第2話 面倒事

 数日後、ディランの願いも虚しく、学院は面倒な状況に陥っていた。


 新しく加わったエミリーの取り巻きは、朝から王子らしいキラキラとした笑顔でエミリーに寄り添っている。取り巻きと呼ぶにはオーラがあり過ぎて、エミリーも萎縮してしまっているように見えるが……


(兄上は、何を考えているんだろう?)


 ディランはエミリーに微笑みかけているチャーリーを談話室から覗き見て、ため息をついた。ディランがチャーリーとエミリーの話をしてから何日も経っていないので、チャーリーの行動には何か意図があるのだろう。そして、今までの経験から推測すると、十中八九、このあとチャーリーはディランに何かを押し付けてくる。


(ちゃんと、話してほしいって言ったのに!)


 今回はチャーリーに裏などなく、エミリーを本気で口説いているだけの方が、ディランとしては被害が少ない気さえする。チャーリーには婚約者がいるので国としては大問題だが、ディランには関係ない――いや、もし婚約破棄などになればチャーリーの立太子に関わるので、ディランにも影響は大いにあるが……


(どっちにしろ、僕にとばっちりが来るじゃないか!)


 ディランは心の中で叫ぶ。一人きりの部屋ですら大声を出せない小心者の自分が悲しい。


(どうせ顎で使うなら、事前に説明くらいしてくれてもいいのに……)


 チャーリーは、ディランが突然のことに慌てふためくところも含めて楽しんでいるのだ。本当にやめてほしい。


 こういったチャーリーの動きは、ディランがチャーリーを裏切って王座を掴もうとしないよう、手綱を握る意味もあるのかもしれない。『お前は私には勝てない』とディランに刷り込むつもりなら成功しているが、チャーリーに、その憶測を確かめたことはない。黒すぎるチャーリーの腹の奥底などディランは知りたくもないからだ。藪をつついたら蛇どころか魔王が出てくるのが分かっていて藪に近づく者などいない。

 

 とりあえず今のディランにできるのは、現状については推測することだけだ。いつどこで火の中に投げ込まれても、生き残れるようにしておく必要がある。


(とにかく、状況を整理しなくちゃ)


 ディランがエミリーと取り巻きについて注視しているのは、エミリー自身の純粋な魅力で人が集まっているとは思えないからだ。男たちの焦がれるような視線に、女たちの呆れるような視線。あまりにも対象的すぎて不自然だ。


 おそらく、エミリーは何らかの方法で男たちを強制的に魅了して、心象を歪めているのだろう。チャーリーやハリソンたちはディランと同じ印象を持って、魅了されたフリをして捜査しているとみて間違いない。


 魅了状態の原因として考えられる方法は大きく分けて2つある。


 1つ目は魔法薬による魅了だ。匂いを嗅がせることで誘惑する香水と口から摂取させることで誘惑する経口薬が存在する。経口薬は食べ物や飲み物に混ぜて使用するのが一般的だ。


 ただ、ディランはこの方法は考えなくていいと思っている。魔法薬の効果は長くて一日程度なので、毎日嗅がせるか食べさせるかする必要がある。チャーリーの腹心であるハリソンが調べているなら、2日もあれば解決する事件だ。


 ということは、もう一つの方法による可能性が高い。


 その2つ目の方法は、『誘惑の秘宝』と呼ばれる魔道具による魅了だ。『誘惑の秘宝』を持っている者に近づくと魅了されてしまう。これならば、匂いで気づかれることも、口に入れる物を検査されて発覚するようなこともない。


 そのため、ディランたち王族やきちんと学んできた優秀な貴族子息は、『誘惑の秘宝』による魅了状態を回避する訓練も受けている。かなり厳しい訓練であるため、その訓練の教本を書いた魔道士アルビーをディランは恨んだほどだ。


 取り巻きの顔ぶれが、あのように無能な者ばかりになったのは、そのせいだろう。


 強い効果のある『誘惑の秘宝』の場合、訓練した者も近づきすぎると魅了される危険があるので、ハリソンには解決できなかったのかもしれない。それでも、何者にも屈しない強靭な精神を持ったチャーリーが自ら動いているのだから、エミリーから『誘惑の秘宝』を取り上げてすぐに解決することだろう。


(もしかして、今回は巻き込まれないのでは!?)


 ディランは喜びかけたが、窓の外を見て、すぐにそうならない事を悟った。登校してくる生徒たちから注目を浴びる中、チャーリーがエミリーの腰を抱いているのだ。愛おしげに近づいて耳元で話しかけている様子は、恋人同士にしか見えない。


(まさか、兄上が陥落した!?)


 ディランは呆然と窓の外の様子を見つめた。もちろん、『誘惑の秘宝』をエミリーから取り上げて拘束するだけなら、口説くようなことをする必要はない。


(げっ!)


 たまたまなのか誰かから聞いて駆けつけたのか、チャーリーの婚約者であるシャーロット・シンビジウム公爵令嬢もその場にいた。青くなったり赤くなったりしながら、エミリーを睨みつけている。


 エミリーはシャーロットの視線に気がついたのか涙目になっている。シャーロットの幼馴染であるディランでも、あんなふうに睨みつけられたら逃げたくなるだろう。


 だが、チャーリーに腰を抱かれているエミリーに逃げ場などない。そのチャーリーはシャーロットを気にすることなく、エミリーを慰めるように頬に触れていた。


(いやいや、兄上が離れれば解決ですよ)


 ディランは微妙な気持ちで成り行きを見つめた。


 恋人のようにイチャつく二人の様子を見て、シャーロットがチャーリーのもとへ向かおうと歩き出す。掴みかかるような勢いだったが、エミリーを守ろうと動き出した取り巻きに遮られてしまった。


(しゅ、修羅場だ……)


 ディランはヒヤヒヤしながらも、距離があるので見守ることしか出来ない。

 

 しばらく、取り巻きとシャーロットは激しく口論していたが、シャーロットは友人たちに宥められ、引きづられるようにして校舎に入っていった。


 シャーロットは悔しそうにしていたが、友人たちの判断は正しい。エミリーの取り巻きは男ばかりでそれなりに人数がいる。抑えが効かなくなった者が、シャーロットに危害を加える可能性は十分ある。


 エミリーの取り巻きは、シャーロットの身分も気にせず殺気立っていた。シャーロットは、学院の中でチャーリーとディランの次に身分が高い。平等が原則の学院だが、シャーロット相手であれば遠慮するのが普通だ。やはり、エミリーの取り巻きは、何らかの力により理性を失っていると考えて間違いない。


 ただ、一番の問題なのは、こんな修羅場が起こったのにも関わらず、エミリーをエスコートして校舎に入って行くチャーリーだ。何を考えているのか、さっぱり分からない。


(勘弁してよ……)


 ディランは誰もいない談話室で一人頭を抱えるしかなかった。

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