第5話 愛しいご主人様
side シェルト
あの日、お貴族様の勝手な都合で俺は捨てられた。誇りを持ってやっていた仕事を予告もなく奪われ、味方だと思っていた奴らは俺の今までの成果を気にも止めなかった。
雇い主のご主人様と堅い主従関係だと思っていたのは俺だけで、本人ではなく代理人の男にクビを言い渡された。
退職金という名の手切れ金を渡され、1日も経たずして寮すら追い出されたのだ。
誰かに尽くすことが生き甲斐だった俺は、主を失いどん底に落とされた。
寮を出た俺の手元には鞄ひとつに収まる少ない私服と、平民で普通にしていれば一生暮らせるほどの退職金。これは我が儘を言った貴族の悪口を、俺が言いふらさないようにするための口止め料も含まれているのだろう。
「はぁ……とりあえず銀行か? そして宿」
この街レーベンスは治安が悪い訳ではないが大金を持ち歩くのは怖い。必要分だけ所持して大半を銀行に預けた。
そして思い入れのあるため、この街に残るか、立ち去るかすぐには決められなかった。
考える時間がどうしても必要で、でも宿で一人でいたら涙が止まらなくて、街を散歩することにした。
すでに日が沈みかけていた宿の外の居酒屋では、冒険者がゲラゲラと笑いながらジョッキをぶつけ合う。そして楽しそうに話ながら、ビールを飲み干し、皆同じ料理にかぶりつく。
「なぁ、ビールの樽1個奢るから俺を混ぜてくれないか?」
俺の足は自然と吸い込まれ、そんな事を言っていた。俺は冒険者たちに盛大に歓迎され、浴びるように飲み、いつの間にか記憶は失われた。
「うっ……」
頭がガンガンと何かに叩かれるような痛みで意識が浮上してくる。すぐに二日酔いなのだと分かった。
しかし頭は痛いが体は温かく、腕に収まる柔らかい何か収まっていて心地良い。痛い頭も何かに包み込まれ、少し甘い香りがする。
あぁ、癖になりそうな……この香りはまるで女性の……まさか
「――っ!?」
俺は焦って飛び起きようとしたが手足が動かせず叶わない。毛布を抱えるように手足はタオルで縛られ、ベッドに転がっていた。
酔った勢いでそういう特殊な趣向の娼館に入ってしまったのかと、血の気を失いかけたが違った。服はきちんと昨日のままで、鞄はテーブルに乗っていた。
頭だけを動かして見渡すと部屋は一般的なアパートの間取りで、誰かの家だと分かる。鞄の隣では家主であろう女性が、灰かき棒を持ってすやすやと寝ていた。
まるで捕虜と居眠りする見張りのような構図が出来上がっていた。
記憶の無い俺は、やっぱり何かしたのだろうかと不安になる。
逃げ出す? 謝る?
天使と悪魔が囁き合う。とりあえず俺は考えながら腕を捻りタオルを外す。女性の力ではやはり結び目が緩く、簡単に外れた。
そして足のタオルもほどいて、そっと女性に近づく。
朝日に照らされた金色の髪は輝き、眠る姿は神秘的だった。まるで彼女は天使のような……そう思ったら俺の悪魔が消え去った。
きちんと事情を聞いて謝ろう。
とりあえず灰かき棒は怖いので回収した。でもなんて声をかければ良いのかと悩んでいると、一匹の灰色の猫が現れた。
その猫は鳴きながら女性の頬を舐めている。
「羨ま……っ」
急いで口を閉じて出掛けた言葉を飲み込む。
俺は変態か!?
美しい人とはいえ、見ず知らずの無防備な女性に何を考えた?
