第3話『サラジャ』


仕事中も三尾が気になってしかたがなかった。こんなに1つのことに気を取られるのは久しぶりだ。


(今日は早めに切り上げて家でもう一度三尾について調べてみよう)


そう決心し、なるべく早めに帰路についた。


帰宅すると美加が既に夕食を作っていたので先に食事を済ませる事にした。


「どうしたのよ?そんなに急いで食べて」


と美加が少し驚きながら言った。


「ん?ちょっと調べものをしたくって」


「何について?」


ここで三尾のことを言おうか一瞬ためらったが、相手は妻なので話してみた。


「三尾の動物って何か心当たりある?」


「三尾の動物?」


美加は続けて何か言いたげだったが、あまりにも私が神妙な面持ちで問いかけたので困惑しながら


「いやー…三尾の動物は知らないわ。それがどうかしたの?」


「昨日散歩に行っただろ?何とかなくフラフラ歩いていると、綺麗な池にたどり着いたんだ。そこにいたんだよ。その三尾の何かが。」


「池?私、この近所のこと結構把握しているけど池なんてないわよ」


「え?」


鳥肌がたった。


固まっている私に美加が


「スマホの地図アプリで見てみなよ。池なんてないから」


「そんなはずは…」


とスマホを取り出し、地図アプリを開いた。


「まじかよ…」


俺が昨日たどり着いた場所に池はなく、そこはただの林になっていた。


「いや、昨日も池の前で現在地の確認をする為に地図アプリで場所を確認したんだよ。その時はアプリ上にもたしかに池はあったんだ。」


「でも今はないじゃない。夢とごっちゃになっているんじゃない?」


と美加が笑った。


私は信じられなかった。


昨日見たはずの池が翌日には存在を消している。池から発せられた独特の臭いもしっかり記憶している。そんなはずはない。


しかし、そうは言っても現実は池なんて存在していないことになっている。


ますます私は三尾の生物に興味が湧いてきた。



(おそらくあの池と三尾は関係しているはず…!)


明日もう一度あの池に行くことを決心し、この日は床についた。



翌日。


朝から池に行くことだけを考え、がむしゃらに働き、早めに仕事を終わらせた。


日頃、適当に仕事をこなしている私が今日は自分でも笑えるほど頑張った。


通勤に車を使用していることもあり、この日は車で池に行くことにした。


道順はうろ覚えだったが、池に到着する直前に通った覚えのある道まで来れた。


既に日が落ちていたこともあり車で池まで行くか悩んだが車を停め、徒歩で向かうことにした。


唯一の明かりはスマホのライトのみだ。


(この道の狭さでUターンはしんどいからな…)


途中、道路がアスファルトから砂利道に変わる。


(そうそう。この道を通ったぞ!)


砂利道をしばらく歩くと池の臭いが鼻を抜けていった。


(この臭い…)


私は足を止め、スマホのライトで辺りを照らした。


すると足元の草が少し湿っていることに気付き目の前をライトで照らした。


そこには以前見た例の池があった。


(ほら!やっぱり池はあるじゃないか!)


美加が言うように本当に池が存在しなかったらどうしようと不安だった私は心底ホッとした。


しかし今日私が池に来たのは池の有無を確認する為だけではない。


(あの三尾は!?)


再度スマホのライトで辺りを照らしたが三尾はおろか、虫一匹すら確認することはできなかった。


(はぁー…やっぱりあれは見間違いか…)


池の有無よりも三尾の存在が気になっていた私は落胆した。


このままあっさり引き返すのもしゃくだと思った私は、池の前に腰を下ろし少し池を眺めていた。


発見した時は暗闇の中の池に少し恐怖を感じたが、暗闇に目が慣れてきたおかけで今ではしっかり池が見える。


以前三尾を見た対岸をぼーっと眺めていたが何も出てくることはなかった。


(ここで出てくることを期待したけどさすがにないかっ。さぁそろそろ帰ろうか)


立ち上がろうと足に力を入れたその時、背後から感じたことのない気配を感じた。


冷や汗が吹き出る。


振り向いてはいけない気がしたが、恐怖よりも好奇心が勝って振り向いた。


そこには胴体が私の背丈よりも高い三尾がいた。


「あ…あわ…あっ…」


叫びたくても声が出ない。


私の心は恐怖一色に染まり、時が止まるとはこういうことを言うんだと思った。


恐怖を感じると腰を抜かすと言うが私は腰も抜かせず、振り返った体勢のまま指一本動かせないほど硬直した。


背丈より高い胴体のさらに上に三尾の顔があり、私は目の前の三尾の足から顔の方にゆっくり視線を上げた。


そこにあった三尾の顔は驚くほど美しかった。

動物の顔を想像していたが、まるで人間の女性のように美しい。


その美しさに見とれ、顔から視線が離せなくなった。


「おい…」


近くで声が聞こえた。女性の声だ。


周りを見渡すが、眼前の三尾以外の気配がない。


「こっちだ」


声がした方に顔を向けると、そこには三尾の顔があった。


(まさか…)


