4話
楽屋に入って席についたら、まずはノルマの精算が始まった。
といっても、僕は支払うほうだ。規定の額を財布から出すと、河南さんは申し訳なさそうに受け取る。
「無茶をいった挙げ句、ノルマまでかけるのは心苦しいのですが、こればかりは決まりですので……」
ライブハウスのチケットノルマ制の問題点はさておいて、自力で集客できないような奴は、本来ステージに立つ資格はないと思うんだよな。自分のことだけど。
手持ち金庫に金をしまった河南さんは、さて、とばかりに軽く手を打った。
「始まる前はかなり緊張されていたので、どうなるかと思いましたが。想像以上の素晴らしいライブを見せて頂きました」
河南さんは満面の笑みを浮かべる。
「ミッチーの演奏はオープンマイクで一年くらい見てきましたけど、過去最高でしたよ。あとの二組にも、プレッシャーかけられてたんじゃないですか」
「そこまでではないでしょ」
「いえ、イベントのトッパーは重要な役割なんですよ。ミッチーがあれだけ緊張感を持ってやってくれたから、そういう流れができたんです。俺はそう思いますよ」
※感想は個人のものです、ってか。思うのは自由だよ。
河南さんは話したいことが山ほどあってウズウズする、といった様子で目を輝かせている。演者同士の会話が濃すぎて忘れてたけど、この人も別の意味で濃かったんだよな。真剣に疲れてきた。
「『無能の証明』、あれ、本当にいいですよね!」
「あんな歌のなにがいいんですか」
ラブソングでも、人の背中を押すでもなく、ただただ鬱憤を吐き散らかしているだけの歌じゃないか。好きだっていうから、セットリストに入れたけど。
「あの荒んだ感じがいいんじゃないですか! ミッチーは指弾きで端正にやってるのも似合いますよ。声が綺麗なタイプですから。でも俺は、あのブチ切れたストロークもいいと思います」
褒め言葉のバーゲンセール男め。普段からなんにでも「いいですね」っていうから六割引で聞き流してるけど、逆に何したら嫌がられるんだ。そっちのほうが気になるっての。
「実は、あの曲を聴いたときに、勲さんに通じるものを感じまして」
「そうですか?」
「プレイスタイルという点では違いますけどね。勲さんの、全部自分の間合いにする感じ、見たでしょう?」
僕はうなずいた。
「時代小説の、剣豪が刀を青眼に構える場面みたいでした。もの凄い緊張感なんですけど、先の展開を知りたくて気持ちがはやってくるというか」
「剣豪! まさにそれです! あの人、どこか和の佇まいがありますよね。俺はミッチーもそういう、孤高の剣士だと思ってるんですよ」
「……はあ」
僕の返事に、河南さんは肩を落とした。
「自分の話になると、急に気がない顔になりますね」
「僕は自分をそうは思わないので」
「あなたは客席を沸かせるというより、自分の世界に引きずり込むタイプなんですよ。突き詰めれば、勲さんだって越えられますよ」
さっきからどんだけ褒めるんだよ。大特価出血大サービスすぎるだろ。やけくそ倒産セールでもしてんのか。
「なので、欲をいえば、全部自分の曲で攻めてほしかったんです」
「ありませんよ」
「またまた。オリジナル曲は一曲見つかると、十曲はあるといわれてます」
「ゴキブリじゃないんだから」
「どんどん増えますしね!」
嬉しげに付け足すな。増えるかどうかは作る人の都合だろう。曲が勝手に繁殖するわけじゃあるまいし。
自分の歌は歌う気がしない。
もともとそんなに思い入れがない。活動中も歌について言及されたことなんかほとんどないんだから、僕の書く歌なんてゴキブリ以下だ。
「ミッチーはカバーでも自分のものにして歌うし、それはいいんです。今日のライブは本当に出来が良かったから、演奏についていうことは何もないです」
「……ありがとうございます」
河南さんは深くうなずいた。
「だからこそ、ですよ。せっかく自分で作曲できるのに、聴いてもらえる機会を自分から潰すのは、もったいないと俺は思います。とくに今日はあれだけ人が入ってたんですからね。ビリー・ジョエルの『ピアノ・マン』もイーグルスの『デスペラード』も名曲ですけど、
なにをそこまで入れ込む要素が僕にあるんだよ。この人が異常に仕事熱心なだけで、僕にだけ特別というわけでもないんだろうけどさ。
