第161話

 

 チラッとデジタル時計を見上げたイェナが、小さく呟く。

「──あと五分か……ナツを抱くって約束、守れなかったな」

「ふふ、そうですね」

 イェナと交わした約束はあまり守れなかったけれど、最後に隣で眠れるのなら一番大切な約束は守れるだろう。


「あと結婚も」

「……はい、でもナツは幸せですよ」


 ずっと一緒にいようと言ったから。

 勝手に消えないと、約束したから。


 “大好きだ”と何度も伝えたこの気持ちに、嘘偽りはないから。



 イェナが短剣を握り直すのを見て、私も同じようにイェナから手渡された短剣を握る。

「オレはきっと地獄だろうから、ナツには会えないかもしれないよ」

「……それなら閻魔様に頼み込んで、私も地獄へ行きます」

「……馬鹿言わないでよ」

 デケンに言われたことを思い出す。確かにお世辞にもイェナが天国に行けるとは思っていない。だけど私だって天国に行けるという保証はない。


 死後の世界があるのだとして、私が天国に行けるとしても……どうか愛する人と一緒に居させてほしい。それくらいの我儘は聞いてほしいな、といるかどうかも分からない神様に願った。


「私にとってはイェナ様のいない天国より、イェナ様と一緒の地獄の方がいいです

 それにデケンさんもマルさんもいるでしょう?何十年かしたらフレヴァー様も、ついでにアロ様も。こんなに楽しくて幸せな地獄はないでしょうね!」

「……やっぱり変わってるね、ナツ」

「そりゃあ、なんて言ったって──私はあの変人で有名な、マヴロス家長男様の婚約者ですからね?」

 意地悪く笑った私の額とイェナの額がコツンとくっつく。「そうなの、それは随分物好きだね」と冗談で返してくれた彼に、軽く口付けた。


「それにイェナ様は知らないでしょうが、私も結構悪いことしてますからね?」

「ふーん、例えば?」

 唸りながら自分の悪行を思い出そうとするが、この世界の悪役たちに比べたら陳腐なことしか思い浮かばず苦笑する。私は自分が思っているよりいい子だったのかもしれない。


「……嘘をついたことは数え切れないくらいあるし、厨房で内緒でつまみ食いしちゃったこともあります!」

「うん」

 指折り数えて並べたくだらない悪行にも、イェナは呆れずに相槌を打った。


「イェナ様というものがありながらセリス様に何度ときめいてしまったことか……」

「……それについては容認できないね」

「あはは、でもずっと私の婚約者はあなただけでしょう?」

「当たり前だろ」

 そっと髪をすく指先が心地良い。地獄に行くには物足りない“悪いこと”をつらつらと並び立てて、私は大きく息を吸った。



 ──一つだけ、許されないことがあるとすれば。


 私の最大の罪──それは、この世界に来てしまったことかもしれない。私の存在が原作を壊して未来を変えた。きっとそれは、悪行になってしまうのだろう。


「──未来を変えてしまった私は……どう裁かれるのでしょうね」


 呟いた言葉に、イェナは苦虫を潰したような顔をした。

「……ナツが悪いんじゃない。ナツを送り込んできた奴が悪いんでしょ」

 イェナがまた私を甘やかしてくれるから、私の頬は緩々だ。


「でもその人のおかげでイェナ様と出会えました」

「……そっか。じゃあ感謝もしないといけないね」

 素直な婚約者は私の言葉を信じられないくらいスムーズに飲み込む。それがすごく、おかしかった。

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