サザナミとコドウ

武蔵山水

サザナミとコドウ

恋愛の問題は常につきない問題であるし、私の様に容姿端麗でありながら人嫌いの人間にとってこれ以上辛い問題はないのである。何が言いたいかと言うとこの小説の主題っちゅうのは「恋愛」ということである。

 人にとって最も重要なものはヘルスである。ヘルスというのは肉体的にも精神的にもその両方に作用し無くば嘘である。私は畢竟するにその両方にもヘルスというものが該当されない日々を送っている。確かに読書をするということはヘルスになるかも知れないが然しそれは哀れである。ひどく哀れである。この世にで最も哀れではないものはある意味では空虚なるものであるが、その空虚なるものを掴むには並大抵の精神力及び行動力ではなしでは掴めないのである。


 私は肉体的関係を持った女と、ある街を散歩した。


 街は賑わいに溢れていた。私と隣を歩く女以外にも所謂、恋人同志と思しき男女が幾組か楽しげに歩いていた。私はそれを見つつああ、私ももう長い事恋人を持ったことがなかったなぁ、と改めて考えさせられた。恋人達を物憂いげに眺めていると女がそんな私を訝った。

「どうしたの?」

 女はそう言った。

「なんでもない」

 私はそう言った。そうして勤めて罪悪感なるものが微塵も存せぬが如き振る舞った。女は私の手をとって歩み始めた。私はやや遅い女のテンポに合わせた。

 私は先ほどこの女と性行為をしたのであるが今、楽しげに歩く女はその折とはまるで別人の様であった。処女の様に汚れを感じさせず私は僅かに女の内部に入り込んだのを悔やまずにはいられなかった。

そういう関係にある女と、そういう関係にない女とその境界を私は往復せにゃならぬわけであるが(常に女を性的に見る様な発情しっぱなしの男ではないのである)実にその境目が曖昧である。そりゃくだらない例えをすりゃ夢と現を往復するのに似ている。夢であれ、そこにいる時は現実であり現実は正に現実である。女と性行している折の女もそれであり、歩む平時の女もまた同様なる女である。

世間一般で言やぁ恋人でもねぇのにそういう、つまり淫らな関係でいるのはふしだら且つ破廉恥且つ反道徳的なことであり喧伝する様な関係ではない。然し私にとってその関係というもの程、現代恋愛の矛盾を解決する方法を知らぬのである。

好きになった人はいる。でもやはりそりゃ結局、肉欲なのである。

「好きだよ」

「私も好き」

「いやいや、僕の方が君が好きだよ」

「私の方が好きよ」

とか言う問答に憧れないこともないがある種の欺瞞をそこには内包している様にしか私には思えない。もちろん、私だってそんな恋愛をしたことないわけではない。然しだからこそ何故だかその時の己が嘘っぱちに感じて救いようの無い無能兼愚鈍者というレッテルを己に貼らずにはいられなくなってしまった。恋人と別れもう何年も経った現在でもその自己嫌悪の波ちゅうのは一定の周期で去来するのである。これは私の生理現象と言っても過言ではなかろう。


 その折、共に歩いた女とは不図出会った。私が彼女に触れ彼女は拒まなかったことを起因としてそういう関係が始まった。女は時折言う。

「私たちってどんな関係なの?」

 それもとても不安げに。私はそんな不安げな女を見るとああ、俺は恋愛なんぞしてしまったら身を滅ぼすだろうなぁ、と漠然と思いつつ言う。

「セフレ」

すると彼女は頬を膨らませていう。

「最低」、と。

最低か。ならばこの世の人間にとって最低と最低じゃない境は何処にあるのだろうか、と問いたくなるがどうせ答えられないので自己問答に切り替える。

そりゃ善悪の問題になる。つまり最低というのはある一定の評価基準がそこに無いといけない。私が仮に最低だとしてもでは君は最低では無いのだろうか。性行為をするという関係を続けている君は。

 世界中探して見て本当に徳が高い様な生活を送っている人はいるだろうか。そんな人間はいない。かと言って皆、反道徳的な関係を築こうと開き直るまでも無いが。私は私自身が最低じゃないとは言い切れない。私は私が最高であるとは言い切れない故である。個人なんちゅものはそのいずれにも属してねぇよ。


私はその女と海に行った。ありゃ鎌倉辺りの海だったと記憶してる。私は海なんぞは嫌いである。ベタベタするし後処理が面倒が過ぎる。然し女は目を爛々と輝かせていた。人の殆どいない海岸であったため女は私の前で脱ぎ始めた。節度がねぇ女だなぁと少しばかり落胆したが、どうやら既にビキニを着ていた様だった。

「入んないの」

女がそう聞いてきたので私はかぶりを振った。すると女は「えー」と言って私に抱きついてきたから僅かに一筋通る女の腹筋を人差し指で撫でた。女は僅かに声を出した。少しばかり顔を赤め女は微笑んだ。

「行っておいで、見てるから」

私がそう言うと彼女は頷いて海の方へ走っていった。

時折、女は水面からニュっと顔を出し此方に向かって手を振った。私はそれに応じて手をふり返した。

水平線を眺めながら私は海のさざなみを聴いていた。いつまでも同様な音が空中を漂い私はそれを聴いていた訳である。いつまでもいつまでも同様な音は私に純粋なる世界を感じさせた。おりゃ待ちがってんのかも知れねぇな、と私は思いつつ、最早どうでもいいや、という気持ちの方が普段なら強いが波の音が為、身につまされていたその時はどうしても私は己の来し方を否定的に鑑みざるを得なかった。私はこうして死んでくんだろうなぁ、あぁもう一その事あの女(愛してもいねぇ女)と情死しようか、と久方ぶりに希死念慮に苛まれた。すると私の体は私の思わぬ方向、つまりは海の方へ動き出した。私は着衣のまま入水したのである。女は私を驚いて見た。私は女を抱きしめた。女は女が考え得る可能性の範疇を超えた私の行動に驚いた。女はやっと眼前に起きている出来事以外にも意思を向ける事ができた様である。私を抱きしめた。

「ど、どうしたの」

女の聴き慣れた、柔らかい、イライラする、己の罪も知らない様な浅はかな声に私は何も言えなくなった。いわんや、情死についても。

「バーカ」

私が言えることは私と同等の身にある彼女を罵る事だけだった。そして私は今にも泣き出しそうだった。


しばらくして女とは別れた。いや、初めから付き合ってさへいなかったから別れたという表現は些か不適当かも知れない。女は私の前から姿を消した、という表現はあたかも只今より重大な事件が始まりそうであるがその表現が最も適切であると考えるのでそれを用いる。女は恋人の元へ行った。そしてまた最低なのは私だけになった。


私は今日も一人で街を歩いている。


(了)

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サザナミとコドウ 武蔵山水 @Sansui_Musashi

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