河南さんは身を乗り出してきた。
「これを機に、本格的に活動しませんか」
「お断りします」
僕が即答すると、河南さんはバツが悪そうに鼻の頭を掻く。
「まあ、今日は俺のわがままで引きずり出したので、出て頂けただけでありがたいとは思ってますけどね……でも」
鼻を掻いた手を握って、テーブルに下ろす。
「あなたはもっと上を目指せますよ。いや、そうするべきです! 俺はさっきのライブで確信しました」
「……僕はいいんです、そういうの」
「どうして」
「演奏できるからって、活動しなくてもいいでしょう。僕は好きな歌を、好きなように歌いたいだけです」
河南さんは思案げに顎へ手をやり、ゆっくりと目を瞬いた。
「本当のことを教えてほしいんですけど」
声のトーンが低くなる。朗らかな表情がすっと消えた。
「活動経験、どれくらいあるんですか?」
「いや、だから――」
僕が答えようと口を開いたところへ、彼は被せるように畳み掛けてきた。
「あなたはあくまでも、過去に活動をしたことはないと仰っしゃりますが。俺は毎日いろんな演者さんを見ているので、わかるんですよ。あなたの演奏が、ライブ慣れしていない人のものじゃないってことくらい。そうでなかったら、いきなりこんなハイレベルなイベントに放り込みません」
メガネ越しの鋭い視線が、僕の両目をしっかと捉える。
「単純に演奏が上手いってだけじゃないです。自分の魅せ方、セットリストの組み方、MCの挟み方、なんならリハーサルでの立ち回り、こういう部分は場数を踏まないと育たないものですよ。あなたにはそのあたりの挙動不審さがひとつもない。初めて見たときから、スタイルが確立されている」
舞台俳優ばりのまくし立てだった。咳払いをひとつして、彼はなおも続ける。
「仮に本当に、本格的な活動経験がないのだとしたら、ですよ? それらは天性のセンスであって、遥かにレベルの高い共演者と、いつもは見ないような数の観客からのプレッシャーを撥ね除け、大したミスもなく演奏をしたわけでしょう。それはそれでもの凄い逸材ですよ。ブッカーとしては、なおさら野放しにしておけませんが」
河南さんは、椅子から腰を浮かせ、テーブルに両手をついた。
真正面からの圧から逃れて、僕は背もたれに身体を預ける。額の右端を中指で掻いて、鼻からため息をつく。
このままシラを切り通したら、僕はポテンシャルを秘めた天才ということになってしまうじゃないか。そんなわけがないだろ。
「……学生の頃にやってました。四年くらい」
「やっぱりそうじゃないですか」
河南さんは座り直し、口をとがらせた。さっきまでのシリアスさがウソのような三十三歳児フェイス。
「表舞台に戻る気はないんですか」
「ありませんよ」
音楽活動といっても、好きに演奏だけしていればいいってもんでもない。活動が成り立っている人は、もれなくそれ以外の泥臭い努力をしている。
僕には面識のない演者にいきなり声をかけ、フライヤーを渡す積極性なんかない。どんな行動にも万にひとつの可能性というけど、僕にとってはそんなもの、ゼロと同じだった。
僕の音楽に対する思いなんて、その程度なんだ。
河南さんは腕組みで唸った。
「これだけ凄いイベントに出たら、『もっとやりたいです!』ってなってくれると思ったんですが。今日はこれで切り上げます。俺はこれから、勲さんのお説教を受けないといけないので……」
河南さんは、手持ち金庫を手に取り、立ち上がった。
「本日は本当にありがとうございました。あなたのお陰で、いいイベントになりましたよ」
僕も立ち上がって頭を下げる。
「いえ、こちらこそ、貴重な体験をさせて頂きました」
河南さんはドアの前でノブに手を伸ばしかけたが、何かを思い出した様子で、くるりと振り向いた。
「最後にひとつ。今日のミッチーは、今まで見たことないくらい生き生きしていました。頭の中と、心の中は違うんじゃないですか?」
僕の目を覗き込むようにして、河南さんは微笑む。
「あなたはミュージシャンとしてのプライドを持っている人だと、俺は信じています」
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