ハイデガー君、問題は解けたかな?

アガタ シノ

プロローグ1 「ちなみに最近は何の本を読んでるの?」「ハイデガーとかですかね」

 思えば中学生の頃から僕はひねくれていたという自覚はあった。

 そんなひねくれた人間になった原因は自分の趣味や特技がないからだという仮説がある。趣味や特技があればそれを通じてみんなと仲良くできたり、部活動などで生かすことが出来ただろう。みんなと仲良くしたり、部活に勤しんでる奴でひねくれてる奴は少ないはずだ。


 僕には残念ながら人に自慢できる特技もないし趣味もない。

 中学校の頃から、テストをするたびにクラスの平均点プラスマイナス10点くらいを反復横跳びしている。

 スポーツや芸術方面でも特段抜きんでた才能はない。


 そんなタイプの人間が高校に入るとなると、今度こそ輝かしい生活を手に入れるべく高校デビューを目指そうと考える者と、ほどほどでいいじゃないかとあきらめる者の二択に別れるだろう。

 高校生になった僕も例に漏れずどっちを選択したものかと、自己紹介の寸前まで悩んでいた。

 自己紹介というのは大事だ。自己紹介での印象とその周りの評価によってこれから3年間の高校生活が決まると言っても過言ではない。


 入学式を終えた僕たち新入生は教室に戻り、自己紹介をすることになっていた。

 みんながキラキラとした趣味や特技、入りたい部活を宣言している。それを聞いている周りの生徒は自分と同じ部活だったり珍しい特技なんかを聞くと、どよめきや歓声を上げていた。

 わいわいと楽しげに盛り上がっている光景を傍目で見ていると「青春真っただ中という感じで眩しいな」と同時に「こいつらと仲良くなれないだろうな」と思ってしまうのは、やはり僕がひねくれてるからだろうか。


 迫りくる自分の番。

 さっきまでは普通の自己紹介で済まそうと思っていた。

 しかし、この直前にもなって僕は、他の人間とは違う特徴のあることを言ってみたいとか、ちょっと周りとは違う奴アピールをしたいという欲が出てきた。

 こんな気持ちになるのであれば、自分にも何か自己紹介で話せる趣味とか特技を一生懸命作ればよかったのに。


 喋ることが決まっていないので緊張をして、机の中で手を震えさせていると何かが指先に当たった。机の中を見てみると最近読んでいた本がある。閃いた。そうだ、今たまたま読んでいるこれがあるじゃないか。

 これを使って自己紹介をすればちょっと周りとは違ったヤツになれるかもしれない。

 

 人間は追い込まれたり、焦っているときに限って余計なことをし始める。まぁ、つまり僕は余計なことをしたのだ。

 僕の番が回ってきて、ゆっくりと立ち上がる。

 

「僕の名前は天ヶ崎世人あまがさきせとです。趣味は特にないですが、強いて言えば読書が好きで年間300冊くらい本を読んでます」

 その場が「おお」とどよめいた。それを聞いていると少しだけ気分が良くなる。

 僕のような特徴がない奴にしては手ごたえは悪くないんじゃないか?


「ちなみに最近は何の本を読んでるの?」

 担任である初老の先生があまり興味無さそうに質問をしてくる。

 僕は調子に乗って何も考えずに今読んでる本を答えた。


「えっと、皆さんは読まないかもしれませんが、ハイデガーとかですかね。その中でもおすすめは"存在と時間"です。この本は書かれてることが深くて、自分が今まで何も考えずに生きていたのが恥ずかしくなるくらいでしたね。特にハイデガーの有名な言葉である"人間は根源的に時間的存在である"というのはまさにハイデガーが目指した今までの経験をもとに限りある時間を過ごすべきであるということを言いたいのであって・・・」

 

 言い忘れていたが、僕は夢中になると頭の中で思っていることを全て口で喋ってしまうというあまり有り難くない特技を持っている。

 そのせいで僕は自己紹介、という名目を忘れて長々と喋っていた。


 しまった、喋りすぎたか。そう気づいたときにはもう遅く、周りを見渡すとクラスは静まり返り、ひそひそ話。

 総じてクラス全体が「こいつ、やばいやつじゃない?」という雰囲気のどよめきを帯び、一斉に得体の知れないものを見るような視線で僕を凝視していた。


 この失敗で僕の評価はちょっと周りとは違ったヤツではなく、シンプルに変な奴になった。

 ああ、やってしまった。

 僕はそのまま崩れ落ちるように自分の椅子に座り込んだ。


 ここから先は何も覚えていない。

 気づいたら家に帰っていて、布団にもぐりこんで、少し涙目になりながら今日の一日を反芻していた。

 反芻すればするほど、なぜあんなことになってしまったのだろうと後悔が襲ってきて、布団の中で奇声あげてしまいそうになる。

 その日、僕の心を癒してくれるのは布団の中の暗闇だけだった。


 これが僕こと、ハイデガー君誕生の顛末である。

 

 

 

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