第16話 水泡に帰す
それなのに、休みの日に出かけた先で同じ学校の女子に会うなんてことは、これまで一度もなかった。
初体験、だ。
こんな形で……
「きれいな子ほど狙え、だ。きれいな子ほど、あきらめるな。むしろ狙い目だ。ほかの男子が敬遠してる可能性が、ひっじょ~に高い。まじだ」
おれは、そんな
「いないよ。彼氏とか」
という
しかし――現実は――
「…… ……」
「……! ……?」
この距離とこの雑音じゃあ、二人の会話の内容は聞き取れない。
だが、はずんでいる。遠峰さんの顔は明るい。彼女の正面にいる男の人のほうは、角度的に後頭部しか見えない。
ちょ、ちょっとまて、落ち着くんだ。
やばい。
自分でも知らない間に、息があらくなっていた。すー、はー、と呼吸して、ゆっくりとアイスカフェオレを飲む。
パニクってる場合じゃないぜ。
可能性を考えろ……そうだ! 兄貴とかじゃないのか? もしくは父親か? いや、それにしては少し雰囲気が若すぎて無理があるな。髪型や仕草、ちらちら見える顔の一部から想像するに、二十代前半という印象。だったら、兄、または年の近い
二人がつき合っている仲だとは、まだ断定できない。
慎重にいけ慎重に。
くそ。距離が遠すぎる。いったい、どんなことをしゃべっているのか――
(あ)
という表情。
遠峰さんの細い眉があがって、二重の目がパッチリとひらく。
目が合う。完全に、おれの存在を気づかれた。
スマホに着信。
「よう、白川。おれだよ」美女木の声。「まさか家でゴロゴロなんかしてねーだろーなぁ? ちゃんと外にいるか~? 私服チェックしてやるよ。自撮りしてこっちに送れよ」
「それどころじゃない……」
「あ?」
スマホをテーブルに置いたまま、おれは、立ち上がった。
白川っ! と、あいつが大声を出しているのがスピーカーから聞こえる。
うしろから追いかけてくる足音。
どうしておれは彼女から逃げてるんだ?
「待って!」
二人とも息切れしていた。
ATMが横にずらりとならんでいる。デパートの……ここはどのあたりだろう。誰もつかっていない階段も近くにある。建物の
ばたばた、と警備員の人が駆け寄ってくる。
「どうしました?」
「あ。大丈夫です。彼は私の友だちで……」
友だち、か。
じゅうぶんだろ? この間まで、おれは遠峰さんと面識すらなかったんだぜ。
いいじゃん。俗にいう〈いいお友だち〉ってやつだろ?
大健闘だよ。
なのに――なんでこんなに
お店の中を走っちゃダメだよ、と一言だけ注意して、警備の人は立ち去った。
「ねぇ、どうして私から逃げたの」
おれを心配するような、やさしい声だ。責めるような調子は一ミリもない。
「わからない」
ありのままをこたえた。
今度はおれが質問する番だ。
「あの、いっしょにいた男の人は……?」
ここで彼女が笑ったのは、意外だった。
ちがうちがう、と手をふる。
「あれはね、予備校の先生。たまたま会っただけだよ」
たまたまね、と強調するように彼女は二回言った。
「全然つき合ってるとかそんなんじゃないから。でも」
ピッピッピッ、とときどき聞こえてくるATMのボタンを押す音が邪魔だ。静かにしてくれ。
「みんなに誤解されると困るから」
今まで見た中で、その表情が一番きれいだった。
はっきり言って、グッときた。
「ないしょにして、ね?」
おれはすべてをさとった。
どこからどう見てもこれは、恋する女子の顔。
相手はもちろんおれなんかではない。
同席していたあの男の人だ。
気づくのが、おそかった。
たぶん、この遠峰さんはウソはついてないんだ。今、カレシはいない。だからおれはチャンスがあると思った。そこがダメだったんだ。どうして〈誰か好きな人がいるかもしれない〉という可能性を考えられなかったんだ。
