第4話:公爵令嬢は夢一夜

 その夜、早めの就寝を宣言した後、古典的なクッションを縦に重ねて、写生用のカツラをそれに被せてそっと窓から庭へ出る。

 一階の部屋にしていたのが仇になったな! ざまぁみろ。


 首尾よく屋敷外へ出た俺は、昼間幾度と無くやらされていた着せ替え人形時にこれはと思いくすねていた、町娘風の衣装で下町へと出た。


 こんな夜にやっている酒場なぞ貴族街には無い。


 それに、おっさんにとっては下町の飲み屋が世間との社交場なのだ。


 夜に紛れこそこそと歩き、薄明かりの漏れている建物を見つけた。

 下がっている絵看板は酒場を意味する樽だ。

 ガシャン と立て付けの悪そうな扉を開け、中へ入る。


 時間からかそういうお店だからか、物静かな雰囲気だ。


 わいわいもいいが、やはりこういう所で焼酎を呷るのが俺は好きだ。

 手近なカウンターに腰掛け、壁に掛かるメニューを見る。


 エールと幾種類かのワインに樽酒…ウイスキーか何かだろうか?

 とりあえず、もう数ヶ月も飲んでいないのと、この身体でのまともな飲酒は初めてということで、手軽なエールから頼むことにする。


 先ほど高尚にも焼酎を呷るとか言っていたが、要は唯の酒好きだ。

 アルコールが感じられればぶっちゃけ何だって良い。


 出てきたエールに恐る恐る口を付け、付けたら一気に呷る。


 喉を鳴らしつつ、ジョッキ半分ほど平らげると

「ぷはぁーっ!」

 と息を吐くツク。う、うまい! テーレッテレー!


 何という事だ…! 久々に飲む唯のエールが此れほど旨いとは!

 思わず、残りも全て飲み乾してしまった。


 酒場の主人に

「お、とてつもない別嬪さん、いい飲みっぷりだねぇ!」

 などと絡まれたが、そんなのの相手をしている場合ではない。

「おいしいですわね」

 と愛想笑いを返してさっさと次のウイスキーっぽい奴を注文する。


 酒場の主人は一瞬止まると、頭を振りカウンター下でごそごそした後

「あいよぉ! これはおまけだ!」

 とニコやかに宣言し、俺の前に樽ジョッキを置いた。


 なんだ、良い奴じゃないか。酒飲みは豪快でなくてはな。


 つまみの塩の効いたナッツを一口かみ締めた後、樽ジョッキを傾ける。

 此れもうまい!


 この店はいい酒を揃えているな! 心のメモ帳にそっと刻み込んでおいた。


 ふと横を見やると、俺と同じお一人様が此方に背を向けテーブルで何かを飲んでいる。


 こういう下町の飲み屋では、その店での一期一会が楽しみでもあるのだ。

 酒好き皆兄弟!


 フラフラと立ち上がり、俺はそのテーブルへと赴くことにした。…む、予想以上に酒が回ってる気がする。

 最初からペースを上げすぎたか、若しくはこの身体がアルコールに弱いか。

 たぶん、両方だな。そういえば一口ワインを口つけただけで、顔が上気しているような気がしたしな。


 くだらない事を冷静に分析しつつ、お一人仲間の対面に座った。


 ここに来るまで俺の存在に気付かなかったのか、その兄ちゃんは顔を上げると、大層驚いたような顔をした。

 蝋燭で確保された薄明るい店内であっても、輝くような金髪に、切れ長の目、庇護欲をくすぐる吹けば飛ぶような儚さを纏った青年だった。


 うわぁ…、男の俺から見ても庇護欲を擽られるなこの兄ちゃんは。

 もうちょっと飲んで理性がぶっ飛んでたら危険な一線を越えてたかもしれんな。


「相席よろしいかしら? 何やら悲しいお酒を飲んでいるように見えましたので、少々気になりまして。

 お酒は悲しいことを忘れ、楽しく味わうものですわ。

 貴方のその美しい顔に、泣き酒は似合いません」


「あ、あぁ、すまない。そうだよね。ちょっと嫌な知らせが届いてね。

 それを流そうと酒場に来たのに、何か色々考えちゃってさ。

 まとまりがつかなくなっちゃってたんだ。…あっと、すまない。

 僕の名前はイントという。君の名前は?」


「私は…アリーシャと言います。一人で飲んでいるから考える時間を得てしまうのですわ。

 さぁ、楽しく飲みましょう。貴方の事を教えて?────……」


 こうして俺は行きずりで出会ったイント君と大いに語らった。

 脚色しつつ前世で思い出せる範囲の酒場での楽しい出来事を言って聞かせたり、イント君の普段していることなんかを聞いたりした。

 一時間半ほどそんな事を続け、そろそろ酒の回りと時間がやばそうだったので、お暇する事にした。


 そこでテンプレ的に気付いたのだ。


 金を持っていない・・・っ!


