私は丘の上からメロンを投げる

とんこつ毬藻

追憶

 その丘の上には小さな家があった。


 少し歩けば断崖絶壁が迫る崖の上、そんな丘の上にある小さな家。

 昔、絶景を求めて辺境の地を渡り歩いていた大富豪が、別荘として購入した家らしい。その大富豪もやがて歳を取り、この別荘を手放し、誰かの手に渡ったと言われている。外界から隔絶されたそんな場所に住んでいる人なんて居る訳がない。


 でも不思議なことに、丘の上にぽつんと建っているその家は、植物の蔦に覆われることなく、朽ち果てることもなく、美しい白壁を見せたままだった。時折陽光を反射し煌めく硝子窓は常に磨かれているかのよう。誰か住んでいるのではないか? 美しい外観を保ったままの家。海側から船を走らせ、その崖の上を見上げる度、僕は疑念を抱いてしまうのだった。


「よし、あの丘の上へ行ってみよう」


 遠くから眺めるのはもう止めた。僕は意を決して、かつてリゾート島だったその無人島・・・へ降り立った。島渡しの仕事をしている僕は、休みの度に、何故だかあの家が気になって、その無人島を周回していたのだ。丘の上へは深い森を抜けて向かう必要がある。無人島となってしまった島には野生の動物も住んでいるかもしれないのだ。


 どんな危険が迫って来るか分からない状況であったが、僕の胸は自然と高鳴っていた。もしかしたら誰も住んで居ないかもしれないし、大富豪から家を買ったおっさんが現れるかもしれない。でも、僕は淡い期待をしていた。間違いでなければ、一年前のちょうど今日、あの丘の上へ女性・・が立っていたように見えたのだから。


 『え?』と思い、もう一度見返した時にはその姿は消えていた。肩まで伸びた黒髪。白いワンピースを着た女性。そして、その女性は、両手で大きなメロンを抱えていた……ように見えたのだ。ただの幻か否か。自分の目で確かめるのみだ。


 草刈り用の鎌で生い茂る草を刈っていき、森の中を抜けていく。急勾配の坂と、覚束ない足許が行く手を阻む。途中大きな蛇が出た時には焦ったが、気配を消す事で危険から逃れた。


「これは……」


 その光景を見た時、僕の疑念は確信となった。

 そこには畑があったのだ。トマトにきゅうり、キャベツにメロン。生活していくために丁度いい量の野菜が陽光を浴びて育っている。海側からは崖の反対側の景色を見る事は出来なかった。やはり、此処では誰かが生活している。


 そして、少し歩いた先に、その家があった。


 カーテンで閉ざされており、中を見る事は出来ない。当然ながら鍵も掛かっている。インターホンはなく、白い西洋風の扉の中央には、洋館を思わせる金色の扉をノックする輪ドアノッカーが備え付けられていた。意を決して僕は扉をノックする。渇いたノック音が一瞬響き、潮騒に紛れて消えていく。数回ノックした後、恐る恐る声を掛ける。


「誰か……いませんか?」


 誰も居ないのだろうか? あの女性はただの幻だったのか? はたまた無人島と化したこの島の幽霊? 様々な憶測が飛び交う中、僕の足は自然と問題の崖へ向かっていた。そして……その女性を見つけた。


「居た……!」


 思わず息を呑む。あの時と同じ、白いワンピース姿の女性。潮風が彼女の黒髪を撫でていく。靡く黒髪は、遠くからでも分かるくらい整っており艶やか。遠くからだと横顔しかうかがえないが、美しい女性である事はひと目で分かった。


 もう数歩前へ出たなら海の藻屑と化してしまう。そんな断崖絶壁に立っている女性は、現実世界に存在しない女神のようにも見えて。僕は少しずつ、彼女へと近づく。幸い崖へ打ちつける波の音が、気配を消してくれる。もう少しで彼女へ声が届くという距離に差し掛かった時、彼女は両手に抱えていた何か・・を海へ向かって投げた!


