バレンタイン

 

 2月14日のバレンタインデー、私と航平が恋人同士になってからは初めてのバレンタインである。といっても、今までも毎年チョコをあげていたのでやることは変わらない。確か去年はガトーショコラをあげたのだったか。

 さて今年は何を作ってやろうかと色々悩んだ末に、生チョコにすることにした。


 大まかな作り方は知っているが、念のためお菓子メーカーのホームページに書かれてあるレシピを見ながら調理していく。

 市販の板チョコを刻んで、温めた生クリームの中にそれをいれ、泡立て器で一気に混ぜる。するとクリーム状になったそれを、オーブンシートをひいたバットに流し込んで冷凍庫に入れて冷やして固める。


 一時間ほど立ってから、冷凍庫から取り出した。爪楊枝で固さを確かめると、ちょうど良い感じになっている。バットをひっくり返して、大きな皿の上にのせる。温めた包丁でそれに格子状に切れ目を入れていき、正方形の生チョコが複数できる。

 最後にココアパウダーを振りかければ完成である。爪楊枝を刺して穴が空いた場所の生チョコを一つ食べてみる。口に入れた瞬間にほどよく溶けて、生チョコ特有の食感はきちんと再現されている。味も問題はなかった。

 友達に渡すぶんと、今日航平と食べるぶんを分けて冷凍庫に入れておく。


 料理が終わったところで、スマホを起動してLINEで航平を呼び出す。「チョコできたよ」とメッセージを送るとすぐに既読がついたので、もうすぐ来るだろう。なんて考えているとインターホンがなった。予想以上に早くて戸惑いながら、玄関のドアを開けると航平がいた。もしかして、自分の家で待っていてくれたのだろうか。


「よう」

「いらっしゃい、私の部屋で待ってて」


 航平を私の部屋に入れてから私はキッチンに向かった。ついさっき完成したばかりの、冷凍庫で保存しておいた生チョコの皿を取り出して、ラップを外してスイーツ用のフォークと一緒に持っていく。


「おまたせ」

「今年は生チョコか」

「うん」


 テーブルに皿を置いて、フォークを航平に渡して、飲み物を忘れてしまったことに気づいた。


「コーヒー? 紅茶?」

「コーヒーで」

「ん」


 一旦キッチンに戻ってお茶を淹れる。航平と私の二人ぶん、コーヒーの入ったマグカップを持っていく。マグカップからコーヒーが溢れないように、ゆっくりと廊下を歩いて航平の待つ自室に向かう。

 部屋に入ってお皿を見ると、生チョコが一つ減っていた。よく見ると、航平に渡したフォークの先端も少し汚れている。少しくらい待てないのかこいつは。


「つまみ食いしたでしょ」

「ばれたか」

「美味しかった?」

「めちゃくちゃ美味い」


 笑いながらそんな風に誉められると、つまみ食いを責められなくなってしまう。マグカップを航平に渡して、私も一つ摘まむ。

 当然ながら、先ほど味見したときと同じ味だ。いつも通り美味しい。


 さてもう一つ食べようとフォークを差し向けて、突き刺そうとした生チョコが寸でのところで航平に横取りされた。航平のフォークには3つほど生チョコが同時に突き刺さっている。連なった生チョコのキューブを、航平は一口で頬張って食べた。


 一つずつ味わって食べてほしいとも思ったが、そうか、私を基準にした一口サイズでは航平には小さすぎるのか。

 皿の上に残っているうち、一番小さな生チョコを選んで、それをフォークに刺して食べた。


 そんな風に生チョコを二人でつつきあっていると、そういえば来月で付き合ってから一年になることを思い出した。所謂、一周年の記念日だ。大抵のカップルはパーティーでもやるものだが、果たして航平は覚えてくれているのだろうか。


「航平、来月であれだよね」

「来月? なんかあったっけ?」


 付き合ってから一周年だ、気づけ気づけと目で訴えかける。

 まあ私も正直、今の今まで忘れていたし、記念日などさして気にするような性格でもないのだが、こうも素で忘れられるとさすがに腹が立つ。

 なるほど、これも女心のうちの一つかなどと思ったので、さらに航平を試してみることにした。


「ほら、21日」

「……わからん」


 腕を組んで考え込む航平だが、考え込んでいる時点でアウトだ。このまま待っていても思い出してくれそうもないので、潔く答えを言うことにした。


「付き合ってから一年です」

「……あ」


 やってしまったと顔に書いてありそうな表情だった。口をポカンと開ける航平は面白かったが、このまま許すだけでは面白くないので、両手をお皿に伸ばして、まだ生チョコの残っているそれを航平の前から取り上げた。


「はい生チョコ没収ー」

「ああああ、ごめんごめん!!」


 慌てふためいているのは、記念日を忘れたことによる私への罪悪感か、それとも食べられなくなった生チョコへの未練だろうか。早口で謝罪を捲し立てる航平にどこか可愛らしさを見いだしながら、お皿を手元に抱き込んで、残っている生チョコを続けざまにパクパクと頬張って一気に平らげた。失敗したような、悔しいような表情の航平はがくりと項垂れていて、そんな仕草をされると可哀想に思ってしまう。


 この状況をどう終幕しようか考えて、ひとつ悪いことを思い付いたので思いきってそれを実行することにする。

 口の中に頬張った生チョコはもうほとんど溶けていて、あとは飲み込むだけなのだが、敢えてそうせずに航平に近づいて彼の頬を両手で掴む。


 胡座をかく航平の頭を見下ろすために、私は膝で床に立つ。なにをしようとしてるのか察しのついている航平に、私はキスをした。

 彼の唇を自分の舌で割り開いて、そのまま溶けた生チョコを流し込む。外に漏れないように、しっかりと隙間なくお互いの口の端までを覆い、航平の歯の隙間に差し込んだ舌を縦に丸めて、さながら滑り台のようになったその上をチョコがゆっくりと流れる。唾液混じりの、どろどろのチョコが流れきるまでにはかなりの時間が必要だった。食べ物を口移しするというのはあまり行儀のよい行いではないが、今日くらいはいいだろう。たまにはこんな遊びがあってもよい。


 私が上で航平が下。普段とは頭の位置が逆の口付けであった。

 私の口内からチョコが無くなっても、お互いしばらく離れなかった。


 航平の喉がなって、全てのチョコが無くなった。そのまま舌を絡めあっていると、鼻を抜ける空気が、だんだんチョコの香りからお互いの匂いに移り変わる。

 それで、ようやく口をはなして、私は航平にこう言った。


「いつものお返し」


 短く言葉をまとめたせいで、航平にはその意味がわからなかったらしい。こちらの意図を探るような、そんな表情をしている。鈍感な航平にさらにヒントを与えてやった。


「ホワイトチョコのほうが良かった?」


 その一言で意味が通じたのか、未だ至近距離にある航平の顔が一気に朱に染まり、彼の目が逸らされた。そのまま、意地悪く顔を近づけたまま、目線の先に己の頭を動かす。また反対に目を逸らされたので、頭をそちらに動かす。私たちの下らない遊びはその後しばらく続いた。


 なかなか、愉しいバレンタインだった。


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