 イント君に盛大に笑われ

「酒をせびりに来たんじゃないのか本当は?」

 などと言われ、大いに傷ついた。

「次に会った時は私が全額奢ってあげますわ!」

 と口を尖らせ、高らかに宣言すると、最初の陰鬱とした表情からは嘘のように柔和な微笑みを返してきた。


 男相手にクラッと来てしまった。こりゃそうとう酔ってるな…。


 イント君に貴族街の入り口まで送ってもらい、コソコソと屋敷へ戻りベッドへ滑り込んだ。


 目を閉じていても若干ぐらつく視界に久々の酔いを感じ、心地よく眠りに就いた。


 翌朝、軽くはあったが二日酔いに掛かり、風邪を引いたと勘違いされ、より厳重に部屋へ軟禁されたのは余談である。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 今日、ありえない所から手紙が届いた。

 それには、本当の母の居場所や自分の出生の秘密が書かれていた。

 十五歳になったら届くように定められていたと配達人の人が言っていた。


 僕は、記憶のある時には既に孤児院にいて、ママ先生が、僕の認識の中では親だった。

 身体よりも頭を使う方が好きだった僕に、ママ先生は色々勉強を教えてくれた。


 十三歳で成人して、先生の孤児院運営を少しでも楽にするために働きに出た。

 王立図書館の司書の枠が偶々空いたので、すぐさま応募し、そして合格することができた。

 先生にしっかりと勉強を教えてもらったおかげだ。


 ここでも先生に助けられてしまった。莫大な恩を少しでも返すため、一所懸命に働いてお金を入れることを再び誓った。


 働き始めて二年経ち、十五歳になって少し経った頃、先の手紙が届いた。

 僕は大いに困惑し、どうすればいいのかと悩んだ。

 あまり誘われない限りは足の向かない酒場へと珍しく行ってしまった。

 酒の力を借りてでも、一旦この事を忘れてしまいたかった。

 でも、飲んでも飲んでも頭から離れず、酔いによって思考が若干鈍るため余計に土壷にはまっていった。


 そんな時、鈴のような声が聞こえた。


 ふと顔を持ち上げると、目の前に天使が居た。

 酔いすぎて幻覚でも見たのかと、大いに自分を疑った。


 目の前のそれは、僕の悩みを見透かし、それでいて諭すように話しかけてくれた。

 焦って名前をいう事くらいしか口に出来なかったが、それでも猶全ての男が腰砕けてしまうような柔らかな笑みで迎えてくれた。


 幻でも良いから、このひと時を逃すまいと思った。


 彼女の話は、創作話のように現実離れしていたが、顔に似合わない下世話な話や感動的な話まで、非常に幅広く、どんどん惹きつけられて行った。


 非常に幸福な時間だったが、気付かぬうちに結構時間が経ってしまっていたようだ。

 そろそろ行かなきゃという彼女を、引き止める甲斐性が僕に無かった事が悔やまれた。


 しかし、彼女がお金を忘れたなんて青ざめた顔で言うものだから、笑ってしまった。

 こんな素晴らしい時間を与えてくれた彼女に払わせる気なんて最初から無かったのに、ちょっと冗談を言ったらかわいらしく口を尖らせて、次の約束までくれた。

 この幸運に、全力で乗る事にした。


 最後まで送ると言ったのだが、頑なに貴族街の前で拒まれてしまった。


 走り去る彼女の背中を眺めながら、一体どこの屋敷の使用人だろうと思案した。

 いや、あんな美しい使用人が下町に買い物に来ていたら確実に噂になってるはずだ。


 ともすると、侍女が暇をもらって夜遊びでもしに来たのだろうか。

 となれば、次に会えるのは本当にいつか分からない。

 僕の心は別の理由で暗雲に飲み込まれるのだった。


 アリーシャと名乗った彼女、一体何時また会えるのだろうか…。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

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