第21話 お話します
私の耳には声を押し殺して、鼻をすする音が聞こえる。
肩は少し濡れて冷たくなり、ずっしりと頭の重さを感じていた。抱き締めてくる腕の力が思ったよりも強くて苦しいけど、シェルトの苦しさを思うと我慢できる。
私が想像していたのとは別の辛さを背負っていた。シェルトの事だから一生懸命に働いて、手を抜くこと無く仕えていたはずだ。それも10年という、とても長い時間。
レーベンスの領主レボーク伯爵様はとても聡明で立派なお方だとマスターから自慢気な話を聞いてたから、直接でないにしろ私も裏切られた気分になった。
実際に見捨てられたと思っている彼の失望感は計り知れない。
そりゃトラウマになって、代わりに拠り所にしている私に見捨てられないかと心配になるわけだわ。
こんないい子を裏切るなんて許すまじ! なんて伯爵様には言えるわけがないので、心の中だけで説教しておく。頭を撫でて今までの努力を誉めてあげることしか出来なかった。
30分ほどすると抱き締めていた腕が少し緩み、肩が軽くなった。
「アメリー、情けない姿をお見せしてすみませんでした」
まだ少し頭を預けたままこちらを向くシェルトの濡れた新緑の瞳は綺麗だった。触れてしまいそうな顔の距離に妙な気持ちになりそうだけれど、ツンと顔を逸らしてして冷静を装う。
「良いのよ。少しはスッキリしたかしら?」
「はい、お陰さまで」
ようやく体を離したシェルトの顔は本人が言うように目は涙で腫れてしまっているが、清々しくなっていた。
「本当に大変だったのね」
「まぁ、今思えばこの程度は貴族社会では当たり前にある駆け引きです。平民なのに俺が手を出してしまったのが原因かと。無一文で放り投げられなくてラッキーでしたよ」
「そうかもしれないけど」
平民の出世が多くなったこの国だけど、やはり貴族に楯突くことは命取りの行為。それでも私はシェルトが可哀想でならない。
「もう! 俺がスッキリしたのにアメリーが凹んでどうするんですか。俺はアメリーのそんな顔より、いつもの顔が好きですよ」
「分かったわ。だったら美味しいお茶をお代わり!」
「かしこまりましたご主人様」
シェルトはいつもの微笑みを浮かべて、台所に立った。私より傷付いた本人の方がしっかりしている。本当に私は彼の救いになっているのか甚だ疑問だわ。
そして新しく入れられた6番のお茶はフルーティーな甘い香りが立ちこめ、ささくれた気持ちを落ち着かせてくれた。
本当にシェルトには敵わない。
「あ、でも騎士たちはシェルトよりもブランドン様を選んだのに、戻ってきて欲しいだなんて変よね」
「そうなんですよね。ブランドン様の腕は本物できちんと美味しい料理なんです。冷静になれば勝負の結果は当たり前だと納得するほどに」
「シェルトの料理が今更恋しくなったとか? お袋の味的な感じで」
「まさか。あの時、辞めさせられたのは俺だけです。俺の料理を再現できる料理人は何人も残ってるはずですよ。そっちに頼めば良いでしょう」
ますます騎士たちの必死さが分からず、二人で頭を捻る。そうすると追い払ってしまった騎士たちの話が気になってくる。あれだけ拒否の意思を示していたシェルトも同じようで……
「今度ここを訪ねてきたら聞いてみましょうか。部屋にあげても構いませんか? 外のお店で聞かれたら問題でしょうし」
「私は良いけど。シェルトは本当にいいの? 裏切られた気持ちじゃ……」
「彼らは勝負の結果のせいで俺がクビになるとは思ってなかったでしょうし、素直にその時美味しいと思う皿を選択しただけだと思います。彼らに罪はないはず……そう思える今は、逆恨みだったのかなと反省中です」
耳をペタンとして、尻尾が垂れ下がる幻覚を久々に見た。どうやら無理して強がっている訳ではなく、シェルトの本心のようだ。
「じゃあ私たちは待つのみね。って私が聞いてたら駄目よね」
内容が気になるものの、自分が全くの部外者だという事を失念していた。でも仕方ないと肩を落としてお茶を啜る。
「んー、でも家主の権限で立ち合っても良いと俺は思いますけど。まぁ、騎士たちに大丈夫か探りをいれて許可が出ればですけどね」
「無茶しなくても良いのよ」
「でも、実を言うと騎士ふたり相手に俺ひとりで聞くのが怖いんです。アメリーが隣にいたら冷静に聞ける気がするので、本音は一緒にいて欲しいんですよ」
頬を人差し指で掻きながら、決まりが悪そうにシェルトは苦笑する。
シェルトが望むなら一緒にいてあげたい私は右手の拳を高く上げた。
「じゃあ家主として、シェルトの今の主人(仮)として強気で同席を要求するわ!」
「おぉー頼もしい」
覚悟を決めた宣言に、シェルトは感心しながら拍手を送ってくれる。
あとは待つだけだと言った翌日、騎士たちはすぐに来た。
現在、私の部屋は非常に、微妙な、複雑な空気が漂っていた。シェルトがいつものように台所で料理をしている間、騎士たちはテーブル席に座って視線の行き先を決めかねている。
ちなみに騎士たちの名前は明るい茶髪がリックさんで、紺の髪はマイクさんと言うらしい。
にゃんこ亭から出たらすぐに待機していた彼らと出会い、シェルトが仕方ないなぁとため息をつきながら、話をするついでに彼らを誘って一緒に夕飯を食べようとなったのだけれど……誰も喋らない!
