15:姉との再会、過去との決別

 追放されてから一ヶ月経ったころ。

 ランチタイムが終わっている今は午後の三時を過ぎたところで、ちょうどお客さんは誰もいない。そんなサヴァルモンテ亭へ一人のお客さんが入ってきた。


「いらっしゃい」

「いらっしゃいま……せ」


 見たことのある顔に、私の笑顔は引きつったものとなった。


「お、お姉さま。お久しぶりです」


 なんと、私の姉であるクロエだったのだ。


「久しぶり、クリスタル」


 バツが悪そうに返す姉。エラが私と姉とを交互に見て、困惑している。


「えぇっと、あんたはクリスタルの姉貴っていうことか?」

「はい、そうです。初めまして、クロエです。妹がお世話になっております」


 開いた口が塞がらない。心拍数が上がり、冷や汗が流れる。

 姉はカウンター席に座った。


「まずは何かを頼まないと。そうですね、ジェストーゼパスタとダールティーをお願いします」

「了解。クリスタル、皿とカップを温めて。その間にお湯を沸かして」

「はい、分かりました」


 そばに姉がいるというだけで、動悸どうきが止まらない。油断して落とさぬよう、皿とカップを慎重に扱う。


「温め終わりました」

「じゃああたしがいため始めたら、ダールティーをれて」

「了解しました」


 最近は皿の片づけや配膳だけでなく、紅茶のように簡単なものなら手伝わせてくれるようになった。

 ポットに一人分の茶葉を入れておく。


 ふと姉がどのようにして待っているか気になって、ちらっと振り返る。……目が合ってしまった。姉は完全にこちらを――私を見ていた。


 ジューッ!


 エラがパスタの具を炒め始めた。魚介系の香りが立ちのぼると同時に、ポットに沸騰していたお湯を注ぎ、ふたをする。


 混み合っているときのような話し声はいっさい聞こえず、ただ炒めている音だけが店内に響いている。


「クリスタルの姉貴、もうすぐでできるからな」


 お客さんが一人だけなので余裕があるようだ。

 パスタに具とソースをからめ始めたので、温めていた皿をエラのそばに用意する。直後に、茶こしでこしながらダールティーを淹れた。


「クリスタル、ちょうどできたよ。あんたの計算もバッチリ」


 ほぼ同時に、ジェストーゼパスタとダールティーを提供することができた。


「お待たせ、ジェストーゼパスタと」

「ダールティーです」

「……ありがとうございます」


 姉はまずカップの持ち手に指をかけた。熱々の湯気が立ちのぼる紅茶を、ふぅふぅと表面を冷ましてから、一口飲んだ。


「……おいしい」


 私はこの言葉だけで十分だった。姉から人生で初めて褒められたのである。皮肉混じりに褒められたことはあるが、純粋な意味で言われたことはなかった。


 パスタも一口含み、数回咀嚼そしゃくしたあとには「うん、ここのおいしい」とつぶやいたのだ。


「おいしいだろ?」

「はい、とてもおいしいです。ジェストーゼ好きなので」

「それはよかった」


 エラも満足そうな笑みを浮かべている。


「紅茶は……ご主人が妹に教えてくれたんですか?」

「そうだな。あたし流のうまい紅茶の淹れ方をね」


 うんうんと深くうなずきながら、もう一口パスタを食べる。飲みこむと、今度は紅茶を口にふくむ。


 エラには話しかけるものの、私にはあいさつ以外は話しかけようとしないので、勇気を出して私から声をかけてみた。


「お姉さま、どうしてここに来たんですか。私がここにいることは知っていた風でしたが」


 一瞬、咀嚼している姉の動きが止まった。再び動き出しても、ゆっくりと動くだけであった。

 しばらくして飲みこんだ姉は、「クリスタルと話したかったの」と吐露する。


「何をですか」

「きょうだいみんなが、まだ家にいたころのこと」


 てっきり、私が追放されたことをとがめに来たとばかり思っていたので、正直拍子抜けした。

 姉はフォークを置いた。


「……多分ねクリスタル、物心ついたときから、家族みんなから冷たくされてきたと思うの。思うじゃない、私たちはしてきたの」

「お、お姉さま?」


 こんな口調で話す姉を見るのは初めてだ。しかも自分からこんなことを話すなんて。


「私は、お父さまとサムお兄さまとセスがそうしていたから、それに合わせないといけないって思ってやってた。お兄さまとセスはね、お父さまから『クリスタルは下手だから厳しくしろ』って言われてたらしいの」


 あ然とした。ずっと、兄二人と姉が私を見下していたのは、お父さまから言われたり空気に合わせていただけだったってこと?


「本当は、私はあんな態度をとりたくなかった。だから……ごめんなさい」


 信じられなかった。姉から謝ってくるなんて。ついこの間まで、ギルドの建物の中で私と出くわしたら、必ず私を冷やかしてきたというのに。


「お姉さま、急にどうしたんですか」

「クリスタルが追放されて、ギルドで姿を見なくなって気づいたの。私がわざわざクリスタルに茶々を入れる必要はないんだって。クリスタルが下手なのはクリスタル自身の問題であって、私の問題ではないから」


 下を向いている姉に、私はもう一度確認する。


「要は……家にいたときに私に冷たくしてたのは、お父さまやお兄さまたちに流されてやっていた、ということですか」

「そう、流されてた。ごめんなさい」


 冒険者をやめることとなる理由には、私の幼少時代の家庭環境も関わっているだろうと思っている。

 物心がついたときから冷たくされてきたからか、許そうという気持ちが全然湧いてこない。


「突然会って突然謝られたので、心の整理ができてなくて。すぐにお返事ができないのですが……」

「うん、絶対そうだよね。無理だよね。もちろんすぐには返事は求めないから」


 また気まずくなって、姉はぬるくなったパスタを食べ始める。

 ここで、しばらく口を挟んでいなかったエラが姉に話しかけた。


「クリスタルの姉貴、さっきあんた『クリスタルが下手』って言ってたな?」

「はい。だってそれでパーティからも父からも追放されて――」

「それは過去の話だ」


 エラが自分のことのようにドヤ顔になる。


「えっ、どういうことですか。『過去』って……?」

「そのパスタを食べ終わったら教えてやるさ」


 きょとんとした表情に変わった姉。パスタを食べつくすまで、エラはニヤニヤしながらフライパンを洗っていた。

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