あぁ、まだお酒が残っていて酔っているせいだ。そうに違いない。
そして俺が葛藤している間に女性は目覚め、茶色く大きな瞳を見開いたあと可愛いらしい顔を歪ませた。
女性は水を俺に与え、説明を終えるとあっという間に仕事に行ってしまった。
怪しい男に対して怖がらずに堂々とした態度で説明してくれた。なおかつ二日酔いに効くジュースまで用意してきっちり世話をやく。
彼女は帰って良いと言うが、地面に転がったまま埃も土も落とさなかったせいで床とベッドが汚れてしまっていた。お世話になった彼女に申し訳無さすぎて、掃除することにした。ついでにお礼にご飯も用意することに決めた。
料理を作っている間は楽しい気分になった。彼女は俺が料理を用意したら驚くだろうか。口にしてくれるだろうか。どんな顔で食べてくれるだろうかと、想像しただけで楽しい。
その想像という妄想はどんどん広がっていく。
彼女は働きに出て、俺は家でワクワクしながら料理をして帰宅を待っている。男女逆転しているが、まるで新婚夫婦のようじゃないか。
それも良いけど、合鍵をもらったばかりの彼女役(俺)が内緒で彼役(あの女の子)の家でご飯を作って待っている。
そして帰宅した驚く彼役(女の子)に彼女役(俺)はこう言うのだ。
「あ、おかえりなさい!夕食 にしますか? お風呂にしますか? それとも……おr」
「言わせないわよ!」
顔面に何かが叩きつけられ、受け止めた。彼女の素晴らしいスピーディーなツッコミのお陰で、現実に引き戻される。
しかし実に幸せな妄想だった。できれば最後まで言いたいセリフだったが、仕方ない。
彼女にお礼を説明しつつも、妄想の余韻で顔が勝手に緩んでしまう。
すると彼女の体からぐーっと元気な音が聞こえ、俺はチャンスとばかりに料理を用意したと勧め、彼女の同意を得た。料理の味にどんな反応をしてくれるか、楽しみに待つ。
そして彼女はミートボールをフォークで刺すと、小さい唇を大きく開けて豪快に一口で頬張った。その瞬間、大きな瞳をとろんと潤ませ、幸せそうに微笑んだ。
ドクン――と俺の心臓が大きく跳ねる。
二口目、三口目とフォークを止めることなく食べ、口角についたソースをペロリと舌で舐めたあと、スープをゴクゴクと豪快に飲んでいく。
頬はほんのり桃色に染まり、スープで濡れた唇が異様に色っぽい。
ストン――飛び跳ねたはずの心臓が落ちた。
ハッとして急いでおかわりを用意するが、彼女の食べる幸せそうな姿から目が離せない。
俺の作ったものが彼女を満たしていく。彼女の一部になっていく。
欲望は止まらない。
彼女のすべてを俺で満たしたい。このままお礼をしてさようならなんてあり得ない。もっと彼女の側で、彼女だけに尽くしたい。
そうすれば、空っぽになってしまった俺の心も満たされるはずだ。彼女は俺の光かもしれない。
そう明確に思ったら体も口も勝手に動いていた。俺の中の何かが振り切れた。上手いこともう一泊する権利をもぎ取り嬉しい反面、心配も増えた。
アメリーと名乗った彼女があまりにも押しに弱すぎる。
言葉はきついものの表情は真逆で優しく、しっかりしていそうなのに無防備で隙だらけ。素直になれない感じのお人好しが可愛いが……駄目だ。
こんな天使が独り暮らしなんて危険すぎる。
やはり俺が側にいなければ。離れるわけにはいかないと、屋根裏部屋で番犬になることを決意した。
そして早1週間……無事に今も住み続けている。一度暗い顔をしてしまったせいか過去を詮索してこないし、本気で追い出そうともしてこない。その間にも着々と屋根裏部屋の支配は進み、快適空間となっている。
そして夜ご飯だけではなく、朝ごはんもアメリーが食べるように話も運び、俺の生活はとても充実している。
今日はアメリーが休みだから、昼ごはん作れば彼女はきっと食べてくれるだろう。
1日二回は彼女の美味しそうに食べる姿を見ることができる。
でも相手は年頃の女の子だ。可愛いアメリーはたくさん食べるけどきっと体型も気にしはじめる頃だ。カロリーを考えながら食材を買って帰路につく。
「今帰りました!」
「シェルト、おかえりなさい!」
扉を開けると、金色のポニーテールを揺らし笑顔で出迎えてくれるアメリーの姿に胸がときめく。
おかえり――こんなにも良い言葉だとは思わなかった。俺も笑顔で応える。
「ただいま、アメリー。遅くなりましたが、今から昼ごはん作るんです。食べますか?」
「もちろん! 実はお腹すいてるの」
「ははは、食いしん坊ですね。すぐ用意します」
ほら、彼女は自分で用意することなく俺の帰宅、もといご飯を楽しみに待っていてくれた。食いしん坊という言葉に口を尖らせる彼女を宥めながら台所に立つ。
お腹をすかせる彼女をあまり待たせてはいけない。
いや……! 早く俺の手で彼女の体を満たしたい。
買ってきたベーコンを薄くスライスしフライパンでさっと炒める。その中に作りおきのマッシュポテトを入れ、滑らかになるようにブイヨンを加える。仕上げに粉チーズと黒胡椒を振りかけ、レタスを追加してパンに挟んで完成させた。
「おまたせ。簡単なものだけど良いですか?」
「美味しそうよ。ありがとう」
サンドイッチを前にアメリーは目を輝かせて、体をそわそわさせている。
あぁ、なんて可愛いのだろう。あ、カロリー忘れてた。夜ご飯からで良いか、と切り替える。
「どうぞ召し上がれ」
「頂きます」
俺が促すと彼女は分厚いサンドイッチをものともせず、口を懸命に縦に開けて噛みついた。
まるで頬袋でもあるのではないかと思うほど顔を膨らませ、至福の顔で咀嚼する。
「んんー♪」
何を言っているか分からない。でも俺にとって嬉しい言葉だというのは分かる。
アメリーの仕草、笑顔、言葉、全てが愛おしくて仕方がない。守りたい。だれにも渡したくない。独占したい。
短期間でこれほどまで彼女に執着心を抱くとは思わなかった。
身も心も、アメリーの全てを俺の手で満たしたい。
もうこの気持ちは止められそうにはない。でも彼女を怖がらせ、警戒され、避けられたら立ち直れない。
だから、ゆっくりと進めていこう。今度こそ主に捨てられないように……新しい主アメリーが俺を手放せなくなるように……俺なしでは生きられないように……慎重に、まずは体の中から――
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