好きな人がいて、自分にふり向いてもらうために行動を起こす。
まさにおれがやっていることを、
「ね? おねがいよ」
彼女がほかの誰かに対してやっていたって、何もおかしくはない。
恋人はいない。ただし好きな人はいる。そのパターンは絶望。
小手先のテクニックだけのおれには、ライバルに勝てる見込みなんかゼロなんだから。
「白川君? 大丈夫? 気分でもわるい?」
肩に手をおき、遠峰さんがおれの顔を下からのぞきこんだ。
強がりたいけど、コンディションは最悪だよ。
もうやけくそだ。
「遠峰さん。遠峰
店内に小さく流れていたBGMがちょうど切り替わるタイミングだったのか、あたりが無音になった。
どくんどくん、と心臓の音が聞こえる。
結果はわかってる。でも、今までやってきたことを無駄にしたくない。
「告白しても、すぐ返事をもらおうとするなよ~。あせらずに、自分のことをよーく考えてもらったほうが、成功率は上がる」
わるいな美女木。はじめておまえの言うことに
ムードもタイミングもよくない。今すぐこたえてくれという告白の仕方もよくない。イエスかノーとしかこたえられないのもよくない。二人の親密さだって上がってない。いいところは一つもない。
ありがと、と蚊の鳴くような細い声で
ゆっくり、ふかぶかと 頭をさげた。
ピーッピーッピーッ、とお金を吐き出したATMが鳴っている。
試合終了のホイッスルのように。
終わった……
いや……待て……まだ四月……まだ一学期……生徒の数が少ない学校じゃないんだ……ほかにもチャレンジできる女子は、きっといるさ……いや、同じクラスにだって……
(うわっ)
左右の景色が高速で流れてゆく。
なんだこれは。
新幹線とか飛行機とか、そういう乗り物の一番前にいるような。
気持ちわるい。
こらえきれずに目をつむった。
そして、おそるおそる片目だけあけてみると、うすいピンク一色。
目元に何かひっついているようだ。指でつまみとると、
(桜の花びら……?)
見なれた景色。学校の校門前だ。
校舎のほうをふりかえった。生徒がいる気配はない。通常の登校日のような感じがしなくて、これは
「卒業式だ!」
まわりには誰もいないので、おれがこんな大声をあげても反応はない。
どういうことだ?
さっきまで、デパートにいたじゃないか。で、遠峰さんに告白して――
「わたし、好きな人がいるから」
急に思い浮かんだ顔。
これはソアだ。二回目の高三で告白したときのあいつ。
「あ。第二ボタンもらいにいかないと。じゃね~」
――第二ボタン?
そうか、あいつに告白したのは卒業式の当日だったっけ。
だから気がつかなかったが、もしかして、告白に失敗したら卒業式の日まで〈飛ぶ〉っていうのか?
冗談だろ。
冗談だよな。
冗談だといってくれ。
おれは、学校を出た。
(くそっ!)
体が百八十度反転して、一瞬で下校から登校にスイッチする。左右には桜の木。
よ……四回目の高三かよ……。
「あ~っ、彼女つくりてぇなぁ~!」
教室の真ん中で、バスケ部のやつが背伸びとともに言う。
おれは、意気消沈――いや、茫然自失――それとも体調不良とか自信喪失とか、なんといっていいのか、とにかく元気がない。
ひとつ前の席にいる幼なじみ。
何も知らない幼なじみ。
体感時間にして一か月ぐらい前におれをフったことも、おれが遠峰さんにフられたばっかりなことも、当然、知らないんだよな……。
すべてリセットだ。
この〈四月〉じゃなく、さっきまでのあの〈四月〉にいた、ソア、遠峰さん、
みんな、いっせいにこの世界から消えたのかと思ったら、悲しくてしょうがない。
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