第39話 真実

「ユウト! 機体に戻れ‼」



 ユウトとメイミの長いキスが、エイトの声で中断された。恋人たちの時間を邪魔するという無粋を働くに足るだけの切迫さが、その声にはあって。ユウトは身構えた。



「エイト! どうした⁉」


「空棲種が生きている‼」


「な⁉」



 エイトが指差した先に。成層火山であるアララト山の頂から伸びる、噴煙のような雲──実際は核爆発でできたキノコ雲が風に吹かれて崩れたもの──の周りを旋回する、無数の白い影。


 ネフィルが死んで、同時に死んだと思っていた大小のネフィリム空棲種たちが生きていた。ならネフィルも生きている? 核で全身が吹きとんだと思ったが、脳が無事に残っていたのか。



「分かった! 行こう、メイミ!」



 ともかく生身でいるのは危険、メイミを連れてザデルージュに乗らねば。ユウトはヘルメット、ゴーグル、マスクを拾おうと──



「平気ですよ」


「え?」



 ──かがむのをやめ、メイミを見た。


 少し、表情がかげっている気がする。



「平気?」


「彼女たち、あそこから動きませんから」


「連中の声、こんな遠くにまで届くのか」


「……ええ」



 メイミはネフィリムの声が聞こえる。


 なんと言っているのかも理解できる。


 ニューヨークで発見されるまで長いことネフィリムの培養槽にいたことで体に起こった変化だと推測されている。それで人類側からもネフィリム側からも通訳をやらされて大変な想いをした。


 人類側でした時には、陸棲種のボスクユーサーと和平交渉を成功させかけていたのに、仲間の暴走で相手を騙し討ちする形になってしまった。表情が暗いのはあの時のことを思いだしているからか。


 メイミは状況を告げた。



「空棲種が生きているのは、ネフィルが生きているから。でも、あの巨体はちゃんと頭部まで粉々になってます。なのに生きてるのは、そこに脳が入ってなかったから」


「脳が⁉」


「あれはネフィルの細胞でできた人形……分身だったんです。だから壊れても子供たちには影響なくて。ちゃんとネフィル本体の脳を破壊しないと。それは、ここにあります」


「は?」



 ユウトは固まった。


 メイミは指差していた。


 自身の頭、こめかみを。



「ワタシが、ネフィル……本体です」


「なんで。空棲種にさらわれたあと、なにかされたのか⁉ ネフィルが言ってた責め苦って、子孫たちの死の引金になる機能を君の脳に移すような……?」



 メイミは首を、横に振った。



「ナイルから、バイカル湖に運ばれて。培養槽に入れられて……そしたら思いだしたんです。忘れていたこと、全部」


「記憶が戻った⁉」



 それなら今のメイミには、ミコトとして生きた18年分の記憶もあるのか。だったら人格も統合されているはずなのに、そうは見えない。


 その話しぶりから。


 ミコトを感じない。



「初めに思いだしたのは、2年前の結婚式でした。ユウトさんと、ミコトさんの。ミコトさんがネフィリムに食べられた日」


「‼」



 忘れもしない。


 あの悪夢の日。



「教会の壁を壊して侵入したネフィリムは、ミコトさんを羽交いじめにして。振りかえった顔が恐怖に引きつって。またすぐ前を向いて助けを求める彼女に、頭からかぶりついて」



 ユウトは違和感を覚えた。



「そう……それがミコトさんの記憶なら自分の顔は見えません。視点が、彼女を食べたネフィリムのものでした。それがワタシ。ネフィル、って名乗ったのは最近ですけど。ネフィリムの始祖」


「違う! 君は、その記憶を植えつけられたんだ‼」


「いいえ……もう全部、思いだしましたから。クマムシだったことも、宇宙で乾眠して死ぬ想いで耐えたことも。地球に戻れたら体が大きく強くなって、ネフィリムに進化したことも」


「それも! 本当の君の記憶じゃない‼」


「調子に乗って。子供を産みながら一緒に色んな動物を捕食してたら、人間に反撃されて子供が死んで……対抗しなきゃ、って」


「メイミ!」



 メイミはもうユウトの声に反応しなかった。


 ただ、遠くを見るような目で独白を続ける。



「ワタシは自身や子孫の遺伝子を改変して、体を作りかえて様々な能力を発現させられます。また食べた生物の遺伝子情報を記憶して、その能力を再現することも。子孫が得た情報も、ネットワークで共有しています」



「でも先天的な能力だけ。人間の兵器は再現できましたけど遺伝子を解析してじゃなかった。後天的学習の割合が多い人間をワタシは理解できなくて『もっと知らないと』と思いました」



「やがてワタシは食べた脳細胞から記憶を読みとる能力も得ましたが、人間の記憶を読んでも精神構造がクマムシのままだったので理解できませんでした。そこで、人間になることにしました」



「初めて食べた人間、ミコトさんの遺伝子どおりに体を作りかえて。自身の記憶を封じて、人間1人分の知識だけ残せば、心まで人間になれる……それがワタシ、メイミです」



「ただ、ミコトさんを食べた時は記憶を読む能力がなかったので、それが発現して以降に食べた人間たちの記憶から公約数的な知識を抽出して代用しました」



「ミコトさんの記憶と人格はサルベージできません。それを宿した細胞は全て、もう消化してウンチにしちゃいましたから。2年前、とっくの昔に。彼女はあの時点で、完璧に死んでるんです」



 ガシャッ‼



 ユウトは突然、視界が下にズレた。


 脚の力が抜けて、膝をついていた。



「記憶を封じる前に子孫らに命じて、ワタシはニューヨークで、保存食の人間たちを入れる培養槽の1つに入りました。そして彼らに紛れて回収され人間社会に──ノアザークに潜入しました」



「体の大部分は完全に人間のミコトさんそのもので、ネフィリムの遺伝子を持つ細胞は奥深くに隠してましたから、表層の細胞を採取して行う遺伝子検査では正体がバレませんでしたね」



「体内に複数の遺伝子を持つ、キメラ状態でした。今はまた全身の細胞をネフィリム化してます。外見は変わってませんけど……脳を潰すか、首を斬ると死ぬのは一緒です」



 メイミは招くように両手を広げた。



「さぁ、ユウトさん。ワタシを殺してください。そして今度こそネフィリムを滅ぼして、世界を救った英雄になってください」


「ああああああああああああああああああああああああああ‼」



 ユウトは天を仰いで絶叫し。


 両目から、血の涙を流した。

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