6話

 昼の休憩は、食堂に工場内の人間が一気に集まる。あちこちの話し声がざわついたノイズを生んでいた。こういう空気は苦手だけど、勤務中は外出が許されていないから仕方ない。

 昼食は持参してもいいし、給料から天引で社員食堂を利用することもできた。食事に興味のない人間としては助かる。何を持っていくか考えるのは面倒だし。

 食堂のカウンターには作業着の工員がわらわらと並び、四角いトレイを手にしていた。頭から覆っている作業着のフォルムも相まって、地球を追われ、スペースコロニーに移住した人々が配給を受けているように見える。

 ディストピアっぽい、というか、ディストピアそのものか。

 食事のメニューは毎日数種類準備されていたけど、僕は麺類や丼みたいなものしか選ばなかった。おかずとご飯を交互に食べる、という行為がかったるいから。

 たぬきうどんを受け取り、テーブルに向かう。

 どこに座ってもいいということになっているけど、実際はほぼ指定席だから、初日にあてがわれた場所に座ることにしていた。

「もういい加減にしてほしい! すぐ辞めると思ったのに」

 隣は女ボスと取り巻きが座っている。だいたい社員か嫁の悪口、そうでなければテレビの話を、シワだらけの口元をひん曲げて喋っていた。

 僕にいわれたくはないだろうけど、この人たち、生きてて楽しいことってあるんだろうか。

 下品な話し声をかき消すように、わざと音を立ててうどんをすすった。続いて、天かすの絡みついたかまぼこを箸でつまみ上げる。いつ見てもケチくさい厚みだな。

「うっす」

 視線を上げると、日に焼けた顔があった。同じ派遣会社の井手さんだ。ここでは後輩だけど、年齢は三つ上。

「お疲れ様です」

 僕は返事をして、外周をピンクと緑に染められたかまぼこを口に放り込んだ。

 井手さんは紺色の包みの弁当箱をテーブルに置き、対面に座る。作業着の帽子の隙間に人差し指を突っ込んで、ポリポリと掻いた。この境目、こすれて痒くなるんだよな。

「マジでお疲れだわ! 安岐くんが全然調理うちに来てくれないからな!」

 元々調理工程に配属されていて、数カ月後に井手さんが入ってきた。しばらく一緒に働いていたけど、僕が盛り付けに駆り出されることになってからは休憩中にしか会わない。

 長く勤めていた人が辞めて、新人が仕事を覚えるまでという話だったのに、その時の新人は一ヶ月もしないうちに辞めたし、いつまで経っても人が定着しない。最初は「申し訳ありませんが」と前置きしてシフトの連絡を寄越してきた派遣元の担当者も、最近はもう何もいわなかった。

「先週はいましたよ、夜勤で」

「でたよ安岐くんジョーク。俺いねえし」

 彼は日勤のみの契約だ。前職が長時間勤務で、身体が参ってしまったといっていた。全国チェーンの飲食店の正社員。出張も転勤もパワハラも多かったらしい。最初に会った時は顔色も悪く、やせ細っていたけど、この半年ですっかり健康的な見た目になった。

 僕ときたら、未だにヘトヘトになった身体を引きずって、薬を飲んで横になる生活を続けている。睡眠障害を抱えてるのに、夜勤なんかやってるのが良くないのはわかってるけどさ。

 井出さんは弁当の包みをといて、蓋をあけた。

 魚の竜田揚げに、焦げ目のついた卵焼き、茹でた青菜、ごぼうと人参のきんぴら。ご飯には紫蘇のふりかけ。

 毎朝自分で作っているらしい。飲食店で働いていただけあって、売り物みたいに盛り付けてある。朝からよくやるよ。

 僕たちはしばらく黙々と食事をしていたが、竜田揚げをかじっていた井出さんが、ふと訊ねてきた。

「昼間はもうずっとあっちなのか?」

「いや、わからないです」

「そうかよ。安岐くんはいいように使われすぎじゃないか? 盛り付けと調理と行ったり来たりしてるけど、そんなのやってるやつ他にいないだろ」

「みたいですね」

 僕はうどんを食べ終わり、器に残った出汁を少し飲んだ。

「文句いわないから、付け込まれてんだって。面倒なこと引き受けるんだったら、交渉しないとさ。ゴネれば時給もちょっと上がったかも」

「でもそうなったら、ずっとやらないといけないでしょ」

「どうせ元に戻す気はないと思うけどな」

「まあ、そんな気はしてますけど」

 僕は席を立ち、カウンターへ器を返却しに行った。

 その足で、壁際にあるカップ式の自販機でコーヒーを買う。濃度が選べるから目一杯濃くして、砂糖も目一杯入れる。これを飲まないと午後の仕事がきつい。

 睡眠薬でむりやり眠って、カフェインでむりやり覚醒するマッチポンプ、心臓に悪いんだろうけど。

 カップを手に席へ戻ると、井手さんが弁当を片付けているところだった。弁当箱を布で包み直しながら、彼はいう。

「……俺さ、来月いっぱいで辞めるんだよ」

「そうですか」

 僕の乾いた反応に、井手さんは眉をハの字にして、呆れたように笑った。

「驚かないなあ。そういうとは思ったけど」

 いなくなったら寂しい、とかいえば良かったのかな。

「早く辞めたほうがいいですよ。井手さんみたいな人が働く所じゃないですし」

「それはそのまま返すけどよ。安岐くんは就職活動してるのか?」

 僕は小さくうなり、紙のカップに口をつける。焦げ臭くて甘い液体が口中に広がった。

「中途採用は厳しくて、なかなか」

 本当は半年くらい求人情報は見ていないし、ハローワークにも行っていなかった。決してこの職場に満足はしていないけど、だからってどんな仕事がしたいのかもよくわからない。

「そうかあ。でも、君ならもっといい仕事あるって絶対」

 選り好みしなきゃあるだろうな。やってみれば意外と向いている仕事もあるかもしれない。良い同僚や上司に恵まれる可能性もある。

 でも、次またうつ状態になったら、僕は躊躇なく自死を選んでしまうんじゃないだろうか。

 死にたいわけじゃないけど。

 この先に期待ができないというか、生きるためのコストを払う気力がわかないというか。うまく表現できない。

 とりあえずここにいる限りは、良くならない代わりに悪くもならないのだ。このまま必要最低限の金だけ稼いで、どうでもいいように生きて死んでいく、もうそれでいい気がしている。

 始業十分前のチャイムが鳴った。

 食堂全体の空気がもっさりと、億劫そうに動き出だす。

 契約上休憩は一時間となっているけど、実質は五十分くらいしかない。持ち場に戻る前に、もう一度始業前と同じように、服の埃取りや手の洗浄をしなければいけないのだ。

 僕は立ち上がって、ぬるくなったコーヒーを一気に飲み干した。

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