お白湯

医師からの診断は不眠症だった。

処方箋で睡眠薬を手にする。これでよく寝られるだろうと少しばかりの期待と感傷に浸りながら僕は薬局を後にする。

この粒に想いを込めながら歩く会社帰りには暗い部屋に明かりがついたような安心感があった。


母の日に街の夕焼けはやけに優しさが感じられる。

それは褪せたオレンジが僕の影を長く伸ばしているようだ。

 そして、細部にまで行き渡った光と闇の哀愁を愛念で包み込むように温かみに満ちたものにぼやけている。

花屋はもう少しで店じまいをする所だった。

白いカーネーションを買い僕は思慕の思いに揺れる。


追憶を辿るように母が昔、寝付きの悪い僕のために絵本を読んでくれたことを今でも覚えている。

温もりがまだ鬱陶しくない頃の僕は幼かった。庇護の中でも泥濘に沈みゆく眠りが心地よかったことも覚えている。

母がくれた物が僕を優しくした。


特別な日を前に散歩気分で花束と睡眠薬を持つアンバランスな僕はチグハグさにおかしさを覚える。愛と病的な安寧。

甘美な響きに街はネオンが灯されていた。

まるで僕を置き去りにしていくような思いは静かに消えていく。


思いが消えた時、僕は母の墓所へとたどり着いていた。

よく寝られるだろうと墓前にカーネーションと睡眠薬を供える。

―――安らかに眠れ。

丁寧に拝んだ。

医師に吐いた少しばかりの嘘も母は許してくれるだろう。

夕闇が迫る中、母がくれた優しさを返す時がきたんだと僕の心模様は母色に染まっていた。

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お白湯 @paitan

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