毒吐く文集
『私を始まりにしてください。恥をかく覚悟はあります。
私が生まれるより前に死んだ人をもう一度殺してください。思い出が重いのです。
会計学において資産が負債と純資産の和であるように、過去の思い出も負債と純資産に分けられます。私の負債は大きすぎるのです。あまりにも大きくて足枷になっています。負債が資産を超えればそれは債務超過となります。
私の過去は債務超過を起こしています。そんなものを相続させられるのはあまりにも理不尽です。債務となった過去をセピア色の粉で飾り立てるのはやめましょう。延命させる価値などありません。過去が長くなるほど、資産は増え負債も膨れ上がります。
金閣寺は眩しすぎます燃やしましょう。
東京タワーは高すぎます倒しましょう。
スカイツリーは大好きです、今は。
西暦は2000年も必要ありません。
平成だけで十分です、昭和より以前は必要ありません。
背後にあるセピア色のガラスの向こうを更地にしましょう。そうすれば誰もそんなものに興味を向けません。ただ前だけを見ましょう。負債を覆い隠すことしかできないイカ臭いガラスなど見る必要はありません。
イカスミが原料のセピア色は夕焼けの紛い物です。騙されているだけです。ただの錯視です。
本物を見ましょう。目の前にある沈む夕日を見ましょう。それを見続けるために走り追いかけ、陽が地平線に沈まないようにしましょう。
私以前のものは必要ありません。ゼロから始めましょう。そうすれば足枷はありません。
私を解放してください。背後にある思い出を粉々にしてください。粉飾したところで足枷は消えませんし、むしろ飾り立てたぶん重くなります。
二度と郷愁を抱かないように死ぬ前の私を無茶苦茶に壊してください。私一人ではできないのです。誰かの手助けが必要なのです。もちろん、その手助けへの対価は支払います。支払わなかったところで、それが負債になることに変わりはないのですから』
中学の卒業を間近に控えたある日、私は担任の先生に呼び出された。どこからかコーヒーの匂いがする職員室で、私は担任のデスクの横に立たされている。安っぽいローラー付きの椅子に座る担任が口を開いた。
「桜田、呼ばれた理由はわかるか?」
「全く心当たりがありません」
「これだこれ」
そう言ってから担任が取り出したのは、先日私が提出した卒業文集の原稿だった。どうやらこれが私の呼び出された理由らしい。
「これがなにか?」
「桜田、俺はお前のことを優等生だと思っていた。成績もいいし、素行もいい。模範的な生徒だ」
「はあ」
「だからこの原稿を読んだときはビックリしたぞ。お前大丈夫か?」
「別に病んだりしてません、あるがままの気持ちを書いただけです」
「ああ、そういやお前は文芸部だったか……」
呆れたようにため息を吐く担任は続けてこう言った。
「とにかく、これは書き直しだ」
「残念です……」
「もうちょい当たり障りのないやつを書け、普通のやつを」
そういえば、小学生の時も最初に書いた卒業文集をボツにされたのを思い出した。担任に、こんなものを文集に載せるわけにはいかない、と強く否定されたのだ。結局、小学生らしい内容に書き直して提出したのだったか。
目の前にいる担任に、あなたの仕事は編集者なんですかと問いただそうかとも思ったが、やっぱり黙っておくことにする。公務員が頭でっかちなのはどこも同じだ。
別に他人の卒業文集なんて誰も読まないだろうに。私なんて自分の親すら読んでくれないのだぞ。
「わかりました、明日には書いて持って来ますね」
「ああ、そうしてくれ」
担任は、話は終わったという風に仕事に戻った。返却された卒業文集の原稿を持って職員室を出る。
マフラーを巻いた生徒たちが歩く廊下を逆走して、自分の教室に着いた。扉を開けると、誰もいない教室にある一つの机の上に、ポツンと置かれたカバンが見える。掃除当番の生徒もすでに帰ったようだ。カバンの中に原稿用紙を詰めるとそれを持ち上げて教室を出た。
来月には高校受験が控えている。航平にも、陽菜にも最近よく勉強を教えている。二人とも頑張ってやっているので、きっと第一志望に受かるだろう。そうであって欲しい。あの子たちが泣く姿を見たくはなかった。
「寒いな、早く帰ろう」
カバンからマフラーを取り出し自分の首に巻く。私も周りの生徒に溶け込むように下校した。
数ヶ月後には、私たちは中学生ではなくなる。
校門を通ったところで、チラリと後ろを振り返った。三年間通った校舎が見える。
「家に帰ったらコーヒー飲もう」
独り言を呟いた。
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