第十二回 「獣の森」




 傷だらけの獣人が、十人ほど引き立てられてきた。


 包囲に耐えかねて、夜の内に逃げ出そうとした者たちである。


 それぞれに一応の武装はしていたが、こちらに夜襲を掛けるでもなく、またいくらも離れられないで、警戒線の兵に捕えられたということだった。


 真っ青な顔でうつむいている男たちを、アルテュール・ドル・イストリットは遠巻きに見ていた。


 深い森の中でも、比較的に開けた場所である。


 こちらの陣が対している、大木の間を縫うように建てられた石壁の上からも、よく見えていることだろう。


 それだけで、自分たちの大将が何を考えているか、手に取るように分かった。




「やれ」




 旗本に囲まれて、奥の方に腰掛けていた大将から声が飛んだ。


 虜囚となった男たちが横一列に並べられ、ひざをつかされる。


 その後ろに立った巨漢の兵が、はしのひとりめがけて、思い切り幅広の山刀を振り降ろした。


 枝木や草葉を薙ぎ払うための粗悪な刀で、当然のこと切れ味も良いとはいえない。


 そんなもので大人の首を落とそうとしたのだから、半端に骨で止まって鮮血が派手に噴き出した。


 獣人の絶叫が、森の中にこだまする。


 せめて、ひと思いに殺してやればいいものを、とアルテュールはたまらず眼をそむけた。


 長衣のすそひるがえして、惨状をながめている大将のもとへ歩み寄る。




「ダンスバーン殿。やり過ぎではありませんか?」




 大将の名は、ジルエッド・マリアス・ダンスバーンという。


 壮年の偉丈夫である。




「まともに戦って敗れたならばともかく、こいつらは夜陰に乗じて逃げ出した腰抜けどもだ。ふさわしい末路だろう」


「ですが、あまりに見ていられません。長剣で、一撃で以て首を落としてやればいいではありませんか」


「それが、狙いだ」


「何ですって?」


「敵のお前ですら、眼をおおいたくなるほどなら、あの石壁の向こうにこもっている獣人どもには効果てきめんだろう。奴らがわめき、事切れるまで叫べば叫ぶほど、連中の士気は下がり、籠城を続ける気力もなくなっていく」




 ジルエッドは、顔色を変えることもなく言ってのけた。


 腕を組んだまま胡床に腰掛けて、処刑を見ている。




「しかし、逆効果になるのでは? 捕虜のこの扱いを見せられれば、投降しても自分たちがどういう目に遭うか、想像しないわけもないでしょう。いたずらに敵を追い詰めれば、決死の兵になりかねません」


