第61話


「──それで?何をされたわけ」

 見慣れた主の部屋で不機嫌マックスのイェナが詰め寄ってくるシーンは迫力満点だ。


 正直に言うべきか、否か──。私は人生の岐路に立たされていた、と言っても過言ではない。黙りこくる私に、イェナの顔がどんどん無になっていく。それはもう冷ややかな表情。完全に苛立っている。


 何か変えられる話題でもないものか──と考えてふと思い出した。

『──近いうちに告白するってさ』

 まだアロの声が鮮明に耳に残っている。首筋についた印のことなんてどうでもよかった。私が“いやだ”と感じたのはそんなことではなくて──。


「……イェナ様は、ミル様とお付き合いされるんですか」

「は?あいつと?」

 イェナが心底意味の分からないといった表情をする。心なしか頬が引きつっているようだ。ここまで嫌そうな顔をするのも珍しい。少しだけ安心した。

「あいつになんて微塵も興味ないんだけど」

 そうきっぱりと言い張られては言い返す気もなくなるけれど──。


「でも……あんなスタイル抜群で美しい女性……。色気といい魅力といい、ナツでは勝てるところがありません……」

 ぽつりぽつりと言葉を吐き出せば、イェナは黙り込んで私の髪を撫でた。

「……寂しいです、ナツは。イェナ様に恋人ができるのは寂しくて嫌です……」

「……」

 確かに私は婚約者という肩書があるけれど、それはきっととても危うくてすぐに崩れてしまいそうなもの。イェナが適当に決めたのだから、彼が他の人がいいと言えば私は用済み。もちろんイェナの今までの様子からはそう悲観することはないと思うけれど……不安なものは不安だ。


 ちらりとイェナを見上げる。彼が黙ったままなのがひどく心許ない。

「……どうかされましたか?」

 イェナは無言のまま、不思議そうに胸元を摩った。

「ううん、なんでもない」

 それから彼は私の後頭部に手を回して自分の胸へと引き寄せる。抱きしめてくれる腕の力に胸がぎゅうっと締め付けられた。


「そっか、オレが他の女のものになるのは嫌なんだ。……それって嫉妬?」

「……否定はしません」

 私も背中に腕を回して抱きしめ返す。イェナは頬に手を添えて私の顔を上に向けた。


「ふーん、そっか」

「なんでそんなにご機嫌なんですかっ!?」

 私を見下ろすイェナの目はさっきまでの不機嫌さはどこへやら……大きな黒目の中でキラキラと何かが輝いている。表情は変わらないくせに──瞳は正直なのか。ずっと欲しかったものを手に入れられた子どものような目をしていて、何が嬉しいのかと私は唇を尖らせた。


「イェナさ──んむ」

 口答えしようとすれば、イェナが尖った私の唇を摘まむ。恥ずかしいやら情けないやらで眉間に皺まで追加された。


「いつオレがミルのスタイルとか色気とか好きだって言ったの」

「だってグラマラスボディが好みだと──」

「言ってない。ナツが勝手に言っただけだろ」

 呆れたように言ったイェナ。弁解、してくれるのか。私が嫉妬をして喜ぶのも、私が誤解しないようにしてくれているのも──。


 そう考えるだけで、簡単に頬は緩んでいってしまいそうだ。


「でも貧相なのは興奮しないって言ったじゃないですか!」

「……ナツでなら話は別だけど?」

「!?」

 どこで覚えたのかは知らないが(少女漫画が8割だろう)、いちいちときめかせるセリフを撃ち込むのはやめてほしい。かあっと顔が熱を持つ。


「ミルはただの仕事相手。オレにはナツがいるだろ」

「……ほんっと、無自覚胸キュン製造機すぎて!!」

「何を言ってるの?」


 ──“やめてほしい”なんて、本当は思っていないけれど。

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