第10話 ピンチがやってきた


「アメリー、起きて下さい。朝ですよ」

「んー?もう朝なの?……おはよう、シェルト」

「おはようございます。朝御飯作りますね」

「お願い」



 シェルトの優しい声に朝を告げられ、気だるい体を起こしてすぐに顔を洗いにいく。

 既にシェルトは身支度を整え終わっており、エプロンをピシッと着こなして朝御飯を作ってくれている。


 この光景が日課になって早2ヶ月。寒かった外はすっかり暖かくなり、夏を迎えようとしていた。



 シェルトは未だに屋根裏部屋に住んでいる。何度も我にかえって、部屋探しの進み具合を聞こうともしたけれど、本当に朝と晩に美味しいご飯を出してくるからタチが悪い。

 このヨダレが出てしまうビジュアルに、美味しいことが確定している香りに逆らえるはずはなく、まぁ良いかと思わせてくる。



 私がジト目で後ろ姿を見ていると、朝陽でキラキラ度が増したシェルトが振り返り笑顔で聞いてくる。



「アメリーは今朝は目玉焼きとオムレツどっち?」

「……甘いオムレツ。ふわふわで」

「とびっきり、ふわふわに作りますね」



 シェルトの料理の腕前は本当に凄いと日々思い知らされる。この家は水も温かいお湯も勝手に出てくるが、魔石コンロだけは旧式で火加減の調節ができない。

 着火が楽なだけで、火力は薪と同じく簡単に調整できない。ちなみに調節機能付きは高くて買えなかった。


 そんな旧式コンロでは難しいはずのオムレツも、シェルトは焦がさずにフライパンで器用に仕上げていく。他の料理に関しても完璧な焼き加減で出してくるから私の舌は肥える一方だ。



「シェルトって絶対に焦がさないよね。火加減が難しくて、私のパンケーキなんか見た目は焦げてて、中身は生っぽくなるのよ」

「火の精霊の加護持ちなんで、念じると精霊が火加減を調整してくれるんです」


 まさかの加護持ちだった。

 この世界の人は少なからず魔力を持っている。その魔力を使い魔法を顕現させるには魔術書や魔法陣が書かれた札などが必要。けれども精霊の加護持ちはその属性の魔法は魔術書なしで行使できるのだ。


 もちろん加護のレベルによって魔法のレベルも変わるのだけれど、加護持ち自体が世の中では少ない。




「あなた加護持ちなの? 凄い……定食屋のマスターも加護持ちだけど、声に出さなきゃ伝わらないって言ってたわ。でもシェルトは念じるだけだなんて……まぁ料理の腕前が素晴らしいからもちろん美味しく出来るんだろうけど」

