第11章 刻み合い
第41話 影を追って[前編]
樹は、気掛かりでならない渚の様子を窺った。
渚は話を締めくくって間もなく、暗い瞳を手元のマグカップへ向けたまま、電池切れを起こしたように動かなくなった。たびたび言葉を詰まらせ、声を震わせながらも積極的に話すのを手伝ってくれた彼には、感謝しかない。そして――申し訳ない。
渚が打ち明けた激しい自責は、樹の胸を抉った。渚がここまで自分を責めるのは、樹の醜さによるものだから。
昨日、渚から恨むなら恨めと言われた時、樹は狼狽した。自分の胸の内を言い当てられた気がしたためだ。
人間として死んだあの日、死を決めたあの瞬間、心のどこかで渚を恨んだ自分がいた。渚を助けていたのも、守っていたのも、全部自分が勝手にやったことなのに。自分に限界が来るなり、樹はそれを渚のせいにしたのだ。自分への怒りと、渚への申し訳なさで胸が張り裂けそうだった。
向かいに座っている
無音が始まってどれほどになるか、もはや見当が付かない。途方もない沈黙の果てに、微かに聞こえたのは鈴の声だった。
「樹君、渚君」
鈴がようやく顔を上げた。その顔は例えようがないほど悲しそうに、苦しそうに歪んでいる。想いが錯綜しているのは汲めた。しかし、彼女は敢えてそれを口にはしなかった。
「話してくれて有難う」
慰めでも同情でもない。温かみのある声でこれだけを言って、鈴は柔らかく微笑んだ。礼を言いたいのはこちらだ。
「ユピテル、メルクリウス」
僅かに間を挟んで、燿も口を開いた。
「ありがとね。なんか、便乗みたいになっちゃったけど」
燿は素っ気なく言って、ぽつりと付け足した。
「気の利いたことの一つぐらい言えたら良かったんだけどね。俺には無理だ。なんにも思い付かないや」
樹はゆるりと首を振った。
「二人とも、聞いてくれて有難う」
何も言わず、嫌な顔一つせず最後まで耳を傾けてくれた鈴と燿に、精一杯の感謝を伝える。二人は同時に頷いた。
再び渚の様子を窺う。渚はすぐに樹の視線に気付くと、「大丈夫だ」と小さな声で告げてから、波立つ心を鎮めるように深く息を吐いた。
「――鈴ちゃん。連絡先交換しとこ」
真っ黒なスマートフォンを取り出しながら、燿が鈴を見た。
「連絡先?」
「そ。クソアマがまだ生きてる以上、鈴ちゃんに危険がないとも言い切れないからね。念のためだよ」
「あ……そっか」
いざ口にされると恐怖がぶり返したのか、鈴の顔が緊張を帯びる。鈴は交換を承知し、自らもスマートフォンを手に取った。
燿のこの判断は、樹に幾らかの安堵をもたらした。美埼のあの能力を考えると、樹一人の力で足りるとは思えない。
「そういう訳で、メルクリウスもね!」
燿に有無を言わせぬ口調で要請されると、渚は一瞬眉をしかめたが、渋々といった様子で交換に応じた。
三人の間で連絡先の交換が行われる最中、突如インターフォンが鳴った。樹は怪訝に思いつつも席を立ち、モニターの方へと移動した。モニターに映っていたのは思いもよらない人物で、状況把握にやや時間を要した。
「ウラヌス……?」
三人分の視線がこちらに集まるのを感じながら、樹は足早に対応に向かった。
* *
「アポロ達が酷く心配していたものですから。近くまで来たついでに、立ち寄らせて頂きました」
自らが訪ねて来た理由を端的に説明するウラヌスの笑顔は、相変わらずとてつもなく緩く、何かのゆるキャラを彷彿とさせる。隙しかないように見えて、全く隙がないのも相変わらずだ。
計五人を収容したリビングは、既に足の踏み場がなくなっている。二人で住んでいる狭いアパートなので、こうなるのは当然と言えば当然だが。
「初めまして。ウラヌスと申します」
首を傾げている鈴を見て、ウラヌスは緩い声で名乗った。
「えっと、初めまして。諸星で――」
「知っていますよ。諸星鈴さん」
鈴の名乗りはやんわりと遮られたが、存在を知られていることについては薄々勘づいていたのか、鈴はこれといったリアクションはしなかった。
ウラヌスは鉄壁のニコニコ顔を保ったまま、室内を静かに見回した。
「その様子では、もうお話は済んだようですね」
