第25話:公爵令嬢の初体験
イント君とのあれこれも落ち着き、今までの平穏無事な令嬢生活に戻りつつある。
夏も終わりに差し掛かり、残暑きびしく…もない爽やかなランドグリス王国貴族街の一角。
俺ことエアリースは、妙な感覚に日々参っていた。
ちなみに、ランドグリス王国にも遠い記憶のあの場所と同じく四季がある。
だが、記憶にあるトウキョウのそれよりもかなり穏やかだ。
春・秋は過ごし易い陽気に照らされ、夏は日差しが強いと言いつつも体感温度として28度前後。冬は少し厳しく雪も降るが激しく積もるような事は記憶の限りではない。
故に残暑と言いつつも、既に秋口であり、朝は羽織りが無ければちょっとしんどいくらいの涼しさなのだ。
話を戻そう。
最近何だか熱っぽい上に、頭痛がするのだ。
こう書くと完全に風邪の初期症状なのだが、公爵家掛かり付けの医者に来てもらったが、特に異常は無いと言う。
昨日なんて、起きたら何か知らないけど、透明なドロッとしたものが下着に着いていた。
この歳でおねしょをしてしまったのかとガチで焦ったが、違うと分かると今度はじゃあ一体それは何なのかと恐ろしくなってきてしまった。
「あ、アセーラ…ごめんなさい…。お恥ずかしい話なのですが、し、下着を汚してしまいまして…」
「まぁ、お嬢様が? 珍しい事も有るものですね。……ん? これは…」
お、おい、あんまりじろじろ見ないでくれ。俺自身も何故そんなものが出たのか怖いやら恥ずかしいやらでどうすればいいのか分からないのだよ。
その後、夜着をつまんでモジモジしている俺に気付き、一瞬恍惚とした表情を浮かべた後
「これは洗濯へ回させていただきますね」
と言いつつ、本日の洗い場担当の使用人を呼び、何やら耳打ちしつつおねしょ下着を持たせていた。
な、何を吹き込んだのかね、アセーラ君?
その日の朝食の席で、今朝の失態が忘れられず、家族との会話にもどこか上の空だ。
「…リース? どうかしたのかい? 何だか今日は朝から元気が無いように思えるけれど…」
「な、何でもありませんわ、お兄様。そ、それにしても、今日の朝は冷えましたわねぇ、ほほほ」
「うーん……?」
怪訝そうな顔をされたが、13歳にもなっておねしょをしたなどと家族に言えるはずも無く、適当にごまかすしかない。
妙な視線を感じてお兄様の反対側を見やれば、アセーラが微笑ましいものを見るように目を細めている。
くっ、アセーラめが! そんなに俺の失態が可笑しいか! 先日の親友兼姉発言は取り消しだ!
アセーラは、俺の眼光に気付いたのか、そ知らぬ顔であさっての方向を向いてその視線をかわす。
「…む、リース。今日もどこか調子が悪いのかい? 家に通う名医でも分からない病があるのやもしれんな…。もしくは、リースをどうにかするために攻撃的魔術をどこぞの
「…あなた、女には知られたくない事の一つや二つあるものです。むしろリースはよく家族に相談してくれている方ですよ。
それに、あの症状は一見しただけでは分からないものでしょう。ルジェ先生が見分けがつかないのも無理はありません。
それから、攻撃的魔術だなんて…残っているかも不確かなものを疑う前にもっとよくお考えにならないと」
「うん? どういうことだい、マルシャ?」
「はぁ、分からないのね。後でお部屋に伺いますわ。…せっかくですからクローズも一緒にいらっしゃい」
「はい、分かりました、母上。朝食後、一時してからほどで宜しいでしょうか」
「えぇ、それで結構よ。ではあなた、後でね」
俺だけのけ者かい…。
まぁいいさ。軽い頭痛は治まらないが、辛くてどうしようもないって事もないし、新しい読み物にでも手を出しますかね。まだまだ、下町での掘り出し物の在庫は沢山あるからな!