「獣に、それほどの性根があるものか。おびすくめば、抵抗も弱まる。更にうまくいけば、我先に逃げ出すかもしれん。それこそ、脱兎のように、な」


「手負いの獣が、もっとも手強いといいます」


「もういい。下がっていろ、イストリット。獣どもは、すぐに逃げ出す。我々は、それを待ち受けてしらみつぶしに討つ。それが、こちらとしては最良の展開だろう」




 面倒そうに手を振ったジルエッドに、アルテュールもそれ以上は言えなかった。


 きびすを返して、自分に与えられていた幕舎に戻る。


 大木の影に、簡素な木組みと、天井部分とわずかに四方の一部を覆うだけの布で建てられた幕舎には、自分の従者が数人控えていた。


 参謀という形で陣中に入っているアルテュールには、自分の指揮下にある兵が居ない。


 それで、大将のジルエッドに強く出られないでいる、というところもあった。


 ジルエッドには、口うるさい、生意気な若造とでも思われているだろう。


 この森で獣人たちを攻める間に、そう感じたことは一度や二度ではなかった。




「アルテュール様。朗報でございまする」




 幕舎の奥に腰掛けたアルテュールの許に、従者のひとりが声を弾ませて寄ってきた。


 恰幅かっぷくの良い、幕下では一番の膂力自慢の男である。




「どうした? ――いや、おまえのことだ。今日の晩飯でも獲れたのだろう?」


「な、何を。私が食い気一本のようなことを言わんでください。……実は、先ほどのありそうな森うさぎが罠に掛かっておりました」


「もう食い飽きたな、それも」


「はァ。獣人どもが、思ったよりもねばっておりますからな」


「当然だ。あんなやり方ではな。……それで? まさか、本当にうさぎが朗報だったのか?」


「あっ、いえいえ! お喜びを。後詰めとして、援兵六百騎がこちらへ向かっているそうです。その内の二百騎は、あなた様の麾下きかの者でございます」




 顔の前で大げさに手を振って、従者が地図を開いた。


 指した位置からすると、かなりこの森に近いところまで来ているらしい。




「本当かっ? ——誰が指揮を?」


「もちろん、ランペルト殿が」


「うん、うん。ゲレイルに加えてそれだけの兵が居れば、よその兵に頼れず動けるな」




 ゲレイル・M・ランペルトは、アルテュールが生まれる前からの宿将で、今は副官を務める男である。


 アルテュールが、最も信を置いている男だ。




「率いられた二百騎も、りすぐりの精兵でございます」


「ちょうどいい数だ。さすがに、ゲレイルは分かっているな。二百というのが、実にいい」




 兵を擁することは、絶対に必要だった。


 特に、今は本拠地の外である。


 力を持っていなければ、相手にあなどられて何もできない。


 一方で、眼に見えて強すぎる力があれば、相手をいたずらに刺激して警戒させてしまい、それはそれで動きにくくなってしまう。


 兵二百というのが、相手に抗するだけの武威を保ち、また必要以上には重視されない、ぎりぎりの数だった。




「これで、アルテュール様の護衛も万全になります」


「私のおりには、多すぎるがな。いざという時には、別働の遊軍として動けよう」


「ははァ。この陣は、どうも空気が悪いですからな」




 声をひそめ、従者が幕舎の外に顔を向けた。


 アルテュールは、同意するようにひとつ息を吐いてから、広げられたままの地図に、ふと指をわせた。


 従者ののぞき込む先で、上質な手袋に包まれた指先が森の中から近くの街道に抜ける。


 見る内、従者の顔色が変わった。




「先日、こちらの包囲を抜けてみせた二人組の獣人。足取りはつかめたか?」


「それが、方々に人をっているのですが、未だに発見の報はありません。おそらくは、もうどこかの町にでも逃げ込まれたものかと」


「町、となると、西のテヘルベナか……あるいは、東に進んでアンカルニア」


「距離でいえば、アンカルニアですが……連中の心理からすれば、安全な西の方に逃げ込みたい、といったところかと思いまする」


「私も、そう思う。——相手が、ただ逃げ出しただけならな」


「まさか、助けを?」


「可能性はある。というより、あれほどの手練れが、ただ逃げたとは思えん」




 すさまじい強さの二人だった。


 数度のぶつかり合いで獣人たちが石壁の向こうへ敗走し、包囲が一応完成した、というところで、今思えば、脱出するには一番の好機だったに違いない。


 壁の外へ打って出るや、こちらの兵をたった二人で数十人も打ち倒し、鮮やかに包囲を突き破って夜の闇に落ちていったのだ。


 近くに居たアルテュールが、指示のひとつを出す暇もなかった。


 あの時ばかりは、自分の兵が居なかったことに感謝したものだ。




「では、アンカルニアに人を遣ります。しかし、なにぶん広い町ですので……」


「それも、今は人手が足りんか」




 仕方ない、と従者をねぎらって、アルテュールは立ち上がった。


 幕舎の外で、何か騒ぎが起きているのに気付いたのだ。




「何があった?」


「どうも、見張りの兵が帰ってきたようですな」




 従者を連れて、幕舎から出る。


 ジルエッドの周りに、人が集まっていた。


 見張りの報告では、森から半日の距離に、五、六十人ほどの一団が迫っているという。


 しかも、方角から察するに、アンカルニアから来たようだ。


 嫌な予感ともいうべきものが、アルテュールの脳裏を過ぎった。




「ほとんどが身なりのばらばらな傭兵と思しき連中ですが、先頭には軍兵がいました」


「あそこの隊長は動きそうにない、と報告を受けていたが」




 ジルエッドが、眼をつむったまま腕を組んで見張りの報告に呟いた。




「おそらく、形だけでも討伐の意志を見せておこう、というところでしょう。臆病でずる賢い魔族のやりそうなことです。本気で我らを討つのなら、数が少なすぎる」




 言ったのは、ジルエッドの部将、ルッガート・クシュム・レイだった。


 大将に負けず劣らずの巨漢で、小柄で華奢きゃしゃなアルテュールをあからさまに侮っており、普段から参謀としての進言に逐一反発してくる男である。




「私が、百騎ほど率いて蹴散らしてきましょう」


「うむ。所詮は寄せ集め。ひと当てすれば容易に散るだろうしな」


「お待ちください、ダンスバーン殿。先日、我らの包囲を抜けていった獣人が居たのをお忘れですか」


「覚えておる。イストリット」


「では、今この森に迫っている数十の一団は、あの者らが呼び求めてきた援軍だとは、お考えになられませんか」


「馬鹿な。運良く逃げられたというのに、また戻ってくるはずがない。連中は、とっくに去っただろう」


「レイ殿。あの者らは、初めから援軍を求めるために脱出したのです。そうとしか、考えられません」


「買い被り過ぎだ、イストリット。それが本当ならば、敵ながら見上げた勇気の持ち主だが、奴らは獣人なのだぞ。尻尾を巻いて逃げ出しただけだ」


「その通り。卑しい獣どもが、そんな節義を持ち合わせているわけがない。妄言も大概にして頂きたいな、殿




 今回も、ルッガートは嫌味ったらしくアルテュールに反発してきた。


 大将で、自分の主人であるジルエッドが取り合わないのだから、余計に調子に乗っている。




「たかが数十の雑兵に、参謀殿は何をそんなにおびえておられるのか?」




 ルッガートが鼻で笑うと、その旗本が合わせたように笑った。




「数で、敵を見誤ってはなりません。例の二人にさえ、こちらの兵は数十が斬られました。それが、兵を率いて来たとなると、実際の強さは百人分にも二百人分にもなりましょう」


