異変


 翌日のことである。

「渡辺! 春野! ヤベェことになった‼︎」

 そう言ったのは、クラスの放送部員だった。

 まだクラスに全員の顔が揃っていない中、そいつは扉の前でゼェゼェと息を荒げながら叫んだ。

「放送室に来てくれ‼︎」

 その尋常ならざる様子に俺と春野は顔を見合わせた。

「どうしたの?」

「いいから‼︎」

 彼は俺たちの手首を引っ掴むと、放送室へと無理矢理連れていった。

 困惑しながらも取り敢えず大人しくついて行く。しかし、一体どうしたのか。

 放送室の扉を開ける。俺たちを引っ張ってきた放送部員はゴクリと喉を上下させ、緊張の面持ちで中に入るよう促した。


『え? だって放送室に用事あるから』

 なんでか神谷の声が蘇る。


 そこで俺は思考をストップせざるを得なかった。

「なに……これ」

 放送室は二つの部屋に分かれている。一つは全校生徒に連絡するための機材が設置されており、もう一つは部室として使えるよう机や椅子が並べられている。俺たちがお世話になっているのは机がある方だ。


 そして、その机の脚元に無数に散らばった、キラキラと光を反射している破片。

 ガラスより透明ではないそれは、まぎれもなく、CDの残骸であった。


「朝来たらこんなことになってたんだよ。こんな割られ方、ぜってぇ人為的だろ⁉︎ 言っとくけど俺じゃねーからな!」

「ああ、わかったわかった」

 お前がもし割ったとして、そのメリットが思いつかねぇからな。

「取り敢えずお前ら呼んだけどよ、どうすっか? これ」

「もちろん危ないから片付けるけど、その前に写真撮っておこう」

 犯人の手掛かりを消すわけにはいかない。

 春野がシャッターを切り、俺はほうきを持って破片をガラガラと一箇所に集める。

 春野がカメラを下ろして、ふといた。

「でも、どうして私達を連れてきたの?」

 すると、言わなかったっけ、と放送部員は爆弾発言をかましてくれた。


「確認したら、このCD、俺たちが劇で使うやつなんだよ。だからヤベェんだよ」


 俺は足元の集めた破片を見下ろした。七色に光るそれが、まさかの。

 ………………Oh……。

 俺と春野は沈黙のまま、無表情で割れたCDを凝視した。

「どうすんだよ。リハーサルは明後日だぞ⁉︎」

 放送部員が俺の肩を揺さぶる。そりゃこっちが聞きたい。

「……いや、でもさ、このCDって焼いたわけでしょ? なら元のデータはあるはずなんじゃないの?」

「……」

 …………本当だ。やるな、春野。しかし、俺としたことが冷静になれば普通に考えつくことを……。

 放送部員は急いで部室のパソコンを起動させた。俺らのクラスのファイルを開くと、ちゃんとデータがあることを確認する。

「良かったぁあ! これで焼き直せるな」

 俺達は胸を撫で下ろした。

「でも、一体誰がこんなことを……」

 春野の発言に、俺はびくりとした。いや、でもあいつがこんなしょうもないことするはずが……。

「そもそも犯人なんているの? ふとした時に当たって落ちちゃったとか、そんなんじゃない?」

 春野が小首を傾げると、放送部員は大きく頭を横に振った。

「いいや、そんなに高くもないこの机から落ちたなら、こんなふうにバキバキに割れるわけない! それに、帰る時CDはパソコンの中に入っていたはずだ! つまり、落とすようなところに置かれていなかったんだよ! これは完全に人為的……わざわざパソコンから取り出して、わざわざ床に叩き落とした……しかも被害はこの一枚のみ! 犯人は俺たちのクラスに恨みがある!」

 急になんなの、お前。探偵気取りですか?

「そ、そんな! なんてこと! 私達が何かしたっていうの⁉︎ 酷いわ……私達はただ真面目に……」

 お前もか。

「一体犯人は誰なの!」

「犯人は誰なんだ!」

 犯人は……?


「「——だれなんだーーーー⁉︎」」

 ……あほ。

 


 その時、俺は視線を廊下の奥へとやった。

 そういえば、今日は授業参観だったっけか。母親に伝えるの忘れたな。

 しかし今時珍しい。着物で来る親なんて。

 薄紫の着物に黒のケープを羽織った人が、子供であろう女子生徒を連れて、こちらへ向かって来ていた。

 春野と放送部員はまだ馬鹿をやっていたが、彼女達とすれ違った時は、「こんにちはー」と礼儀正しく挨拶をした。向こうも同じように会釈する。

 姿が見えなくなって、また二人は白々しい演技を再開した。

「なにか糸口が掴めたら……」

「は! 鍵は⁉︎ 放送室の鍵は職員室で管理されてるはずだよね⁉︎ なら、誰が借りて返したか、目撃した先生がいるはずじゃない⁉︎」

 おお……。またしてもお手柄だな、春野。

「またしてもお手柄だな、春野‼︎」

 同じセリフを言うんじゃない。

 



 ——え。

 



 俺達は一斉に動きを止めた。



 ——待て待て待て待て! 

 やっと思考が追いついた。さっきの女子生徒! あれ!

「ねぇ、今の……」


 ——神谷じゃなかったか?


 俺達は走り出した。もう割れたCDのことなんて吹き飛んだ。

 おかしい。絶対おかしい。あいつは常におかしい気がするけど、いや、おかしい。……ゲシュタルト崩壊してきた。

 だって、会釈で終わらせるわけがない。いつもの神谷なら。あんなにキチンと歩かない。制服着ない。髪の毛も整ってた。なにより、下駄箱の方からあいつは登校してきたのだ。窓からじゃなくて。

 別人だったのか? 見間違いか? いや、ならなんで俺達三人とも走ってる?

 


 教室に入ると、やはりざわついていた。皆が「どうしたんだ」と驚愕に目を見開いている。

 神谷は自分の席に座り、母親はなんと、その真横に立っている。まるで監視するように。

 神谷がこちらを見た。

「おい、お前……」

 俺がおそるおそる隣の席につき、春野がその背後に隠れる。神谷の母親の存在感がすごかった。

 神谷は一言、「授業参観ってバレた。今日はもう喋らない。約束だから」と言って、それきり神谷は本当に話さなかった。

 代わりに母親が口を開く。

「いつも迷惑かけてごめんなさい。今日はこの子も大人しくしてますので」

 微笑むとも言えないくらい、神谷母は口端をほんの少しだけ上げた。

 それを聞いた一同は、ぽかんとし、その意味を理解すると、ああ、と頷いた。


「わかりましたー」

 いつも通りの朝休みだ。普通の。

 どこかホッとした空気が流れていた。


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