自室へ戻ると、アセーラも
「申し訳有りません。別件で出ねばなりませんので、少しのお時間、お暇を頂きます」
と然も申し訳無さそうに頭を下げて出て行った。
そんな気にしなくてもいいのにな。侍女が主人のそばを離れるのは滅多に無い事だからまぁ、しょうがないんだけどさ。
今度、彼女達にどうにか休暇をあげられないかお父様に相談してみよう。全員住み込みだから休暇を貰ったところで…な気がしないでもないがね。
そんな事を考えつつ、下町で買った読み物で時間を潰しながら、その日は終わった。
いや結局昼食の席でお母様に聞いても、夕食の席で他二人に聞いても要領を得ない答えしかもらえなかったしさ。不貞寝だよ不貞寝。
翌朝、昨日同様下半身に違和感を覚える。まさか…2日連続……? 恐る恐る下着をずらし下着につけてしまったであろうモノを確認する。
全身の血の気が引いていくのがわかった。
「ぎにゃあああああああああああああ!」
前世での記憶ですら言った事のない悲鳴が出てしまった。が、今そんな事はどうでも良い!
ヤバイヤバイヤバイ。変な茶色いもんが着いてる! 何だよこれ。
涙目になりながら、下着をずり下げたまま、恥部へ指を宛がう。
どっか腐ったんじゃねえのこれ。俺、享年13歳? 前世でも往生した記憶無いんだけど。
幸いか、触った感触は、プニプニしてるだけだった。特にどこかがヒリヒリするとかも無い。
「お嬢様あああ!! どうされましたか!? ご無事です……か……かはっ!」
アセーラがすっ飛んできた。涙目の目と目が合う。
あ、赤い噴水出して倒れた。
「お嬢様あああ! うお、アセーラ様っ!? どういうことだっ? 何があった!?」
まさに阿鼻叫喚という言葉が相応しい。俺は自分の異変もあるし、信頼するアセーラが倒れてどうしたら良いかも分からない。
次いで駆けつけたマシューも、俺がめそめそしながら
「アセーラぁ…」
とかベッド上で呟いてるから敵襲なのかの判断も着かない。
俺の悲鳴を聞きつけてどんどん使用人連中や、私兵が駆けつけたため、もはや噂が噂を呼ぶ様相を呈していた。
「……う、うん……。…はっ!? お嬢様!?」
「アセーラっ! 無事だったのですね! 良かった……。ぐすん…」
顔にべっとりと着いた血を拭おうともせず俺の傍に駆け寄り、抱きしめてくれる。
「アセーラ……し、下着に茶色いものが着いてて…私それを見て焦ってしまって…。うぅ、ぐすっ…ごめんなさぁい…」
涙声で上手く伝えられたかは分からないが、アセーラは得心が行ったという顔で頷き
「少しお待ちくださいね」
と優しく耳元で囁いた後、入り口に詰め掛ける人達の下へ歩いて行った。
「お嬢様は大丈夫です! 少し悪い夢を見て気が動転されていただけです! 皆、落ち着いて持ち場へ戻るように!
あぁ、クローズ様。クローズ様も、朝のご準備にお戻りくださいませ。お嬢様は心配要りません。昨日奥様からご説明があったアレだと思われます」
アレが何かは分からないが、お兄様もピクリと眉を動かした後、やさしい笑顔で
「そうか…」
と呟きつつ、部屋を出て行った。
それを見送ったアセーラは、微笑を浮かべつつ此方へ戻ってきた。
「お嬢様、申し訳有りませんが、下着を昨日同様少しだけ拝見させていただいても宜しいでしょうか? もしかしたら私の考えとは違うものの可能性も無い事もありませんので」
言われるがまま、下着を脱ぎアセーラへ見せる。こちらは自分の体が腐る奇病かと思ってビクビクしていたので、素直にそれに応じる。
俺の掲げる下着を確認したアセーラは、コクと頷き、安心したような、胸のつっかえが取れたような顔をした。
「お嬢様…。おめでとう御座います」
「……えっ?」
突然の祝福に、頭が着いて行かなかった。
「お嬢様は、淑女の階段を、また一歩御上りになられたのですよ。…それは、ご病気の類では無く、初経で御座います」
「しょ…けい……?」
「はい、お嬢様のお体が、成長した証で御座います。これから末永く付き合っていかねばならないものでは御座いますが、一人前の女性の体に成ったという事です。ですので、おめでとう御座います」
それから、今までの軽い熱や頭痛、昨日の透明なおねしょも初経の前段階だったのだと教えられた。
さらに、これから一定周期で月経が起こる事、その前後で体調を崩すかもしれない事も教えられた。