「少し腕が立つだけの獣人など、このルッガート・クシュム・レイが駆除してやる。それで、終わりだ」


「連中の強さを、侮ってはいけません」


「はっ。参謀殿こそ、私の力をご存じないようだ。……それとも、ご自分に自信がないのかな。だから、そんな臆病なことばかり口にする」




 ルッガートが、威嚇いかくするように、背中に負った両手持ちの長剣を抜いた。


 とにかく太く長い剣身と、装飾過多のつばが眼を引く。


 後ろに控えた従者が、身構えたのが分かった。




「臆病、という話ではありません。現実に、脅威だと申しているのです」


「脅威だと?」


「万一、敵がこちらの予想以上の力を発揮した時、レイ殿は僅かに百騎でどうなされるか。勢いに乗じて敵がこちらの背をくようなことがあれば、必ず石壁の向こうに籠城している獣人たちも呼応してきます。そうなれば、我らは前後から挟撃を受けることになる」



「ならん。参謀殿は、後ろの小勢に私が負けると言うのか。戦を知らぬ若造、それも貧相な身体に似つかわしい臆病者が」



「聞き捨てなりません。私は、参謀としての責務をまっとうしているだけだ。取り消して頂こう」




「もう止めろ、二人とも。イストリットの心配性は、いつものことだ」






 さすがに見かねたジルエッドが、大声で仲裁に入った。




「ルッガートは、百騎を率いて新手に当たれ」


「ダンスバーン殿。せめて、二百を」


「包囲の維持もある。そう多くの兵はけん」


「左様、百騎でも多いくらいですな」


「ルッガート。イストリットの言にも、一理はあるのだ。用心して掛かれ」


「……はっ」


「それでいいだろう。わしが、そう決めた。これ以上は、誰も何も言うな」




 ルッガートは不服そうだったが、ジルエッドの威圧を前に、黙って馬がかれてくるのを待つだけだった。


 ただ、その間もこちらをにらんでいたが。


 アルテュールは、どうにかジルエッドに一礼すると、そのまま踵を返して幕舎に取って返した。




「ふう。いつ、斬り合いになるかとひやひやしておりました」


「……私は、そこまでおろかか?」


「めっそうもありませぬ。ただ、無茶をおやりになる気があっても、ランペルト殿たちが着いてからにしてください。我らだけでは、御身をお守りし切れませぬ」


「……いや、そうだな。クシュム・レイ相手に、つい熱くなってしまった。お前にも、心配を掛けたな」


「とんでもございませぬ。それが、役目ですので。あなた様が赤ん坊の頃から、私はひやひやさせられっ放しですからな」




 豪快に笑う従者に、アルテュールも笑みをこぼした。


 幕舎に戻るや、他の従者が酒や軽食を持ってきた。


 気をまぎらそうと、アルテュールは腰掛けるやそれを手荒に掴み取る。


 促されて、対面に恰幅の良い従者が座った。




「それにしても、ダンスバーン殿は、珍しく公平な裁きようでしたな」


「元々、軍才はあるお方なのだ。だからこそ、今度の指揮官に選ばれもした。ただ、魔族への偏見が邪魔をしているがな」


「なるほど。……クシュム・レイは、無事に帰ってきますか?」


「——本音を言った方が?」


「どちらでも、結構でございますが」




 ように脚を組んだアルテュールに、従者が意地の悪い笑みを浮かべた。




「敵の新手にあの獣人たちが混ざっていたら、まず助かるまい。特に、相手を見下しがちな男だ、あれは。油断などしている間に、あっさり斬られかねんぞ」


「それは、まずいですな。我が軍は、後方への備えを失ってしまいます」


「それに、あれほどの手練れが集めてきた兵たちだ。まだ他に、どんな化け物が居てもおかしくはない」


「考えたくもないことです」




 頷くばかりの従者に、アルテュールは肩を竦めた。




「まったく。敵陣の、ど真ん中でする会話ではないぞ」


「あなた様にとって、ここも敵陣ですか」


「違うか?」


「いいえ。——そのお言葉で、アルテュール様が何をお考えなのか、何となく分かったような気がします」




 見つめてくる従者に、アルテュールも微笑を返した。




「まだ、胸の内に留めておけ。続きは、ゲレイルが来てからだ」


「御意に」




 従者が、したり顔で敬礼を取った。


 しばし、二人で杯を重ねる。


 獲ってきた森うさぎは、昼に食べようか。それとも夜まで取っておこうか。


 アルテュールは、ぼんやりとそんなことを考え始めていた。




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