第36話 ジープラングラー
キョウコ先生の車はジープラングラーアンリミテッド。昔、父が買いたいと母に懇願していた時期があり、何となく車種だけは覚えていた。無骨な車の助手席にはハヤト、後部座席にはアオイとユイナ。最後に自分が乗りこむ。
「陸上の大会は七月の二十九日と三十日。野球の県大会は、二十七日と二十八日。カブらないから、やれるなって。最悪でも、地区大会くらいはって……まぁ、少しでも力になれれば……小学校の時からのチームメイトですからね」
助手席のハヤトが答えた。どうやら、キョウコ先生は、このメンバーが何故に野球部に入ったのか、興味がある様子だった。
自分も気になってはいた。ハヤトは陸上部だし、アオイもユイナも、そこら辺の男子より野球が上手いのに、入部していた訳ではない。
「あたしは、お姉ちