正気

「それは…まだ俺達のような付き合いたての浅すぎる関係には早いのでは…。」


「そんな他人事のような考えを聞いているんじゃないの。」


「うぐ…。」


「私はさっきみたいなラブロマンス映画をまだ1度しか見てないからここで結論を出すのは早計だと思う。

でも、あれが今一番人気のラブロマンス映画なのなら私は確信を持てる。

恋人というのはあの映画のように毎日がドキドキの連続で胸が苦しくて…でもそれは逆に互いが互いを好きだという事の裏返しだから愛おしいもの。

そうなんでしょ?」


「えと…そう、ですね。」


恋人というものを論理的かつ感性的に理解してる、分かりやすい説明を受けて昇太郎は後ろに仰け反りながらぎこちない感じで肯定する。


「もし昇太郎がそういう事を望んでいるのなら…その、私も喜んで応じるつもりよ。

だから…どう?

昇太郎もさっきの映画みたいな事したい?」


美月は俯いていた顔を上げ、昇太郎を上目遣いで見上げる。


そして、そのまま顔を近付けてきた。


「………!」


(何か…いつもの美月さんじゃないみたいだ。

恐らく、さっきの映画のあの際どいラストシーンを見て気持ちが感化されてるかもしれない。

正直、俺も美月さんがその気ならやりたいと思う。

でも、そんな一時的な薬物効果が出たような状態でやっても何も嬉しくもないし気持ちよくもない。)


心中でぐずぐずと答えが決められない間にも美月はどんどんと顔を昇太郎の方に近付けてきてる。


(でも…)


昇太郎は顔を近付けてくる美月を直視出来ずに目を背けたまま返答した。


「俺は…さっき見ていた映画のような事…とか、そんな小さな括りで収まるようなものじゃなく、美月さんと一緒に出来る事なら何だってやりたい…です。」


それを聞いた美月は両手で昇太郎の両肩を優しく掴む。


「じゃあ…今ここでしましょ、昇太郎…。」


「えぇ…みつ…!」


(えぇ、マジで今ここで…!

それは確かにやりたいとは言ったけども…言ったけども…そんなあっさり!?

でも、今ここでやれるのなら…恐れなんて捨てて流れに身を任せるように…!

えぇい、ままよ!)


美月の顔が一方的に昇太郎の方に近付き、その唇が昇太郎のそれに触れようとしていた。


彼女の唇が徐々に近付いてくるのに対し、昇太郎は逃げるように目を瞑る。


だが、既のところで動きが止まった。


いつまでも彼女のその柔らかいものの感触がない事を不審に思った昇太郎はゆっくりと目を開けた。


すると、そこには…


「………!」


我に返り、自身が今やろうとしてる行為に対して完全に言葉に詰まり、どうしていいか分からなくなって、ただただ顔が茹で蛸のように急速に赤くなる美月がいた。


(う、うわぁぁぁあああ!!!

凄え期待してる自分がそこにいて超恥ずかしいぃぃぃいいい!!!

で、でも少し安心した…

こんな白昼堂々、しかも人目につくところでやっちゃうってのはモラルに欠けるからな…。

とりあえずまぁ、落ち着こうか。)


昇太郎は両肩に添えられたその華奢な両手をそっと下ろした。


そして、未だに今の状況に混乱し口をパクパクと動かしている美月に苦笑いを浮かべながら声をかけた。


「美月さん、とりあえず落ち着きましょうか。」


昇太郎は美月に先程までの自身の異常な行動を丁寧に分かりやすく教えた。


それを聞いた美月は驚いた顔をしていたが、それも一気に申し訳なさそうな表情に変わり、何度も昇太郎に頭を下げた。


昇太郎は平気だと宥め、事は無事に解決した。


その後は両者共に気まずい雰囲気が流れ、どこへ行こうにも何をするにしても全く会話せず、した会話といえば最低限のものだけであった。


そして、無駄に時間が過ぎ、とうとう退勤時間が迫ってきた2人は電車で青原支部へと帰っていった---

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