第160話
頑なに“好きだ”とは言ってくれなかった。全て行動で示してくれたイェナに不安を抱いたことはないけれど、その直接的な表現に泣かずにはいられない。
「そんなことを聞いて、『はい分かりました』なんて言えません……』
私は地面に落ちているイェナが放り投げた毒針を手に取った。
「──イェナ様が譲らないというのなら、先に自分で死にます!!」
初めて握った人の命を奪うための道具を自分に向ける。イェナは慌てて私の手首を掴んだが、私だって譲れない。毒針を握る手に力を込めた。
「……ナツ、それは許さない」
「許されなくてもいい!!私だってイェナ様に死んで欲しくないもの!!大好きだから!!愛してるから!!」
イェナに怒られてもいい。どれだけ詰られたって構わない。
世界で一番大好きな人がいなくなることを考えたら、なんだってできる気がした。
だって私はこの世界の異端者。存在してはいけないもの。
「イェナ様がいないなら生きていても無意味です!!」
そう泣き叫べば、イェナが大きくため息をついた。
……呆れられたって、愛想を尽かされたって、私の意思は変わらない。
そんな私にイェナは目線を彷徨わせ、どこか躊躇う素振りを見せる。そして何かを決意したような瞳と視線がかち合った。
「──じゃあ、ナツ……一緒に死ぬ?」
「……え?」
少しばかり落ち着きを取り戻した私が不思議そうな顔をすれば、イェナは私の手からそっと毒針を奪い取ると後ろに放り投げた。
「ナツがオレを殺して。オレもナツを殺してあげるよ」
馬鹿げていると言われてもいい。どうせ、死ぬしか道がないのなら。
イェナは絶対に譲らないだろう。それならば。
「……イェナ様が私のためにご自分の命を捨てると仰るなら、ナツはどこまでもお供します」
私は笑う。イェナも今までで一番柔らかく笑った。
「最後まで、そばにいてくれるの」
「愛する人と最後まで共にいられるなんて、こんなに幸せなことはないですね」
「……うん、そうだね」
人はこれをバッドエンドと呼ぶかもしれない。だけど私にとって、そしてイェナにとって……きっと紛れもなく、最高のハッピーエンドだ。
「イェナ様となら、死ぬのも怖くないです」
「うん、オレも」
イェナが近くに落ちていた短剣を拾い上げる。
「ナツがそうやって笑ってくれるんなら──一緒に来てくれるなら、どこへ行ったって幸せなんじゃない?きっと」
危機的な状況であることは何も変わらないし、むしろ今から死ぬことが決まったというのに……私の心は何故か安心感で満たされていた。
「はい、これ」
イェナからそっと手渡された短剣は、彼の手のひらのぬくもりが移っていてまだ温かい。
「花束じゃなくて悪いけど──ずっと一緒にいよう」
両手いっぱいの花束ではない。
小さな箱から輝きを覗かせる豪華な指輪でもない。
二人で生きる未来はもう絶望的だ。それでも、穏やかに笑っていられるのは、私が彼の婚約者だから。こんなにも奇妙な暗殺者と婚約した私も、やはり奇妙極まりないのだろう。
「──最高の、プロポーズです」
涙ながらにそう言うと、イェナは私の髪をひと撫でしてから一連のやり取りを見ていた男に視線を戻す。
「……じゃあそこの人。二人とも死ぬからそれでいいでしょ」
まさかの展開に、首謀者である銀髪の男も口をあんぐりと開けていた。イェナの言葉にハッと我に返るとため息をついて頷く。
「……ああ、わかった」
「あ、あのっ!」
私は右手をピンと上に挙げ、男に向かって声をかけた。美しいその人は「ん?」と首を傾げる。
「最後に、二人だけの時間をください」
私が願い出ると、男は顎に手を当ててしばらく考える素振りを見せた。
「……では10分の猶予を与えよう。その間にけじめをつけろ。どっちみち、時間がくれば強制的にどちらの首輪も爆発するからな」
そう言って指をパチンと鳴らすと、壁に掛かったデジタル時計が“10:00”を示し、“09:59”へと数字が減っていく。死へのカウントダウンが、始まった。
銀髪の男はカウントダウンが始まってすぐ、私たちが時計に気を取られている間に姿を消していた。“二人だけの時間”という願いをしっかり叶えてくれるようだ。
イェナは息をついて少し離れたところまで滑っていた新たな短剣を拾いに行くと、壁際に背をつけて座り込む。
「おいで」
手招きをされ、言われるがまま近付いて正面から彼の胸に飛び込んだ。
「本当に、後悔しない?」
イェナが立てた膝の間に入り込んで、自分の鼻を彼の胸に擦り付ける。その香りに顔を綻ばせた。
「もちろんです。イェナ様の方こそ、嫌なら私を殺してくださいね?」
もう1ミリだって離れたくない私がガッチリと彼の胸にしがみつき、顔だけを上げる。
「しないよ。もう二度と手放さない」
私の首に腕を回して息苦しくなるくらいに強く抱きしめた。
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