今から


 ようやく一日が終わる。今日は裏方の文化祭準備は無い。ほぼ終わったからだ。役者の合わせは岡村さんが仕切ってくれているため、そちらは心配ないだろう。今日くらい早く帰ったら、と岡村さんが帰宅を勧めてくれたので、俺は外靴に履き替え、校舎を出た。

「渡辺」

 肩を叩かれて振り返れば、今朝の放送部員の困り顔があった。

 神谷の母親は普通なんだな、などと考えていた時だったので、こいつと今朝話した理由もぼんやりとして掴めなかった。

 そう、何か忘れている気がする。

 なんでこいつは俺に用がある。

「春野にも伝えといてほしいんだけど……」

 春野? 春野と俺に用があるのか? ……そうか。確かにその面子だったな。それで、お前と春野がアホなことを……。


「…………——犯人‼︎」

 思い出した! CDだよ!

 放送部員は溜め息を吐くと、何かを諦めたような目をした。

「そう。その犯人。俺、職員室行って聞いてきたんだよ。昨日俺たち放送部員が返した後に誰か鍵借りたかって」

「お、おう」

 放送部員が前髪をかき混ぜる。

 ん? またもや何か忘れている気がする。……やべぇ。神谷が衝撃的すぎてお前らとの会話の記憶が薄い。

 いや、待て。神谷……?

 神谷といえば、あいつ放送室に用があるとか言ってなかったか。

「そしたらさ……」

 嫌な予感がする。

 放送部員は一瞬のためらいの後、その名を告げた。

 

「神谷だった」

 

 あぁ…………。

 まったく……やってくれたな。

 なにを、俺は期待していたんだろう。

 咄嗟に溢れたのは乾いた笑いだった。

 気の毒だけど、と放送部員は目を伏せる。

「俺は神谷とそんなに親しいわけじゃないから、あいつが犯人だと疑われても何も反論できない。でもお前なら『神谷はそんなことしない』って言えるかもしれない。しかも鍵を借りたってだけだから、CDを割った証拠にはならないし……」

 何より同じクラスの人間が犯人なのは悲しい、と言う。

 しかし俺は神谷を庇う気にはなれなかった。あいつは放送室に用があると言ったのだ。あいつ以外の誰がCDを割る?

 それに、やりそうにない、と思いつつ、やるとしたら神谷が一番頷けるのだ。

「まぁ、明日にでも神谷に聞いてみる。実行委員としては見過ごせないことだし。春野にもちゃんと伝えておくよ」

「ああ、頼んだ」

「知らせてくれてありがとうな」

 手をあげて放送部員に別れを告げる。部活中だったらしく、彼は校舎の中に戻って行った。俺を見つけて抜け出してきたのか。

 だらりと下ろした手が、やけに重く感じる。


 神谷に関して、俺は苦労してきた。十三回も隣になるし、付き纏われるし、毎回毎回あいつの言動は意味不明だ。挙げ句の果てに『仲良し』の肩書きを背負わされている。

 今度もきっと、その迷惑の一端なんだ。

「いっつもいっつも……!」

 拳を握りしめて、校門へと続く長い石畳みを歩く。


「陽介くん?」

 ハッとして目を向ければ、春野が駆け寄ってくるところだった。

「春野……帰ったんじゃなかったのか」

「部活民ですからー」

 くるりと一回転する。背中に『鳥谷学院中学校 陸上部』の文字があった。

「なんか難しそうな顔してたから、どうしたのかと思って。文化祭のことなら相談してね。私だって実行委員なんだから」

 帰宅部の俺と違って、春野は部活で忙しいはずなのに、文化祭準備で泣き言を吐いたことはない。そしてこんなふうに人を気遣える。

 神谷にはもったいない友達だ。

「春野……あのさ、今朝のことなんだけど」

「今朝……? なんかあったっけ」

 やっぱりお前も忘れていたか。

 俺が一から話してやると、春野は思い出したようで、「あぁ!」と叫んだ。そういえばそうだったね、と額を押さえて空を仰ぐ。

「結局、犯人誰なんだろうねぇ」

「神谷だったよ」

「私はさ、隣のクラスの人間だと思うんだよね。対抗意識でさぁ」

「神谷だ」

「ハイレベルも辛いよね」

 なんなのこいつ。神谷だっつってんだけど。

 俺は春野の肩を掴んだ。寒さでほんのり赤くなった彼女の鼻が俺を見上げる。

「聞いて。放送室の鍵を借りたのは神谷だった。俺達が使う予定だった音響のCDを割ったのは、あいつだ」


 冷えた風が春野の髪を撫でていく。音が聞こえてきそうなほど、一気に春野の笑顔が凍りついた。


 俺は神谷を変人と呼んでいるが、春野にとって奴は友達なのだ。ショックを受けないはずがなかった。

「……渡辺くん……本当に?」

「ああ。神谷が」

「本当にせいらちゃんが犯人だって信じたの?」


 思わず息を詰まらせる。こいつ……。

「で、でも鍵を借りるあいつを目撃した人がいるわけだし、何しでかすかわかんねーあいつが犯人だとしたほうが自然だろ」

「そんなことない!」

 俺を射抜くその視線には熱がこもっていた。

 春野の大声に、周りにいた人達が何事かとこちらを振り返る。いつもの彼女なら恥ずかしがるところを、今は気にも留めずに、もう一度息を吸う。


「——せいらちゃんは、そんなことしない!」


 ……俺より小さなその身体が、今この時、とても大きく見えた。

『でもお前なら「神谷はそんなことしない」って言えるかもしれない』

 さっきの言葉。

 手のひらに爪がくい込む。

 ……いいや、言えなかったよ、俺は。

「……あいつは昨日、俺に『放送室に用事がある』って言ったんだ」

「だから何。なんでそれを朝のあの現場で言わなかったの」

「……」

 苦い。春野から顔を背けても、苛つきに似た悔しさは消えない。

 ああ、いやだ。これじゃあまるで今までの数々の迷惑を肯定してるみたいじゃねぇか。

 神谷なんかと『仲良し』みたいじゃねーか。


「〜〜っ、神谷がそんなことするはずないって思ったからだよ!」


 春野はにっこり微笑むと、俺の手首を取った。

「じゃあ今から確かめに行こう!」

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