樹は首肯する。そして、暫し迷った末に意を決した。
「ウラヌス。聞いて良いのか分からないけど……」
「はい」
「あの後、父さんは……」
置いて来てしまった父のこと。記憶を返還されて以来、樹と渚がずっと気にしていたことだ。
「宇野
拍子抜けするくらいあっさり了承したウラヌスは、一同の視線を一身に受けながら答えを口にした。
「彼は君達の死の翌朝、ご自宅で自ら命を絶たれました」
体が芯から冷え切った。愕然と目を見開いた。目頭が熱を宿して、鼻の奥が染みるように痛んだ。失意の底に叩き付けられた樹は、弱々しく項垂れた。
家族を守りたかった。守るつもりでいた。なのに、樹は結果的に母を死なせ、渚と父を置き去りにしてしまった。父を一人にしてしまった。激しい後悔に視界がぐらついた。
ぐらついた視界の片隅には、震動を纏った渚の手があった。爪が食い込んだ上着の裾は大き歪み、今にも裂かれそうだ。
「さて――」
そんな樹と渚を余所に、ウラヌスは話題を切り替えた。
「明日から一週間、君達三人には、早朝から深夜まで仕事に専念して頂きます」
「はぁ?」
突然の通告に、燿が頓狂な声を出す。
「君達が休んでいた間、課外や部署外の死神達からの苦情が絶えませんでしたので。こうでもしないと示しが付きません」
「……嫌って言ったら?」
「減給します」
「パワハラじゃん! 大体、バイトとか学校どうすんの!」
「サボって下さい」
「無茶苦茶だよ! そもそも、仕事休んでたの俺達のせいじゃないし!」
「減給します」
「ウラヌスってクズだよね! 知ってたけど!」
その時、燿の甲高い怒号を遮断するように、甲高い着信音が鳴り響いた。余り馴染みはないが、確か黒電話の音だった筈だ。樹が遅緩に顔を上げると、懐からボロボロのフューチャーフォンを取り出すウラヌスの姿があった。
「ディアナですね」
ウラヌスはそう独りごちて電話に出る。通話は一分どころか、その半分にも満たない短いものだった。フューチャーフォンを仕舞う傍ら、彼は場違い極まる穏やかな口調で告げた。
「サトゥルヌスの関係者の拠点が判明しました」
樹ははっと息を呑んだ。食い入るようにウラヌスを見据え、言葉の続きを待った。
「クロノスを覚えていますか?」
樹のみならず、鈴も明瞭な動揺を見せた。
あの夜に対峙した、小学生ほどの外見をした小さな死神。彼は鈴にとって忘れられない存在なのは疑いようがない。父親を傷付けられた上に、自分も命を狙われたのだから。
当然、樹にとってもだ。クロノスは樹と渚の素性を一方的に知り、倒れた樹を不可解な理由で見逃し、更には記憶の返還を示唆する不気味な言葉を残して立ち去ったのだ。あの死神は、それまでに戦ったどの粛清対峙とも一線を画していた。
「彼の粛清は、今回もユピテルとメルクリウスに一任します。詳細はまた後ほど」
「ねー、ウラヌス。俺は?」
「マルスにはアポロの手伝いをして頂きます」
「えー……」
「減給――」
「分かったよ! やるよ!」
燿の大声が響く中、樹は鈴がこちらを気遣わしげに見ていることに気付いた。
きっと、自分は今も酷い顔をしているのだろう。形だけでも笑顔を作りたかったが、まだ暫くは出来そうにない。樹の心は未だ失意の底に落ちたままだ。
「……勝手だよな」
「え?」
樹が呟くように発した言葉に、鈴が目を丸くする。
「自分は死んでおいて、父さんには生きてて欲しかったなんて」
「樹君……」
鈴は苦しそうに表情を歪めた。気付けば、渚も良く似た表情でこちらを見ていた。
「人間なんて、そんなもんだよ」
いつの間にか静かになっていた燿が、ぽつりとそんなことを言ってきた。
「揃いも揃って、自分のことで精一杯だからね。……それだけ必死に生きてたってことでしょ」
僅かな静寂の後、鈴が少しだけ笑みを取り戻した。
「うん。きっとそうだよ」
二人のその優しさは、樹の胸に深く染み渡った。制御が効かなくなった感情に、樹はゆっくりと飲まれて行った。
【To be continued】
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