そして、今日はお祝いをしなくてはならない為、使用人達や料理場の人達に話してくると言い残してアセーラは静かに背を向けた。
「そうそう、もう一つ御座いました。これはお説教で御座います。人前であのようななまめ……けふんっ、不埒な格好はしないよう、ご注意くださいね。
あの光景は、私の心のアルバムに綴じ込み、墓場まで持ってゆきます」
「わ、忘れなさいっ!」
俺の投げつけたクッションをひょいと避けると、そのまま扉を閉めて行った。
くそっ! 覚えていやがったか…。
しばし悶えた後、朝食の席でお母様にお祝いのお言葉を貰い、お兄様にも笑顔で
「おめでとう」
と静かに言われた。
お母様に知っていたのか昨日の件もあるので、知っていたのではないかと詰問した所、吹けもしない口笛を吹きながら目線を外された。
こういう重要な事は言えや…。お母様は相変わらずだった。
お父様も同じようにご祝辞を下さったのだが、目が遠くを向いていたので、心から祝ってくれているわけではなさそうだった。何か形式的だったしね。
夜にお祝いをしようという事で、朝食が終わってからは屋敷が久方ぶりに少し賑やかだった。
すれ違う使用人達が口々におめでとう御座いますと頭を下げてくれるものだから、妙に気恥ずかしくなってしまい、昼食後は部屋に引き篭もることにした。
今日の夕食は、ホールを使うらしいとの事で、呼びに来てくれたアセーラと共に向かう。
私兵とも使用人ともほぼすれ違わない静かな一時だ。皆俺が恥ずかしがっているのを考慮して遠慮してくれているのだろうか。いい家臣達だよほんと。
ホールの大扉を開くと、使用人や私兵がほぼ集合していた。
俺の姿を確認すると、皆一様に此方を向き、笑顔で大合唱を唱えられた。
『お嬢様! おめでとう御座います!』
圧倒され、あっけに取られつつ背中を押され、ひな壇に用意された席に着く。
両サイドには家族達が既に座っており、相変わらずお母様はいたずらが成功したようなニヤニヤ顔をしている。
「主役がやってきたようなので、始めよう! この度、我等が愛娘、エアリースが初経を迎えた。よくぞ此処まで育ってくれた、有り難う。クローズの時もそうであったが、ささやかながら祝いの席を用意したので、リースも使用人諸君らも、今宵は楽しんで欲しい。では、皆グラスは持ったかな? ───…乾杯!」
『乾杯!』
一斉の唱和の後
「おめでとう御座います!」
とそこかしこから声が上がる。
有り難うなどと返事をしつつも未だ疑問が拭いきれて居ない俺に、お母様が事の説明をしてくれた。
曰く、ランドグリス王国の発展の為には、国民の増加が必要不可欠であるが、何かしらの事故や事件で未成熟児の死亡率が大人に比べて倍以上も高いのだそうだ。
貴族で言えば社交界へ出られるのが13歳と決まってはいるのだが、平民にそんな決まり事は無い。そのため、精通・初経を境に本当の大人として認め、よく此処まで元気に育ったと各家族で思い思いのお祝いをする慣わしなんだとか。
そんな説明が終わるか終わらないかぐらいに、楽隊の人達が演奏を始めた。
突如お兄様に手を引かれて、ホールの真ん中に連れ出され、ダンスを踊らされた。
舞踏会とは違い、そんなに広いスペースではない上に、衆目を集めた中でのダンスに非常に緊張した。
それが終わると、お父様とお母様も降りて来て、今度はアセーラを相手に踊った。お兄様も適当に使用人を連れてきて、家族皆で踊る。
さらに、それも終わると、もう後は無礼講とばかりに、使用人達が次々家族達に押し寄せ、代わる代わる踊っていった。
曲調もよく練習したソーシャルダンスの演目ではなく、スイングのようなものに変わっており、特に踊り方にルールの無いものに変わっていた。
俺も少し酒を入れてから、段々楽しくなってきて、ケラケラ笑いながら皆との一時を楽しんだ。
普段物静かな、自ら前へ出てこない感じの男性使用人が突然ブレイクダンスのような踊りを披露したのには驚かされた。皆かくし芸を一つや二つもっているようだ。
散々笑い、踊りつかれた所でお開きとなり、部屋に戻った。程よい疲れに部屋へ戻ると直ぐに睡魔に襲われ、心地よい眠りに落ちて行った。
翌朝、目が覚めると下着に違和感が……という事も無く、密かに安堵した。
いや、初体験は怖いよね。マジでどうかなったかと思ったもん。
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