第4話 教会と人間
十五世紀、ボヘミアに宗教改革の先駆けとなったヤン・フスという人物がいた。
堕落していた当時の教会に対し、激しく批判した人物である。教皇と世俗の君主どちらに教会の頭としての首位権があるかということは、中世において繰り返し議論された問題である。議論の背景には、教皇が世俗君主化したことと、皇帝の国家教会支配の軋轢がある。結果としてこの問題は教会大分裂を巻き起こすことになった。十五世紀、三人の対立教皇が誕生し、分裂の収集を試みるべく、コンスタンツ公会議が行われた。この時異端者として火炙りが決定されたのがヤン・フスだった。教会史の授業では、この出来事に次のような説明がなされたように思う。
「一人の敵を作り上げることで、人間の集団は結束する。ヤン・フスは内部分裂を治めるために皆の敵となった」
この言葉を聴いた時、私の中に中学時代の記憶がよみがえった。あの時、私という攻撃の対象が存在したことで、不安定な人間の集団が結束力を増しているように思えた。更に小学校時代に思いを馳せた。一人の女生徒を攻撃の対象としていた時もやはり、生徒の集団、いや教師までもが得体のしれない力によって、一つになっていたのである。
教会とは、キリスト教徒の集まりである。また教皇首位権に関わる問題に携わった人物たちは、聖職者たちの中でも特に中心的な役割を果たした人物達だった。しかし、世俗の世界同様、人間の醜さによってかき乱された事実が歴史に残されている。その醜さは時代を超えて、場所を超えて、人の中に現れるのである。日本の小さな学校の子供の中に起こった出来事と、十五世紀のコンスタンツ公会議でなされた出来事を比べるなど馬鹿馬鹿しいと言われるかもしれない。しかし、その時私の中では何かが完全に一致した。一人の敵を作り、正義を超えて、マジョリティが正しさとなってしまう不思議な力。この力は普遍的で、おそらく人間に誰しも宿っているものなのではなかろうか。この力は時にはごく些細に、時には歴史を動かすほどに、人間を支配する。
聖書はそれを「罪」と呼んだ。
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「性善説と性悪説」。人間の本質を言い表す際について回る言葉である。本来、人の性質とは、善であるのか、それとも悪なのか。聖書からこの問いに答えるのならば、その両方であると言える。
はじめ、人は神の似姿として、神のかたちに造られた。神はそれを見て「極めて善い」とされた。しかし、人の中に罪が入り、人は堕落した。それ以来人の本質は罪が蝕むようになった。これが聖書による人の姿である。聖書の中にはしばしば「サタン」が登場し、人を罪へと向かわせる。幼いころ私は、「サタンは人を神から引き離す力」であると聞いた。
新約聖書のヨハネの手紙第一によるならば、「神は愛」である。
愛する者たち。
私たちは互いに愛し合いましょう。
愛は神から出ているのです。
愛がある者はみな神から生まれ、
神を知っています。
愛のない者は神を知りません。
神は愛だからです。
神はそのひとり子を世に遣わし、
その方によって
私たちにいのちを得させてくださいました。
それによって
神の愛が私たちに示されたのです。
私たちが神を愛したのではなく、
神が私たちを愛し、
私たちの罪のために、
宥めのささげ物としての御子を遣わされました。
ここに愛があるのです。
ヨハネの手紙第一 四章七―十節
この愛は罪の贖いの供え物として、御子イエス・キリストを遣わしたことにあらわれたとされている。サタンとは、愛から人を引き離す力であり、罪とは堕落以来、その力に答えようとする人の性質なのである。
なぜ人は人を憎むのか。なぜ人は人を傷つけるのか。なぜ人は人を罵るのか。なぜ人は人を貶めるのか。なぜ人は人を殺すのか。なぜ虐殺がなされるのか。なぜ世界から戦争は絶えないのか。
聖書はこの問いに「罪」という答えを突きつける。
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罪の問題に光をあてたマルティン・ルターは一六世紀に生きた宗教改革者だ。
カトリックには「赦しの秘跡」と呼ばれる制度がある。これは「告解」ともよばれる。この制度は自らの罪を教会で司祭に告白するものなのだが、これには三つの要素が必要とされていた。「心からの悔恨」「罪の告白」そして「償い」である。「償い」は神父から指定されたことを行うのだが、十字軍運動で兵士が大量に戦争に駆り出されたころ、「償い」をすることが難しくなった信徒のためにその免除が行われるようになった。免償である。寄進によって免償がなされるようになり、次第にそれは制度化された。免償符は煉獄から人を救う手立てとしても使用されるようになった。カトリックの教理では死後に人が行くべき場所として、天国と地獄の他に煉獄があるとされている。煉獄は天国に直接行くことのできなかった者の場所であり、彼らは煉獄での苦難を経て天国へ行く。教会に金銭を支払うことで、死んだ者が煉獄で過ごす期間は軽減されるという制度もまた確立されていった。このことによって、教会は過剰に金銭を蓄え、人間の欲の巣窟となっていった。