「あ……!」



 それは大きく実ったメロンだった――




 思わず僕は声をあげる。自分以外誰も居ない筈の崖の上で声がした事で、驚いたのは彼女の方だった。肩を揺らして声がした方、僕の方へ振り返る。吸い込まれそうなほど美しい彼女の鳶色の瞳と目が合った。


「あ、危ない!」

「きゃあ!」


 刹那、崖の上に風が吹き、驚いていた彼女がバランスを崩す。誰かに呼ばれるように海へ引き寄せられていた彼女の腕を掴み、崖の上へと引き寄せる。そのまま折り重なるようにして倒れる僕と彼女。潮風に紛れ、彼女の髪からメロンの香りがする。


「あ、ありがとうございます……あなたは?」

「ごめん……驚かせて……一度だけ海の下で君を見かけた事があったんだ。それで……気になって」


「海の下で?」

「嗚呼。僕は島渡しの仕事をしていて……」


「あの……も、もう大丈夫ですから」

「あ! ごめん」


 彼女に折り重なるようにして倒れてしまっていた僕は、そこで初めて彼女の柔らかい果実に自身の身体が触れている事に気づき、慌てて立ち上がる。そして、彼女へ事の経緯を手短に話す僕。


 ようやく納得してくれた彼女は『ありがとうございます』と一礼し、そのまま丘の上のあの家へ帰ろうとしていた。


「あ、待って。どうしてメロンを?」


 彼女の足が止まる。どうして彼女はメロンを投げたのか? 彼女は僕へ背を向けたまま、ゆっくりと話し始めた。


「この島は……忘れられた島なんです。だから、私が覚えておくんです」


 この島がリゾート島として開発された時、彼女はリゾートホテルの経営者の娘だった。無人島でのリゾート生活を謳い、都心から来る観光客。当時は頻繁にTVCMも放送され、都会の喧騒を忘れる事の出来るリゾートとして、年中賑わっていた。


 しかし、いつしかリゾートは忘れられ、次第に客足も減っていったのだ。経営は失敗。ホテルは倒産し、彼女の一家は行方不明となったんだという。ただ一人、娘を残して。


「私には、婚約者が居ました。彼は将来このホテルを継ぐ予定でした。でも、ホテルが倒産し、私の父と母が行方不明になったその日、彼もこの崖から身を投げたんです」

「そんな……」


「メロンはリゾートの名物であり、彼の大好物だったのです。彼を、このリゾートを忘れないよう、彼の命日である今日、私は丘の上からメロンを投げるんです」

「そう……だったんですか……」


 島の権利書も全て彼女に譲渡され、この無人島の所有者は彼女だった。彼女は一人、忘れられた島を忘れないよう、この島へ残って生活していたのだ。


「あの……寂しく……ないんですか? ずっと一人で……」

「ええ。わたしには、島のみんなが居ますから」


 そんなの寂しすぎる。それに一生彼女は過去を背負って生きていくのか。それじゃあ彼女のこれからの人生はどうなるんだ。


「あの! これからは、僕も丘の上からメロンを投げます」

「え?」


 彼女は驚いた顔で振り返る。過去を語った彼女の瞳には、雫が流れた後があった。頬に伝った雫が潮風に乗って、空へと舞い上がる。


「一人でメロンを抱えないで下さい。リゾートが賑わっていた時、僕もこの島へ船を出していました。僕もちゃんと覚えてますから。ずっと一人なんて寂しすぎます」


 彼女から僅かに笑みが零れたように見えた。僕の想いは彼女へ届いたのだろうか?


「此処にわたしが居る事は内緒にして貰えますか?」

「はい、勿論です。僕とあなただけの秘密にします」

「ふふ、ありがとうございます」


 彼女と僕は握手をする。彼女の手から温もりが伝わって来る。


「僕は大海原真李茂おおうなばらまりもです」

西園寺夢露さいおんじめろです。よろしくお願いします」

 

 僕はこれから彼女と一緒に、丘の上からメロンを投げる事になるだろう。

 僕と彼女の物語は、まだ始まったばかりだ――

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私は丘の上からメロンを投げる とんこつ毬藻 @tonkotsumarimo

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