第15話 無限の中の有限
数日前にオープンした雑貨屋を兼ねたアンティークカフェは、放課後を迎えた直後にも関わらず、早くも学生を中心とした客でごった返していた。
煉瓦造りの洋館を模した外観と、アンティーク家具や雑貨、絵画で装飾された店内が醸し出す異国の雰囲気は趣に富み、国内での物珍しさも相まって、多くの人々の興味を引いたらしい。残っていた最後の一席をからがら確保出来たのは、我ながら幸運だった。
鈴はドリンクメニューの中から幾つか候補を絞ると、向かいで同じようにメニュー表を眺めている樹を見た。鈴が好むような甘ったるい物が得意でないという樹の視線は、コーヒーや紅茶が載っているメニュー表上部を行き来している。
「ありがとね。付き合ってくれて」
礼を伝えると、樹が顔を上げた。
「それは良いんだけど……」
「けど?」
「ちょっと居づらい」
「あー……」
若干周囲を気にしている樹の様子に、鈴は申し訳ない気持ちになった。
勢いにものを言わせて樹を連れて来たは良いが、訪れた店内には女性客が九割、残り一割の男性客も恋人とおぼしき女性を連れているという、当初の想定を上回る光景が広がっていた。そのため、樹には落ち着かない環境となってしまっているようだ。しかし、席に通され、水も出された後なので、今更帰るのも難しい。
「ごめん。流石にここまで女の人だらけだと思わなくて」
「うん……。頑張って慣れるよ」
二人分の注文を終え、ドリンクが来るまでの間、少し時間が空いた。手持ち無沙汰に窓の外に目を向けていた樹に、鈴は言った。
「ねぇ、聞いても良い?」
「何?」
「樹君が人間だった頃って、どんな感じだったの?」
あの一件以来、かつての樹がどういった日常を送っていたのか、密かに気になっていた。美術部に所属していたことだけは聞いているが、それ以外はまだ何も知らないままでいる。
聞かれたのが意外だったのか、樹は怪訝そうな顔をする。
「聞いても面白くないと思うけど」
「面白くないかはあたしが決めるの!」
「そ、そう?」
つい語調が強くなり、意図せず樹を怯ませてしまった。
樹は結露だらけになったグラスの水を一口飲んでから、少々考えるような空白を挟んだ後に口を開いた。
「中三の十二月までの記憶しかないけど、それで良ければ」
「うん!」
自分の目が輝いているのを自覚しながら、大きく頷く。
樹はテーブルの上で指を組み、懐かしむように目元を緩ませた。
「楽しかったよ。家族とは仲良かったし、友達も多かったし、勉強も好きな方だった」
「えっ! 完璧じゃん!」
「ま、まあ……不満はなかったかな」
何から何まで、特に勉強のくだりは羨ましくて堪らない。勉強が負担とならず、友達もいれば、学校生活は概ね安泰だろう。
「あれ? ちょっと待って」
「うん?」
「友達多かったんなら、どうして今は人と距離置いてんの?」
「それは……」
鈴がふと生じた疑問を言葉にすると、樹の表情が微かに陰った。ドリンクが運ばれて来たことで会話は一度止まったが、店員が戻って行ったのを見届けると、樹は鈴の疑問に答えた。
「僕が人間じゃないからだよ」
「? どういうこと?」
「人間はすぐに変わってしまうけど、
樹が湯気を立てるコーヒーに視線を落とす。
「死神になってからも、人間と友達になることはあったよ。でも、一緒にいられる時間が短いのがだんだん苦痛になってきて、気付いたら人と関わることに消極的になってた。どうせすぐ離れなきゃいけないからって。それなら、最初から関わらない方が良いって」
樹は多分、本質的には人が好きなのだろう。その上で、そう遠くない内に訪れる別れを恐れ、人を遠ざけようとしている。本心と現実の乖離。これがどれほどつらいことか、想像に余った。
そして、鈴は一連の話を咀嚼して、あることを想起する。
「樹君達は、いつかここからいなくなっちゃうの?」
「うん……。定期的に活動地域の入れ替えがあるから」
鈴は口を噤んだ。すぐには言葉が見付からなかった。心に影が差す。きっと顔にも出てしまっているだろう。
死神の姿が死亡時のまま変わらないと明かされたあの日から、そういった可能性を一度も考えなかった訳ではない。しかし、向き合うには勇気が足らず、胸の奥に仕舞っていた。
「渚とマルスにも釘を刺されたんだ。後になって苦しむことになるから、人間とは必要以上に関わらないようにって。僕も最初はそうするつもりでいて……。本当は鈴ともただのクラスメイトでいるつもりだった。やっぱり怖かったから」
樹は語る。おもむろにコーヒーカップに伸ばされた彼の手は、取っ手に触れただけで、それ以上は動かなかった。
「――樹君」