中世の教会は、金銭と引き換えに、罪を赦す権限を罪で汚したのである。
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ヨーロッパにおいて中世は、人々が永遠について思いを馳せた時代である。
死が人々の日常において最も身近にある時代の一つだったからだ。当時、黒死病が流行していたのである。人々は地上において魂を取り扱う場所、教会に疑いと望みを抱いていた。金銭と欲におぼれ教会は堕落していた。しかし、そこは本来人を根源的に救うべき場所だった。
マルティン・ルターはドイツのザクセン地方の農民の家庭に生まれた。彼は法律家を目指すべくエルフルト大学で学んだ。ある日、ルターは草原で激しい雷雨に遭う。そして神に祈り、回心した。「回心」は「悔い改め」とも呼ばれるキリスト教用語だが、新約聖書の原語ギリシャ語では「メタノイア」旧約聖書の原語ヘブライ語では「シューブ」と呼ばれる。それは人が神の方へと向きを変えること、生き方を転換させることを意味する。
回心したルターはアウグスチノ会の修道士となり、彼はそこで聖書の研究に勤しむことになった。
彼は罪に対し鋭敏な感覚を持ったキリスト者だった。それゆえ、神の御前に正しく生きようとするルターにとって、「罪」は非常に重要な問題だった。何を行おうとしても、何を考えようとしても、「罪」は払拭しがたいものとして自らに付き纏う。どんな「償い」をしても、罪から逃れることなどできない。彼の中に次のような疑問が沸き起こった。罪に支配された人間は「償い」、つまり行いという努力によって救われることなどできるのだろうか。
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「救いと行い」の関係は、ルターの生きた時代の約千年前にもまた、教会での論争の中心となった。当時、ペラギウスという思想家は弟子たちと共にブリテン島において苦行生活を送っていた。彼らは人間の善性に主眼を置き、行いによって「救い」を獲得できるとした。彼らは原罪を問題としなかった。ゆえに、キリストの贖罪を意味のないものとしてしまったのである。この問題を「人は神の恵みによって救われる」と強調し打開したのがアウグスティヌスだった。
救済論はキリスト教の教義の根幹を成す。それゆえこの問題はキリスト教の歴史と共に、キリスト者が対峙し続けた問題である。
ある時、罪に絶望しかけたルターの心に一筋の光が差した。新約聖書のローマ人への手紙を研究していた際、彼は次の言葉に出会う。
すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。
ローマ人への手紙 三章二三―二四節。
さらにこの言葉はこう続く。
神はこの方を、信仰によって受けるべき、血による宥めのささげ物として公に示されました。ご自分の義を明らかにされるためです。神は忍耐をもって、これまで犯されてきた罪を見逃してこられたのです。すなわち、ご自分が義であり、イエスを信じる者を義と認める方であることを示すため、今この時に、ご自分の義を明らかにされたのです。
ローマ人への手紙 三章二五―二六節
人の救いは、具体的な行為によって成就するのではない。「信じる」ことで神の「恵み」によって成就する。人は信仰によって義とされる。キリストの正しさ、つまり神の義によって人は義とされる。神を信じることによってのみ、人は罪から解放され神の前に正しいものとなることができる。
ルターの生きた時代の千年前、アウグスティヌスが辿り着いた真理にまた、ルターも到達することになった。罪に誰よりも苦しんだルターに答えを与え、救ったのは聖書だったのである。この真理に到達したルターの目に映ったのは、堕落した教会の姿だった。
初代教会において、皇帝礼拝を退けるキリスト教徒は迫害に遭い続けてきた。その歴史に一つの終止符が打たれるのは、四世紀である。コンスタンティヌス帝によって出されたミラノ勅令によってキリスト教は公認化され、さらにテオドシウス帝によって国教化されることとなった。しかし安定し力を得た教会は時の経過と共に、今や強大な権力を以って罪の巣窟となっている。ルターは聖書によって、教会の姿を検証した。そして一五一七年、ヴィッテンベルクの礼拝堂の扉に「九五か条の提題」を提示した。教会に対し、その問題点を指摘したのである。
グーテンベルクが発明した活版印刷によりルターの記した文書は瞬く間にドイツ中に広がり、民衆の心を捉えた。彼らの教会に対する懐疑心に、ルターの主張は一筋の光として差し込んだのである。