「本当にそう思う? 俺のご飯は美味しい?」



 あんなにキラキラした笑顔で料理を作っていたというのに、急にシェルトは見捨てられるのを怯える子犬のように瞳を揺らして、縋るように聞いてくる。

 最近、こういう日が増えた気がする。



「私の顔を見てもそう思う?」



 私がご飯を食べている間、シェルトはよく「本当に美味しそうな顔だね」と恥ずかしげもなく言ってくる。

 それを指摘すると思い出したかのようにパァと晴れやかな顔に変わった。



「思いません! 俺は誰よりも美味しそうに食べるアメリーをずっと見ていたい。君を見ているとき、凄い幸せなんです」

「───なっ! ななななんてこというのよ!」

「本心ですよ。俺を拾ってくれた優しいご主人様 」

「うるさい犬ね! 盛り付けて早く食べさせてよ」

「うん、すぐ出すから座って」



 恥ずかしくなって誤魔化すように結構酷いことを言ってしまったが、シェルトの表情は陰ることなく益々輝いている。

 そしてストレートな言動も増えている。それに比べて私の顔はどうだろうか……言葉にするのも恥ずかしい。




 出された朝御飯をしっかりじっくり味わって、出かける準備を整える。そして玄関までの短い廊下の天井に伸びる梯子の下から屋根裏に呼び掛けると、住人が顔を出す。



「シェルト、着替え終わったから降りてきていいよ。私は仕事に行くね。きちんとお留守番してるのよ?」

「アメリー、待って」


 シェルトは慌てるように梯子を降りて、それは心底心配するような寂しい表情で私の手をぎゅっと握りしめる。本当に見本のような忠犬。



「アメリーは隙があるから気を付けてくださいね。人通りの多いところを歩いてくださいね。早く帰ってきてくださいね」

「隙を狙って住み着いてるシェルトに言われたくない……あなたが一番に私の良心を悪用してるわよ。でも、大丈夫だから。いってきます」

「いってらっしゃい」



 私はパッと手を振りほどいて玄関を出ていく。最近はどっちが飼い主かわからないほどに、過保護に心配されるけど嫌とは思わない。



 今日こそ出ていってね! という言葉はいつから言わなくなったのだろう。


 帰宅すると明るい部屋に美味しいご飯、笑顔で“おかえり”と言ってくれるシェルトが出迎えるのが当たり前になり、部屋と同じように私の心も侵略されつつある。




「おはようございまぁす!」

「おはようアメリーちゃん」

「アメリーちゃん、今日も宜しく頼むわよ」

「はい!」


 お店の裏口から入り、厨房にいる店主夫妻に挨拶をするとホウキを持って店内にでる。

 いつもは女将さんと一緒に掃除をするんだけど、最近はずっとひとりでやらなければいけないので、急いでごみを掃いていく。手を動かしながら、今日の確認をする。


「女将さん!今日のおすすめ定食は?」

「ハンバーグね!今日は50食も用意したのよ!」

「そんなに!? 昨日は昼の部が終わる頃はたくさん余ってたじゃないですか」

「それがね、昨日は夕方になったら一瞬で無くなったのよ……よく食べる冒険者が多くって」


 ブラックホールのような胃をもつ屈強な冒険者を想像して、げんなりする。

 実は最近にゃんこ亭はお客様が倍近くに増えて非常に忙しい。ピーク時には短いものの行列ができるほどで、マスターひとりでは仕込みが追い付かず女将が手伝うほど。

 ジャックも前日の夜から隙を見て仕込みを頑張ってくれているが、夜の営業をしながら全ての仕込みを終わらすのは難しい。



「ここ1週間で急に増えましたけど、何があったんですかね?南区の近くは冒険者向けのボリュームのある定食屋が多いはずなのに、わざわざ一般向けの定食屋にくるなんて……」

「そうよねぇ、閉店が相次いだと思ったけれど違うみたいだし、ここら辺の他の定食屋もお客さん増えているみたい。まるで冒険者全体が北区よりに移動してるようなのよ。もうお陰で市場では肉の争奪戦よ! あー大変!」



 すでに今朝の市場で戦ってきたのか、女将さんは興奮したように鼻息を荒くする。



「これが続くならメニュー改定も考えなきゃかね~ジョーイ」

「分かってはいるんだがなぁ~メニュー開発の時間が今は無い。急にアイデアも浮かぶわけでもないし、今は量を増やして凌ぐしかないなぁ」

「まぁね~とにかく作るわよ」

「おうよ!」


 話を切り上げるとマスターはハンバーグの種を力の限り練りあげ、女将さんは猛スピードでキャベツを千切りにしていく。私も負けじとテーブルをピカピカに磨きあげていった。


「ふぅ!」


 開店の時間までに全ての掃除を終わらせ、ひと息ついた。その時だった。



「うぅっ!!」

「ジョーイ!」


 厨房からマスターのただならぬ呻き声と、女将さんの焦る声が聞こえてきた。


「マスター! 大丈夫ですか?」


 私は走ってカウンターから厨房を覗くと、片手を床に手をつき、腰を押さえるマスターがいた。

 女将さんがどうにか起こそうとしているが、マスターは動くのがよほど辛いようで額に脂汗を滲ませていた。


 にゃんこ亭にピンチが訪れた。

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