と思ったその瞬間。


「そのまさかだ」


唖然とはこのことである。状況を理解するまで時間がかかった。


「お前はなぜまたこの地に足を踏み入れた?」


やはり声の主は三尾だった。


「いやっ…あのー…」


チラッと三尾の顔を見ると、三尾は私の目を瞬き一つせず見つめていた。


とっさにごまかしは効かないと判断した私は正直に答えた。


「あのですね…えーっと…散歩していましたらこの池を見つけまして…そこで妻に池の話をしました。すると妻は池なんかないと言うものですから…なんていうか、本当に池はあったのかと認の為にまた訪れました」


すると三尾は強い口調で


「それだけではないだろう」


と言った。


あ、こりゃだめだと観念した私は


「はい…その時にあなた様を見つけまして……好奇心と言いますか…見たことのないお姿をされておりましたからもう一度見てみたいなという気持ちがありました」


「………」


三尾は私を見たまま声を発さない。


(く、食われる!)


しかし私の下半身は今だに動かない。


今までの記憶が走馬灯の用に甦ってきた。


楽しかった事。悲しかった事。腹が立った事。後悔している事……


(くそ!何でこんな目に合ってんだよ!)


なぜか無性に腹が立ち、涙でぐちゃぐちゃの顔で三尾を睨んだ。


すると三尾は


「お前が望んだのだ」と言った。


(私が望んだ…?)


「私は何も望んではいません。どういう意味でしょうか?」


すると三尾は少しあきれた顔をし、


「お前の心だ。その心のくすみが私を呼び寄せた。覚えがあるだろう」


「心のくすみ…?」


「そうだ。お前は元々心の綺麗な人間だ。弱き者を守り、強き者に立ち向かう。自分を犠牲にしても大切なモノを守ろうとする。違うか?」


自覚はなかったが、これまでの人生を思い返すとたしかにそうかもしれない。


私は幼少期の頃、仮面ライダーやウルトラマンなどヒーローが大好きだった。


学校でいじめられている子を見ると、いじめっ子に飛びかかりよく喧嘩した。


中学の時も友達が他校の奴らにカツアゲされたと聞かされると、翌日にはそいつらを探し出しボコボコにしてやった。


でも「やりすぎだ」ということでよく警察のお世話にもなった。


三尾はこの事を心の綺麗なと言っているのだろうか?しかしなぜこいつが俺の過去を知っている?


「思い返せば私は心の綺麗な方なのかもしれません。なんせヒーローに憧れて育ちましたから。しかしなぜあなた様が私の過去を知っているのですか?」


「私の名はサラジャだ。なぜお前の過去を知っているか?私はお前をずっと見てたのだよ。生まれた頃から今までずっとな」


「サラジャ…?ずっと見てた…?」


ただでさえ混乱しているのに私は更に混乱した。


「見てたって…どこから見てたのですか?」


「すぐ近くでだ。覚えはないか?」


もちろんそんな覚えはない。


「まったく身に覚えがないと言わんばかりの顔だな。お前は今まで自分は運が良いと思った瞬間はないか?」


「運が良いと思った瞬間…」


今までの人生でその瞬間はたしかにある。数えきれないほどに。でもそれは俺に限らず世の中全員に当てはまることではないか?


満員電車で自分の前の席が空いた。アイスのくじが当たった。自分が最後で応募が締め切られた。


思い返してもきりがないほどに出てくる。


「自分はついている、運が良いと思った瞬間はたしかにあります。ですがそれとサラジャ…様が私の近くにいたということがどう関係あるのでしょうか?」


「それは全て私の力なのだよ。他の者にも、みな一人一人違うものが憑いておる。俗にいう守護霊というものだ。そこで旬…お前に憑いていたのが私なのだよ」


守護霊とは人のなりをした霊だというイメージが強かったせいで驚いたが、サラジャの言っていることが少しは理解できた。


「はぁ…ですがその守護霊的存在のサラジャ様が私に何のようですか?先程心のくすみが呼び寄せたやらなんやら仰っていましたが…」


サラジャは私に言った。


「そうだ。お前は元々心の綺麗な人間だった。だから私もお前の素行の良さに褒美として【運】を与え続けてきた。しかし今のお前の心は綺麗どころかくすみ、よどんでおる。私はそのことをお前に警告しに来たのだ」


「警告?」


「そうだ。人間には善者と悪者の二種類が存在する。これは生まれた瞬間に振り分けられる。環境によって左右される後天的なものではない。簡単にいうと罪を犯す者は生まれながらに悪者に分類される奴らだ」


