危険なお仕事

第21話

   

「──おはようございます、イェナ様!今日も大好きです!」

「はいはい」


 マヴロス家にお世話になることになってから、約一ヶ月が経った。朝の挨拶とともに、まるで合言葉のようにこの言葉を告げることが毎朝の日課になっていた。


「ナツ、紅茶」

「はい!」

 そして寝起きのイェナが必ず紅茶を飲むことも、新しい習慣として根付いていた。


 マヴロス家当主に挨拶をした日に初めて私が淹れた紅茶を飲んでから、毎日飽きもせず淹れろとお達しが出る。あの日は「まあまあだね」と言っていたのだが──きっとイェナにとっては「美味しい」と言ったつもりだったのだろう。非常に分かりにくい人だと言うのも、この一ヶ月で熟知した。


 執事室でも皆が訝しげに噂するのが聞こえてくる。

「最近、イェナ様紅茶が多いわね」

「間違えて紅茶を出して殺されたメイドもいるのにね」

「でもナツの紅茶しか飲まないわよ。たしかに美味しいけど」

「あんなに変わるもん?」

「ベタ惚れなのねえ」


 大体は、ロールとアンによる揶揄い半分なものばかりだけど。

 今日は朝から仕事に向かったイェナ。暗殺の仕事というのは大抵暗くなってから向かうものだが時々変わった依頼もあるらしい。私の紅茶を飲んで早々に出掛けて行った。

 

 


「では私は庭掃除へ行って参ります」

「お願いします」

 ジャムに断りを入れて、箒を持つと広大な庭へと出た。もう掃除だって手慣れたものだ。広すぎる庭を数名の使用人と共に手分けして掃いていた。


「……!」

 どこかで怒鳴り声が聞こえる。慌てて駆け出すと、少し離れたところでメイドの一人が大男に腕をつかまれて宙吊りになっていた。


 背後に回り込んで持っていた箒で男の背中を無我夢中で叩きつける。

「やめなさい!」

「ナツ様!お逃げになってください!」

 私に気づいたメイドが慌てて叫ぶ。自分が激弱だったことを今更ながらに思い出して、誰か助けを呼ぼうと走り出したのだが

「……行かせると思ったか」

 首根っこを掴まれてしまった。だけど先ほどまで捕まっていたメイドは放り出され、逃れられたから結果オーライだ。


「ナツ様!」

 このメイドも闘えるはず。決して弱くはない。それが通じないほどこの男は強いということか。冷静に分析していると、男がにやりと笑う。

「お前、随分大事にされているようだな」

「……そんなわけないでしょ、だたの使用人なのに」

 イェナの婚約者だとバレたらまずい。むしろ殺す価値なんてないと思ってくれたらありがたいのだが。

 

「ナツ……!」

「ロール!」

 いつの間にか現れたロール。侵入者を排除するのは彼が速いとイェナが言っていたのを思い出す。大男はこれ見よがしに私を突き出してロールに告げた。

「近づいたらこいつがどうなってもいいのか」

「……」


 いつもの朗らかな顔ではなく、まさしくハンターのような鋭い目で睨みつけるロールが沈黙すると、それを肯定と受け取った男。

「見ろ、やはりお前は特別な存在のようだ。俺は運がいい」

 人質ということか。それならばこいつの要求が叶うまでは少なくとも生かされるだろう。そう思ったら少し心にゆとりが持てた。


「……ねえ」

 ロールが男から視線は外さず難を逃れたメイドに声をかける。

「アンかジャムを呼んで来てくんない」

「承知しました!」

 走り出したメイド。その様子を見て男は高笑いした。

「お前一人では俺に適わないと察したか」

 ロール一人では片付けられないと思ったのか。応援を呼んだことが私には意外だったけれど、彼は男を鼻で笑う。


「俺一人でお前を倒すことなんて容易いけどね。今の俺にとって最優先事項はその子を傷一つつけないようにすることだから。それには俺一人だと難しいと判断した。それだけのこと。俺のプライドなんてイェナ様の大切な人に比べたら安いもんだよ」


 一人で強い者に立ち向かう勇気、高いプライド。少年漫画でよくある「手助け無用」の精神は、彼らにはないようだ。ただ目の前の任務を遂行することが彼らにとって優先されるべき事柄であり、自らの仕事を完璧にこなすためには時にチームプレイを必要とすることも厭わない。そこに“プライド”といった感情はないのだ。


「……で?お前の要求は何?一応聞いといてやる」

 ジャムやアンが来るまでの時間稼ぎだと言わんばかりの興味のなさそうな顔で男を見遣る。


「決まっているだろう、この家で一番強いやつを出せ!」

 荒々しく怒鳴る男。近くで聞いているとものすごく耳が痛い。急いで両手で耳を塞いだ。

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