み


「なんだ、今さらかよ」と笑っていた。


「もっと早く聞くだろう普通」と軽く小突かれた。


「出会った時からすげー金回り良い人だとは思ってましたよ。金使いも荒いし(笑)実家が金持ちとかそんなですか?」


真剣な目をした私を嘲笑うかのように中野は


「ちげーよ。仮に実家が金持ちでもこんな40すぎのおっさんに金渡すバカ親はそうはいねーよ」


「たしかに…じゃあなんっ」


私が話している最中に中野はジャケットをめくり、脇の辺りを見せた。


そこには革のホルスターにくるまれた黒い何かが見えた。


よく見るとそれは拳銃だった。


「なっ…!!」


「シーっ」中野は人差し指を口に当て、私に落ち着くよう促した。


「何でそんなもの…」


私は落ち着くよう意識しながら会話に勤めた。


「実はな、俺そっち系なんだわ」


そう言うと中野は人差し指を頬辺りまで持っていき、頬に傷をつける真似をした。


「ヤクザ…ってことですか?」


「ちと違うが、まぁそういう事だな」


「違うってどういう事ですか?」


私は自分で深入りするべきではないと分かっていたが聞かずにはいれなかった。中野との関係はそれほどまでに深まっていたのだ。


しばらく中野は口を閉ざしていたが、私の思いを察してくれたのか、ため息をついて口を開いた。


「神谷くんはヒットマンて分かるかな?」


「ヒットマン?ヒットマンて映画とかによく出てくるー…」



「そう、よく出てくるあの殺し屋だよ。まぁ殺し屋って言っても今のご時世そんなに簡単に人は殺せないから何でも屋って方がしっくりくるかな」


「何でも屋…」


「そうだよ。もっぱら殺しが専門だがな。時にはターゲットの素性の調査と探偵のような仕事もある」


「なんか…すごいっすね」


まるで映画の中のワンシーンのような会話なだけに、私はすごいとしか言えなかった。


「想像通りかなり危険な仕事だよ。しくじれば自分の身が危ない。みんな当たり前のように自分に明日はやってくると思っているが、俺の仕事はいつ命を落とすか分からないからね。もちろんそれなりのギャラは貰ってる。だから俺はその金を惜しみなく沢山使うし欲求を満たすという点にはこだわりたい」


「そうですか。でもそれって…つまり人を殺すといくらぐらい貰えるものなんですか?」


中野の表情が一瞬曇ったのを私は見逃さなかった。


「それを聞いてどうするの?」


どうやら私は触れてはいけない所に触れてしまったようだ。



「いえ、別にどうするとかはないですけど…こんな話聞いたことないので気になっただけです」


「じゃあこっからは聞かない方がいい。自分で言うのも何だけど、俺らのいる世界は陽の光を浴びる世界にいる人間が首を突っ込むとこじゃないんだ。これは神谷くんの事を思っての事だ」


普段おちゃらけてる中野が今回は真剣だったので、私もこれ以上は聞かなかった。


中野は「はい!もうこの話はおしまい!」と言ったきり話題を変え、もう仕事の話はしなかった。


私は中野と別れてから一人でサラジャと初めて出会ったあの池に向かった。


まだ夕暮れだが、相変わらずここは人気がなく不気味だ。本来聞こえるはずの虫や鳥の鳴き声すら聞こえない。人の往来も無さそうで、歩くたびに「パキパキッ」と地面に落ちた枯れ枝の折れる音がする。


サラジャと初めて会話をした時のように池の前に腰を下ろし、煙草に火を点けた。


池の回りは木々に覆われているせいで風もなく、煙草の煙がいつもよりも濃く感じた。


そこで私は何か気配を感じたので振り返った。だかそこには何もおらず、再び正面の池に目を向ける。


するとサラジャの姿があった。初めて見たあの時と同じく、池の対岸にたたずんでこちらを見ている。


私はサラジャを初めて見た時の事を思い出した。自分の背丈よりもはるかに大きく、尾も3本ある未知の生物にあの時はかなり恐怖した。


だが今は違う。対岸にサラジャの姿を見た時には安堵があった。


サラジャが自分の人生観を変えるヒントをくれ、私は日野の力を借りて一歩前に進んだ。そうして中野に出会い、中野の紹介で森にも出会った。


ギャンブル・女・ドラッグ。どれも決して褒められたものではない。だがそれによって今私は満たされている。自分自身の人生を心から楽しめているのだ。別に他人に迷惑をかけているつもりもない。


ただ足りないモノが1つだけあった。『金』だ。


金がなければ自分の欲求を継続して満たしていく事はできない。必ず我慢しなければならない時が来る。


だから私は以前からてっとり早く金を作る策を考えていた。

もちろん多額の金を得るには地道な努力とそれなりの時間を要する事も理解していた。


だがそれでは遅いのだ。時間は金で買い戻せない。


それで今回はサラジャに相談に来た。もう自分の心は決まってはいたが…


サラジャが対岸からこちらへ向かって歩いてくる。相変わらず水面の上もお構い無しだ。


そしてこちらの岸までやって来て口を開いた。


「ここからの道は成功しても、失敗しても失うモノが大きくなるだろう。それでもお前は覚悟ができているのだな?」


サラジャは全てを見透かしていた。


「はい、そのつもりです。正直、失敗して死ぬかもと思うと凄く怖いです。ですがこのまま中途半端に歳くって後々後悔する方がもっと嫌です。だから私は金を得る為に汚れ仕事でも何でもしようと思います」


「そうか。では1つだけ忠告しておく。これからお前が進む道は本当の悪の道であり、今までとは違い一度進むと二度と引き返せない道でもある。それでも良いのだな?良いのなら私には止める必要も権利もない」



「はい…。私はサラジャ様と出会い、人生というモノを深く考えさせられました。いけない事だとも重々承知してます。だけど、私はこれが自分の道なのだとも思いますし、険しかろうが進もうと思います」


私が答えるとサラジャは「そうか…」と呟き、霧となって姿を消した。


私はスマホを手に取り、電話帳を開いて中野に電話を掛けた。



「もしもし、中野さん?僕にもヒットマンをやらせてください」

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