他人がいるのにいつも通りシェルトと私が話すのも微妙だし、騎士から話しかけてこないし、シェルトも騎士には話しかけないし、私はやっぱり部外者だし。
こんな状況でも私のお腹は鳴るし。本当に早く夕飯が食べたい。
「大変お待たせしました」
騎士ふたりが座るテーブルにどどんと料理が並べられる。いつも私が食べる2~3倍の量に圧倒される。
そして騎士たちはどこか感動したように料理を眺めていた。
「アメリーは俺と一緒に台所で立ち食いでも良いですか?」
「もちろんよ! 今日も美味しそうね」
椅子は二脚しかないし、騎士のお客様を立たせるわけにはいかない。私は気にせず台所に立つと大好物が目に入り、胸が高鳴る。
「アメリーはミートボール好きでしょう?おかわりありますからね。ってほら、リックさんもマイクさんも冷めないうちに遠慮無く食べてください」
「「はい」」
ふたりから羨望の眼差しを向けられていたが、シェルトが食事を促すと騎士たちは直ぐに食べ始めた。
一口、二口を噛み締めるように食べたあと、スピードはアップして山盛りだった料理があっという間に消えていった。
冒険者以上の胃袋の吸引力におもわず拍手を送りそうになった。
「「ご馳走さまでした」」
「……今回は言ってくれるんですね」
騎士たちの食事の終了の挨拶を聞いてシェルトが何気ないポソリと呟いた。
それは思ったよりも部屋で響き、静まり返る。
リックさんは悔しそうに皿を見つめ、マイクさんは気まずそうに頭をかいた。先に口を開いたのは先輩のリックさんだった。
「何も知らなかったとはいえ、シェルトさんが立ち去る原因を作ってしまって、すまなかった」
「すみません。僕たちはシェルトさんに出ていって欲しかった訳ではないんだ」
その言葉に違和感を覚えた。シェルトは自ら立ち去った訳ではない。意思に反して追い出されたのだ。
「謝罪はいりません。もう終わった話です」
だが、あえてシェルトは反論せず食器を片付け始めた。私は「片付けは任せて」とシェルトに伝え、食器を洗いながら会話の続きを聞くことにした。
シェルトがベッドに腰掛けると、台所を背にして二人はベッドに向き合うようにイスを移動させた。
「それより俺が気になっているのは、何故、今更俺に戻って欲しいと望むかです。ブランドン様の料理は美味しくて、昔ながらの料理が食べたければ残っている料理人に頼めば良いと思うんですが。俺がいなくなったあと何があったんですか?」
「それが……」
リックさんは眉間に深くシワを寄せ、言葉を詰まらせる。
代わるようにマイクさんが言葉を引き継いだがにわかには信じがたい現実が語られる。
「現在のレーベンス騎士寮には昔の料理人は誰一人残っていない。全員辞めてしまったんだ」
「――はぁ!?」
シェルトが信じられないと言わんばかりに絶句するが、マイクさんは一切訂正はしない。
「驚かれるのは無理ないだろうが、本当なのだ。あなたがいなくなって2か月後には厨房は激変し、前の面影は消え去った……我々は貴方が居なくなったことを遅れて悔やんだ。そして昔の食堂を取り戻したいんだ」
「いや、急に言われても何がなんだか。もっと詳しく教えてもらえませんか? 心当たりのある原因や、料理人たちのその後などわかる範囲で」
「はい。実は――」
そうしてマイクさんから全てを聞かされたシェルトは苦虫を潰したように顔を歪ませ、膝に肘をついて頭を抱えた。
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