第8話 迷い

 ディランは売店で二人分の昼食を買って、急いで校舎裏の森の中に入った。

 

「お待たせ。ついて来てくれるかな」


「はい」


 森の入口に隠れていたエミリーと合流して、薄暗い森の奥へと進む。しばらく歩いていくと開けた明るい場所に出た。ディランのお気に入りの休憩場所だ。


「こんな場所が森の中にあったんですね」


「うん、知っている人は少ないと思うよ」


 ここはディランが学院に入学してすぐに、チャーリーから逃れるために森に入って見つけた場所だ。空き地の中央にあった机と椅子には王家の紋章が入っていたが、だいぶ朽ちてきていたので何代も前の王族が利用し忘れ去られた場所なのだろう。ディランが新しい机と椅子に変えて快適に過ごせるよう整えた。


「ここは兄上も知らない場所だから秘密だよ」


「私がそんな場所に居ても良いのですか?」


「構わないよ。話をするのに、ちょうどいいからね」


 エミリーが知っていたとしても、王家の紋章が入った家具が置かれているので、ディランと一緒でなくては使えない。座るだけで不敬罪で捕まる可能性のある椅子なんて、森の奥に来て、わざわざ座ろうとする者はいないので、朽ち果てるまで忘れ去られていたのだろう。


 エミリーはディランが座って昼食を並べはじめても、不安そうに眺めるだけで中々座ろうとしなかった。その様子は、シクノチェス王家に権力が集中している現状を象徴している。ディランはそれが良いことだとは思わないが、変えられる立場でもない。


「座って。時間もないし、食べながら話そう」


「失礼します」


 ディランに促されると、エミリーは王家の紋章に触れないように気をつけながら、ちょこんと浅く腰掛けた。その様子はどこにでもいる王家を敬う少女で、ディランを毒牙にかける気配は微塵もない。


「今日の日替わりランチのスープはトマトベースだったけど、食べられそう?」


 ディランはエミリーにスプーンとフォークを手渡しながら聞いた。


「はい。トマトスープ大好きです。買ってきて下さってありがとうございます。あの……お渡しするのも失礼かもしれないのですが……」


 エミリーが財布からランチ代を取り出す。


「いらないよ。このくらいは遠慮しないで」


 ディランは有無を言わせぬ笑顔で財布をしまわせた。エミリーは良い子だ。シャーロットなら、買ってきたお礼さえ言ってくれるか怪しい。ディランはエミリーに好感を抱くが、シャーロットのディランの扱いが酷すぎるだけだとは気づかなかった。


「それで、助けてほしいっていうのは?」


 ディランは躊躇している様子のエミリーに話を振った。食事を終えてからにしたいのは山々だが、午後も授業が待っている。


「私に近づいてくる、男の人達からです」


「やっぱり、そうなんだ……」


 エミリーの表情は真剣そのもので、冗談を言っている雰囲気ではない。


(何かの罠か? もしそうなら、王宮に行った後にして欲しかったな)


 すぐにでも助けてあげたかったが、エミリーの持つ『誘惑の秘宝』からと思われる魔力をそばで感じて、ディランは冷静さを取り戻していた。


 王太子に会い禁書を読んだ後なら、罠に対する策もあったかもしれないが、今のディランは蜘蛛の巣の前を飛ぶ小さな虫にすぎない。どこに罠があるかもわからないのに、エミリーの周りを飛び回るのは危険すぎる。謁見の予定は次の休みだ。数日ずれていればと思わずにはいられない。


 ここは、うまく躱して逃げるべきだ。そう思うのに、どうしても躊躇してしまう。エミリーの表情が、もう後がないと語っているからだ。エミリーは今にも泣きそうだが、その表情にディランを誘惑するような作為的なものは一切感じない。本当に助けて欲しいと願ってやってきたなら、王族のディラン相手に勇気が必要だっただろう。


(この子を見捨てていいのか?)


「僕にも分かるように、説明してくれるかな?」


 気がついたときには、そんなふうに言っていた。言い終わった瞬間から後悔するがもう遅い。


「話を聞いて下さるんですね。ありがとうございます」


 エミリーはペコペコと頭を下げながら泣き出してしまった。


(僕に何かあったら、師匠がなんとかしてくれるよね?)


 魅了されようと命に関わることはないだろう。こんな状態のエミリーを見捨てる方が、魅了されておかしな行動をするより後悔しそうだ。ディランは開き直って、エミリーの頭を撫でて落ち着くのを待った。

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