ルターは破門された。ルターは聖書と聖伝を信仰対象とする教会に対し「聖書のみ」が信仰の対象であると主張した。伝統を疑い、聖書と異なるものを払拭すべきだとした。
聖書を読むこと、解釈することは当時の教会の特権であった。聖書はラテン語に翻訳されたものが一般的で、教育を受けラテン語の読める者だけが読み、その解釈は教会に委ねられていた。ルターはそれを誰もが読める言語へと翻訳した。原典であるヘブライ語とギリシャ語から、ドイツ語へと翻訳し、聖書を民衆に解放したのである。これによって、聖書は人々の手に渡り、皆が聖書を読み、解釈することのできる時代が到来した。
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一五世紀、聖書に従い免償符を批判したフスは、火炙りを余儀なくされた。しかし彼の思いは百年の時を超え、ルターによって成就された。
聖書は特権階級だけでなく、あらゆる人の読むことのできる書物となった。ルターは、祭司とは一部の人々の役割ではなく、信じる者皆が祭司であると訴えた。
聖書の解釈に自由が与えられると、人々はこれこそが真理だと信じた教会を建てあげようとした。
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結果として、瞬く間に様々な教派が生まれることとなった。
分裂した教会は、互いに批判し憎み合った。
ルター派、改革派、バプテスト、メノナイト――今日プロテスタント教会には数えきれないほどの教派が存在する。それはプロテスタント教会の長所でもあり、短所でもある。
瞬く間に教派が分裂したことは聖書の解釈に自由がもたらされた教会において、自明の事柄だった。多くの教派の存在は、一部の人間のものであった聖書があらゆる人間の手に渡ったことの証拠である。しかし同時に、これこそが真理だと主張する集団同士の分裂も起こった。
教会が分裂することを危惧した人間に、エラスムスという人文学者がいた。彼は聖書を原典から研究し、ギリシャ語版聖書校訂版を作成した。カトリック教会では、ヒエロニムスが翻訳したと言われるウルガタ訳聖書、ラテン語訳の聖書が使用されていた。これは宗教改革期、一六世紀に行われたトリエント公会議にてカトリック教会の公式の聖書となった。エラスムスら人文学者たちは、聖書を原典であるギリシャ語とヘブライ語から研究し、真理を追究しようとした。ルターもエラスムスに師事した。
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根源的に同じものを求めていても、表面にあらわれることは全く異なることがある。
殊に教会の世界はこれが顕著である。ルターとエラスムスはやがて意見を異にするようになった。教会を真っ向から批判し、破門され、新たな教会を建てあげることになったルターに対し、エラスムスは教会に留まって真理を追究することを模索した。
ルターと対立したエラスムスは、すべての教会に共通する本質を探し出そうとした。彼はそれを、神とは父・子・聖霊なる、三つでありながら唯一の存在であるとする三位一体論のうちに見いだしたのである。
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強大で、誰も疑問を抱くことが赦されず、自由にものを考えることもできなかった閉鎖的な世界の中で、ルターは永遠に変わることのない真理を見つめようとした。人は人を基準とする生き物である。それゆえ、真理の追究を放棄して、他人に倣って生きようとする。そのうねりの中で、全く恐ろしいことがなされていようとも、真理の追究を放棄した人間はそれに気付くことができないのだ。
ルターは自分を取り巻く世界を絶対視しなかった。ルターは聖書を基準に世界を見、真理に従おうとしたのである。彼は生前次の言葉を遺した。
「キリスト者は全ての者の上に立つ君主であって、何人にも従属しない。キリスト者は全ての者に奉仕する僕であって、何人にも従属する」
自らを取り巻く人間の世界を絶対化しなかった彼の生き方は、真の自由を求めた人間の生き方だった。
教会が罪に支配されたとき、暗闇の中で人々は盲目になった。しかし、ルターは光を見つけたのである。聖書の中に、彼は光を見つけたのである。
ことばは光である。
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一方で、私はエラスムスの生き方にも一つの真理があるのだと思う。教会が争い、分裂することは、「互いに愛せよ」と命じたキリストの戒めに全く反する。地上には目に見える多くの教会がある。それはすべて、キリストを頭とする一つの身体であり、見えない教会の内にあって、ひとつである。
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