公園で黄昏る子供 2

 その子供を見た翌日、久遠は彬奈の言葉を胸に家を出て、いつもより少しだけ遅い時間に公園の前を通り過ぎる。本来家を出ると決めている時間よりも多少とはいえ遅い時間に家を出たのは、ひとえに昨日見かけた子供のことが気になったからだ。わざわざ自身が遅刻するリスクを増やしてでも、その子が昨日あの時間に黄昏ていたことを偶然だと断じたい程度の良心と現実逃避の心は、まだ久遠に残っていた。


 そして、その思いは当然のように裏切られることになる。


 普段より少しだけ遅くて、昨日よりも少し早い朝の時間。その子はちょうど、公園についてベンチに腰をかけるところだった。普段よりも少し早くて、昨日よりは少しだけ遅い帰りの時間、その子は、ちょうど立ち上がって公園から出ようとするところだった。


 そして、そこに声をかけることも出来ずに、久遠は大人しく家に帰る。普段使っている電車よりも1本早い、乗り換えで走らないと乗れない電車に乗って、何もできないまま家に帰る。


「おかえりなさい、マスター。例の子供はどうでしたか?」


 帰って早々彬奈に聞かれて、久遠は素直に話しかけられなかったことを打ち明けた。


「そうですか。でしたら、明日こそいけるといいですね」




 けれど、次の日もそんなにうまくは進まない。遅刻ギリギリの時間に家を出て子供をが座っているのを見て、帰りも話しかけようとしたところで逃げられる。


 次の日も。

 次の日も。

 そのまた次の日も。


 毎日逃げられて、そうしているうちに、その子供から向けられる視線は、どんどん不審げなものに変わっていく。見知らぬ成人男性から毎日話しかけられそうになっている小学生であれば、大なり小なり似たような反応をするようになるだろう。


「お帰りなさい、。今日もまた話しかけられなかったんですね。それにしても、そんなに逃げられるのであればだいぶ不信感も溜まっているでしょうし、話しかけないほうがいいと思いますよ。彬奈は話しかけず近づかないという方向に方針転換することを推奨いたします」


 瞳の色をグレーに変えた彬奈が呆れたような、どこか恐怖すら混じっているような声音でそう告げる。彬奈の頭部に埋め込まれた人工人格の擬似感覚には、確かに恐怖と嫌悪を示す数値が現れていた。


「いや、まだもう少しだけ努力してみるよ。明日、明日だ。明日、何も変化がなければもう何も見なかったことにして、何もなかったことにして諦める」


「……そうですか。彬奈は、主人の社会的立場に関してのサポート機能は搭載されていないので、起訴されてしまったら何もできませんし、犯罪者の使っていたアンドロイドは訳あり品としてまともに引き取り手もいないでしょうから、廃棄処分になってしまうでしょうね。何事もないことを祈っています」




 そんな話を彬奈とした次の日、久遠が自分で決めた、少し遅く家を出て少し早い電車に乗り帰る日々の最終日、朝は普段通りにスルーした久遠は、帰りの時間、多少、時間に融通の利く時間を狙って、その子供に声をかけようと画策する。


 まだ明るさの残る空と、いつも以上に乗り換えを走って、さらに最寄駅から公園までの道のりも、普段はしないほど頑張って走って、久遠はようやく子供がまだベンチに座っているタイミングで公園にたどり着く。


 そのことに驚いたのは、今日こそ不審者に引導を渡してやろうと考えていた子供の方だった。


 念は念を入れて、持っている防犯ブザーも、一度鳴らしてしまったら手順を知っていても解除に時間がかかるものを選んで、無謀で蛮勇ながらも、自身を囮にすることで危険な不審者をお縄に着かせることを選んだいたいけな子供。防犯ブザーが鳴ってから、周囲の人が違和感を覚えて対処に乗り出すまでに、自身の尊厳を汚されるには十分な時間があるとわかっていない子供は、蛮勇とも言える勇気を胸に、不審者に立ち向かおうとしていたものの、あまりにもこれまで不審者が現れる時間が一定だったせいで、まだしっかり準備が出来ていなかったのだ。