「罪を犯す…それは犯罪者ってことですよね。逆に善者とはどういう人達なのですか?」


「善者…それは罪を犯すことなく生涯を全うするものだよ。悪者だとしても罪を犯さず生涯を全うする者もいるがな。たが一番やっかいなのは途中で【転化】する者だ。善から悪。悪から善と言った具合に」


「転化がやっかい?善から悪は分かりますけど、悪から善は良いことなのでは?」


「人間は一度犯した罪を背負っていくことはできないのだよ。罪を犯したという経験がある限り、またいずれ大なり小なり罪を犯す。罪から来る誘惑に負け繰り返してしまうのだ。万引きや薬物などが良い例かもしれぬな」


「なるほど……それで私は悪人だから警告に来た…という感じですか?」


「いや、お前は善人だよ。だがここ最近心が悪人側へ転化しかけている。覚えはないか?」


心当たりはあった。


仕事、収入、結婚、私生活。

これらに私は不自由を感じ、内心不満を募らせていた。


「それが原因かは分からないですが、心当たりは少しあります。どうすれば善人に引き返せますか?」


「やはり善人に戻りたいか?たとえ悪人でも世の中には自分の夢を叶え、満たされている者は山ほどおるぞ。むしろ満たされている者はみな悪人だ。善人が多い中、それら善人をぶち抜き目標を達成する。しかし善人は周りの目を気にしすぎる所があって平均的な生涯を終える。」


一体こいつは何が言いたいんだ?はじめは私が善から悪へ変わりそうだと警告に来たと言っていたな?


それが今では悪人側へ誘われているような気がする。


たしかに私にも経営者になるって夢がある。だけどサラジャの言い方では善人でいる以上この夢は叶えられないということか?


「あの、一つ質問があるのですが」


「なんだ?言ってみろ」


「私には経営者になるという夢があります。しかし先程のサラジャ様の説明では、善人だとその夢が叶えられないということですか?逆に悪人だと叶えられるということですか?」


「決してそうではないが、今の世の中の経営者のほとんどが悪人側の人間だということは事実だ。周りの空気を読まず我を貫くことができる悪人側は出世や金儲けに適している。なんせ人と違うことをすることに躊躇がないからな」


「悪人側の性質はだいたい分かりました。では善人側はどうなのですか?」


「お前は満員電車に乗ったことがあるだろう?電車の中の大人を思い出してみろ。あれが善人達だ。生活の為、家族の為、世間体があるなどと自分に言い聞かせ嫌々働いている。奴等はそれで満足だと言える。なんて善人なんだと思わないか?」



「まぁたしかに善人ですね。でも彼らはそれで幸せだと断言できるのであれば、それはそれで良いのではないでしょうか?」


「たしかにそうだ。本人が幸せだと思えるならそれでよい。だが旬よ。お前はどうだ?お前は現状の生活に満足しておるのか?」


「現状の生活に満足…」


私はすぐにイエスと言えなかった。

退屈な仕事、満足だと言えない収入、望んだものとは違った結婚生活。


頭に浮かんだ現状の生活はとうてい満足のいくものではなかった。


「どうなのだ?」


「サラジャ様の言う通り私は現状の生活に満足はしてません。たしかに周りから見ると私は職もあり、結婚もして幸せ者だと言われるかもしれません。でも私はそんな幸せを望んではいない。もっと自分の欲望に正直な人生を望んでいます…」


「現状の生活から抜け出したいのか?」


「そうかもしれません。今の生活には正直少し疲れてきていたところです」


「ならば完全に悪人になれ。先ほど説明したようにお前はあと少しで悪人へと変わりそうな所まで来ている。だがお前は善人へ引き返せるか?と問うた。すなわちそれはまだ心が善人を保っているということ。善悪と聞くと善の方が良いに決まっていると意識に刷り込まれてしまっておるのだ」


「ではどうすれば悪人へと変われるのですか?」


「単純なことよ。自分が『悪』と思う行いを続けること。そうすれば『善』というブレーキが外れ、心が自然と悪人へと変わるだろう」


「自分が悪と思う行い…例えばどんな行いですか?」


「そんなことは自分で考えるのだ。あくまで私は変われる方法を教えるだけ。あとは自分の力で変わるのだ」


そう言い残すとサラジャはくるりと振り返り、池の水面へと歩きだした。

まるで地面を歩いているかのように水面を歩き、池の中心辺りでフッと姿を消した。


(自分の力で…変える…)


スマホの時計を見ると池に着いてからまだ5分ほどしか経ってなく、まるでサラジャと話していた間だけ時間が止まっていたかのようだった。


「帰るか…」


私はまだ警戒心が解けていなかったので周囲に注意を払いながら来た道を戻った。


車に乗り帰路についたが道中は特に問題なく、いたって普通だった。


自宅から漏れる灯りを目にした時、なぜか無性にほっとした。

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