第32話 ザデルージュ

 始祖ネフィル率いるネフィリム空棲種の大軍が、世界一の塩湖カスピ海の艦隊を潰滅させ、夜も更けた頃。ネフィルはバスタブに見立てた湖に横たえていた身を起こした。


 星明かりの下に立つ、巨大な半裸の美女。


 その美貌は人間の女オオツキ・ミコトから奪ったものだが。


 空棲小型種・大型種の雲霞のごとき群れが湖から飛びたつ中、それらに囲まれたネフィルだけは湖底に足をつけて歩きだす。水深は最深部でも1025m、身長3000mの彼女は足がつく。


 歩くだけで津波が起こり、沿岸のいくつもの都市が呑まれ、人や物が流される……その都市の1つに、ネフィルは上陸した。


 アゼルバイジャンの首都バクー。


 カスピ海の西岸に突きだした半島に栄える、近未来的な大都会にそびえる巨大ビル群も、中世の城壁都市の史跡も、その両足に踏みつぶされていく。


 その足下で必死にもがく人々の許に、天使のような小型種や大型種が舞いおりて、捕食していく。過去ネフィリムに滅ぼされた都市で繰りかえされてきた悲劇の再演。


 バクーを滅ぼしたネフィルは空棲種の群れを引きつれて、さらに西へと歩いていく。一歩ごとに地響きを立てながら、人類統合体の領域の内側へと踏みこんでいく。


 人類にとって由々しき事態だった。


 このまま西進を続けられたら地中海に侵入される──飛べばすぐなのに歩いている理由は不明だが──いずれは。


 ネフィルが海棲種を新たに生みだし地中海に放てば、かつての危惧が現実となる。以前の海棲種を大西洋から地中海に入れぬよう阻止していた頃に想定していた最悪の事態が。


 海棲種は空も飛べる。


 人間が手出ししづらい海中で繁殖して地中海の全域に広がり、沿岸と、そこから一定距離内の陸地が襲われる。到底、守りきれない広範囲。しかも、それは人類統合体の国土の大半。


 チェックメイト。


 海棲種の前に空棲種にこのまま蹂躙される恐れもあるが──とにかく、ネフィルを地中海に入れてはならない。終末の足音に震えながら、人々のあいだでは決戦の気運が高まっていった。







 人類統合軍の各地の基地や軍艦から、フラッドが搔き集められて一部はネフィル軍の足止めに出撃する中、ノアザーク所属のフラッドの操縦士たちには待機が命じられていた。


 人類軍も戦力を小出しにして各個撃破される愚は犯さない。最低限の足止めはするが、体勢を整えてから総攻撃に移る計画。


 その準備で、マナーマの軍港に停泊中のノアザークの飛行甲板に1機のエクソ・サーヴァスが飛来して、エレベーターで艦内の格納庫へと降りる。その機体はフラッドではなかった。


 全高20mの人型。


 全身は水や空気の抵抗を減らすため滑らかな装甲で隙間なく覆われ、額に一本角のある頭部は半ば胴体に埋まり、関節部は蛇腹になっている。


 背中の主翼は教鞭のようなテレスコピック構造で伸縮し、空中飛行時は伸ばして、水中潜航時は縮める。臀部に水平尾翼。くるぶしに水中では脛に格納される尾翼。


 下腿内部の空洞は空気中ではプラズマジェットエンジン、水中では電磁推進器となり、かかとにそのノズルがある。


 ここまでは、フラッドと同じ。


 まず違うのは当然ながら外見。


 同様の機能からデザインは似ているが、より洗練されてシャープに、端的に言えば『より格好良くて強そう』になっている。


 そしてフラッドは漆黒に塗られることが多かったが、これは白銀に輝いている。頭部複合センサーの双眸の鋭い眼光と相まって、見た者にヒロイックな印象を抱かせる。



 おお~っ!



 格納庫に集まった者たちが、その勇姿を見上げて感嘆した。その者たちの大半の、作業着姿の整備兵たちの長、〖おやっさん〗ことツチクラ大尉が他の違いを語りだす。


 みな、興味津々に聞きいった。



「フラッドはアルミ合金製だったが、こいつはチタン合金製だ。頑丈になった分、重くもなったが、機動性はハネ上がった推力で補う。推進器のパワーが上がった理由は──ウナバラ機関長」


「はい」



 白衣姿の機関長が説明を継いだ。


 ここからは彼の専門分野である。



「推進器そのものに革新はありませんが、単純に使える電力が上がったことで出力が上がりました。フラッドはバッテリー式でしたが、これには核融合炉が積まれていますので」



 それはこの艦の動力機関でもある。


 機関科の兵たちが面倒を見ている。



「艦の機関は重水素同士を核融合させるタイプの炉で、その熱で水を沸かした蒸気でタービンごと発電機を回して~って嵩張りますが、こっちはサーヴァスの胴体に収まるほど小型です」



 つまり、炉のタイプが違う。



「重水素同士の核融合で生じる物質の1つに、ヘリウム3があります。これを重水素と核融合させると、タービンやら使わず直接に電気を取りだせるため装置が小型で済みます」



 それでも生じる電力は絶大。


 バッテリー式とは天地の差。


 その出力差が、電動装置に反映される。


 推進器にも腕部メーザー砲の威力にも。



「ヘリウム3は自然界では稀少ですが、本艦の炉がこれまで作って蓄えてますから、燃料不足の心配はありません。わたしたちの航海の産物が活かされるわけです」



 おお……!



 中には難しい話に付いてこれない者もいたが、最後の言葉には皆が感じいった。この艦で滅びゆく祖国・日本から脱出した時のこと、それからの長い苦難の日々を想い、涙する者もいた。


 一方、機体は格納庫の整備台に収まり、その喉元のハッチから出てきた操縦士がリフトに乗って降りてくる。彼はこの機体を元あった基地から運ぶ役で、任務を終えて帰っていく。


 彼を労い見送ってから──


 艦長が一同に向きなおった。



「諸君。これがフラッドの後継機たる次期主力エクソ・サーヴァス【デルージュ】……その試作機【ザデルージュ】だ」



 兵たちが傾聴する。


 機関長、整備長、整備兵ら。


 そして、19名の操縦士たち。



「残念ながら量産は間に合わなかった。決戦に出撃できるのは、試験運用で拡張性の限界まで強化されている、この1機のみだ。オオゾラ大尉、貴官の機体だ」


「ハッ!」



 エイトが敬礼して応じる。歩兵長であり、サーヴァス隊隊長であり、人々の期待を背負った救世主であるエイトに、この英雄的な機体が託されるのは当然……



「お待ちください」



 操縦士の中から声が上がった。


 その声の主は、ユウトだった。

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