鈴は無言で身を乗り出し、無防備な樹の頬を両手でぱしっと挟んだ。案の定固まる樹に構わず、無遠慮に顔を近付ける。今にも顔が触れそうな至近距離で樹を見据え、問い掛けた。
「あたし達って、いま友達だよね?」
「う、うん」
樹が固まったままぎこちなく答えると、鈴は彼を解放して座り直した。
「樹君はさ、あたしと友達にならない方が良かった?」
「!」
樹が息を呑む。
「あたしが関わりに行ったの、嫌だった?」
「違……っ、そんなことない」
樹の声と表情に緊張が宿る。嘘偽りがないのはすぐに分かった。生真面目でまっすぐな彼の態度に、笑みが零れた。
「あたしもね、死神の樹君と友達になったこと、後悔してないよ。この先何があっても、絶対に後悔なんかしない。……仮にいつか離れることになったとしても、あたしは笑顔でお別れしたいな」
大きく開かれた目が、鈴を見詰める。
「確かに、渚君や燿さんと比べたら、あたしが樹君と一緒にいられる時間は短いんだと思う。それでも、今はこうやって一緒にいられてるでしょ? あたしは、樹君と一緒にいられる間は、その時間を精一杯大事にしたいって思ってるよ」
黙って聞いている樹に、鈴は続けて伝える。
「これまで色々あったんだと思うけどさ。少なくとも、あたしといる時は、一緒に今を楽しんで欲しいな。あたしは、先のこと考えて落ち込んでる樹君より、一緒に笑ってくれる樹君の方が好きだよ」
自分に出来る限りの笑顔を作って、鈴はそう締め括った。
樹は沈黙を続けている。死神として生きる過程で根を下ろした怯えは、簡単には取り除けないのかも知れない。彼は暫し悩むように視線をさ迷わせていたが、長い沈黙の終わりには、鈴と正面から向き合い、幾らか和らいだ表情で、たどたどしくもこくりと頷いた。
たとえ覚束なくても、樹の出した結論に安堵した。嬉しさと心地よさに胸に浸透し、鈴は破顔した。しかし、そんな緩んだ顔は、ふと視界に入ったある物を前に、すっかり青ざめてしまう。
「あーっ!」
「え?」
「と、溶けてる……!」
「……」
悲鳴を上げ、嘆き、鈴は力なく項垂れた。
洒落たアンティークテーブルの上で、ラテに載ったソフトクリームが、変わり果てた姿で二人を見上げていた。
* *
「お疲れ。今日は疲れたねー」
頼りない明かりに照らされた夜の空き地で、戦いを終えた樹がほっと一息吐いていると、隣に立っていた
「疲れてるようには見えないけど」
「うん。俺、白鳥みたいに生きてるから」
「……」
「信じてよ」
二人で不毛な会話をしていると、渚が戻って来た。
「ああ、メルクリウス。蘇生終わった?」
「見れば分かるだろう」
「メルクリウスって、普通に返事したら死ぬの?」
澄まし顔でつっけんどんに返す渚に、燿の笑みが引きつる。
「はあ……もう良いよ。電話するから、ちょっと待ってて」
燿は溜息と共にスマートフォンを取り出し、タッチパネルを操作する。報告を目的とした通話はすぐに終わった。
人間の姿に戻り、三人で暗い路地を歩く。街灯はあるものの、古民家や空き家が点在するだけの狭い路地の明かりは、街中のそれには到底及ばず、余り遠くは見通せない。
「そうそう。君達に伝えなきゃいけないことがあるんだった」
アパートに帰る道中、燿が不意に何やら思い付いたように手を叩く。その言葉を聞き、樹一人が彼を見上げた。
「伝えなきゃいけないこと?」
「うん。最近、裏切り者の間で死神狩りが流行ってるんだってさ」
「……死神狩り?」
不穏な響きに、樹は眉をひそめた。
「仕事中の死神が襲われる事件が何度も起きてて、死者も二人出てる。死神狩りを実行してる連中は、自分達を死神にしたウラヌス達と、それに従ってる俺達みたいな死神を憎んでるって話だよ。あらかた粛清されたけど、肝心の主犯がまだ逃走中みたい」
「そう……」
燿の説明を、形容しがたい複雑な思いで受け止める。恨まれていることも、狙われていることも、心に澱を生むものだ。そして、暫くは突然の戦闘が起こる可能性を視野に入なければならないという現実がまた、澱を嵩増しする。
「主犯のコードネームはハデス。部署が違うし、名前だけ聞いてもピンと来ないだろうけど、とにかく用心はしといて。死神は死んでも蘇生出来ないからね」
「分かった」
一抹の不安を覚えながらも、樹は頷きを返した。
蘇生が効かず、転生もない死神は、死んでしまえば本当の意味で終わる。樹としては、それは絶対に避けたかった。もしそんなことになれば、仲間達だけでなく――彼女とも、二度と会えなくなるのだから。
【To be continued】
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