「……ハァ、ハァ、こんばんは!ちょっとお話いいかな!?」


「……ひぃっ!!」


 走ったこともあり、かつてないほど息を荒らげた状態で登場した久遠が、まだ準備のできていなかった子供に話しかける。子供じゃなくても怯えるシチュエーションにいたいけな小学生が耐えれるはずもなく、子供が最初に取れた行動は、腰を抜かしながら逃げようとしてベンチから転げ落ちることだった。


「……すまない!!驚かせるつもりも怖がらせるつもりもないんだ!!ただ、君がここしばらく朝も夕方も一人で座り込んでいるのを見たから、何かあったんじゃないかって心配になって……」


 けれども、当然と言うべきか、久遠は子供に怯えられることを望んでいるわけでは無い。むしろ、子供が1人変な時間に公園にいることを心配しているだけだ。故に、子供のその反応は、久遠にとっても甚だ心外なものであり、そこでようやく自身の現状を客観視した久遠は慌てて自身の無罪を主張しようとする。


「疑われるのも当然だと思う。だから、警戒しないでくれなんて言わない。いつでも叫ぶ準備をしてくれていいし、そもそもそっちには近付かないようにする。だから、もし君が何かを抱えているのなら、そのことを聞かせてくれないかな?全く関係のない人に対してだからこそ、話せることもあると思うんだ」


 子供は、久遠が本当に近づいてこないことを確認すると、慎重にポケットの中から防犯ブザーを取り出す。


「……絶対に、それ以上こっちに来ないでください。もし少しでも近づいてきたら、ボクにも止め方が分からないブザーを鳴らします。そうすればきっと、周りの人が気付いて通報します」


 子供は、真剣な表情で久遠を見つめ、防犯ブザーをいつでも鳴らせるように構えながら声変わりする前の高く、子供らしい声。けれど、決して耳障りな甲高さがあるわけでもなく、子供らしさを損なわないながらも、どこか落ち着いた声。


 そんな声で告された言葉に対して、久遠は文句を言わない。そもそも自分の行動自体がかなり怪しいものだと理解している上に、子供がすぐさま逃げたり通報したりという行動を取らなかったからだ。


「わかった。変な人も多いこのご時世だから、そういう対応を撮るのは仕方がないし、むしろそれをできることは立派だと思う。とりあえず、こちらとしては君を心配していることだけわかって貰えると嬉しい」


 子供は、引き続き警戒した様子を見せる。一言二言話した程度の不審者の言い分を信じられないのは、それは当然な事だ。だから、久遠はこの日に子供とまともなコミュニケーションをとることを諦めた。


「信用して貰えないのはわかった。とりあえず、怖い思いをさせてしまったお詫びも兼ねて、飲み物のひとつでもごちそうきたいのだけれど、何かそこの自販機にあるもので飲みたいものはないかな?」


「……りんごジュース」


 子供の返答を聞き、久遠は子供から離れる方向に移動して、そこにあった自販機でりんごジュースを買い、声をかけた位置との間にあったベンチにそれを置くと、後ろ方向に向かって下がっていく。


 自身でも、なんで偶然見かけただけの小学生に対してそこまでやるのかは、分かっていない。けれど、何故だかそうしなければいけないような衝動に駆られて、久遠はそうしていた。


「よかったら飲んでくれ。そして、もし俺みたいな怪しいヤツに対してでも話してくれるのであれば、なんでこの公演に座り込んでいたのか、聞かせて欲しい。とりあえず明日から1週間はこれでと同じくらいの時間にここを通る予定だから、話したくなったら待っていてくれ。会えなかったら、それ以降はここを通らないようにするから」


 そんなことを言ってはいるものの、実際に子供が見知らぬ成人男性に悩み事を打ち開ける可能性は、限りなくゼロに近いと久遠は思っていた。だからこれは、完全に自身の自己満足のための発言であり、ただ自身が安心したいがための言葉であった。


 近付かなかったのは、通報されないため。わざわざジュースを買ってやったのは、自己満足に付き合わせて子供に怖い思いをさせたかもしれないと反省したため。


 どうであれ、久遠は今後一週間、言った通りに同じくらいの時間帯に顔を出して、誰もいないことに安心したら、それ以降は少し遠回りと早めの時間に帰ることで関わりを持たないようにして、子供には変な人がいたものだくらいの認識になってもらう予定だった。

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