第26話

  あれから私は庭掃除を一人で行うことを禁じられた。掃除をするときは、必ず執事3人の誰かと一緒であること。イェナ直々に命じられたことだ。


今日も依頼の為、仕事へ出たイェナ。暗殺の依頼とは、毎日何件も舞い込むものなのか……と恐ろしく感じた。そして珍しく──私の能力を見せたあの日からは初めて怪我をして帰ってきたのだ。



「……やっぱり見事だね」

 イェナの肩の生々しい傷を見て顔を顰めたら、「また気持ち悪くなるならしなくていい」と言われたけれど……これを見て治癒能力を使わないほど非道な人間ではない。


「……あんまり、使いたくないんですが」

「なんで?」


「大好きな人の怪我しているところなんて、見たくないに決まってます!」


 いつまで経っても私の“普通”と彼の“普通”とが噛み合わない。「ふーん」と興味があるのかないのか分からない答えが返ってくる。


「私がいるからって、油断して怪我しないでくださいね」

「油断なんてしない」

 治癒が終わって露出していた肩をしまう。イェナは淡々と言い放った。


「痛いって感情も、忘れた」


 これが、暗殺一家に生まれた宿命なのだろうか。生まれて間もなくから訓練を受け、どんな痛みも表には見せない。ここまで来るまでに、どんな人生を送ってきたのか。想像すらできない。


「……それでも、“痛み”を感じないわけじゃないはずです。あなたが強くなるにつれて我慢ができるようになっただけ……“痛くない”わけではないです。そんな“痛み”に、慣れないでください」


 同情の念すら覚えて捲し立てる。勢いよく立ち上がった私を、漆黒の瞳が見上げていた。



「……私がいなくなったら、どうするんですか」

 最後に発した言葉は──自分でも驚くくらいに、悲しげだった。


「……いなくなるの?」

「もしも、の話です」


 突然始まった私のもしも話。瞬きすらしているのか分からないイェナの目は、絶えず私を射抜いている。



「もし──もしもある日突然私が消えてしまったら──イェナ様はどうされますか?」


「なにそれ」

 少し呆れたような声。自分でも何を聞きたいのか、何を言ってほしいのかは分からない。


「去るものは追わず、ですか?」

「……そうかもね」

 イェナが少しでも、私を好きでいてくれるか。きっとそれを、言葉にしてほしかったんだと思う。恋する乙女のようで笑ってしまう。



「……でも」

 イェナが考え込むように口元に手を当てる。この人は、きっと欲しい答えなんてくれない。分かっているけれど、期待するくらいは許してほしい。


「オレは気まぐれだからね。もしかしたらある日突然、君を探して世界中駆け回るかもしれない」

「え……」


 予想していたよりずっと素敵な言葉だった。イェナは興味もないのにそんな無駄なことをする人じゃないって、知っているから。


「もしも、の話でしょ?」

「それでも、嬉しいです」


 頬を緩めてへにゃりと笑うと、イェナは初めて視線を逸らした。


「言っとくけど、探すのは逃げた君を殺すためだから」

 まるで照れ隠しのような、初めて見た表情。きっと彼を知らない赤の他人から見たら、いつもと変わらないものだったかもしれないけれど。


「はい、それでもいいです。私に執着してくれてるってことですから」

「執着してほしいの?」


「そりゃあ、仮にも婚約者なのに無頓着は嫌ですよ」

「ふーん」


 今度は少し納得したような「ふーん」だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る