竜妃は火刑の炎の中で微笑む

楠本恵士

第1話〔うつろぐ人の心〕

 中国、 魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく)の三国が争覇していた三国の時代──ある片田舎の町で、牢に捕らえられている一人の女がいた。


 美貌の女は、数年前に戦で夫を亡くした未亡人で──名は【竜妃夫人】と言う。

 水軍を指揮していて、名軍師であり武人で誰からも慕われていた夫が戦場で眉間を矢で射られて、その傷が原因で亡くなってから数年間──竜妃は愛する夫、『徐瑜じょゆ』への想いを今だに、引きずっていた。


 若く美しい竜妃の周辺にいる者たちは、夫が亡くなってから何年も経過したのだから、竜妃もそろそろ新しい夫を……と助言したのだが、竜妃は首を縦には振らなかった。


 そんな竜妃に、地方の一人の将軍になったばかりの純朴だが熱い心の若い男が、ぜひとも竜妃を妻にしたいと近づいてきた。

「必ず、あなたさまを幸せにします! この約束が守れなかったら、天帝に誓って……灼熱の炎によって、この身の皮膚が焼けただれ、肉が焦げ、血が沸騰して、骨が炭になっても構いません」


 最初は、将軍に成りたての若者──『孟卓 もうたく』の目の奥に、孟卓自身も気づいていなかった秘めた野心の炎を竜妃は感じたが。

 孟卓の「天帝に誓って」という言葉に揺り動かされ。

 竜妃は年下の孟卓と夫婦の契りを結んだ。


 竜妃を妻として、守るべき存在ができた孟卓は、必死に武勲を重ね、それを嬉しそうに瞳を輝かせて竜妃に語った。

「敵の大将を捕らえた」

 とか。

「わたしの軍策を主君が採用してくれた」

 とか。


 将軍としての武勲の自信に、次第にたくましい顔つきに、なっていく現夫の孟卓に心惹かれていく竜妃。


(この人……良いかも知れない)

 亡き前夫、徐瑜への想いを心の隅に残したまま、竜妃は孟卓に妻として尽くし。

 孟卓もそれに応え出世を続けていった。


 だが、三年が過ぎた頃。慢心した孟卓の心に今まで眠っていた野心が目覚めた。

 残酷に人を斬り殺したり、自分の地位を利用した謀略で他人を陥れて失脚させるコトも頻繁ひんぱんに孟卓が行いはじめると。

 竜妃は少し厳しい口調で孟卓を戒めた。


 この頃には、孟卓の竜妃に対する、あれだけ熱く純粋だった孟卓の愛情も薄れ。

 夫婦間にも溝が生じて、冷えきった夫婦になっていた。

 竜妃の孟卓を心配する忠告の声も、孟卓の耳には野望を妨害する、耳障りな雑音にしか聴こえなかった──ついには、竜妃の一言一行に孟卓は不快を示すようになった。


 竜妃の繰り返される忠告に、イラついた孟卓はついに怒鳴ってしまった。

「うるさい! おまえの裕福な幸せは誰の努力で成り立っていると思っているんだ! 口出しするな! 黙っていろ!」

 横柄な態度をとりはじめる孟卓。


 そして、ついに竜妃と孟卓の夫婦仲が決裂する事態が発生した。

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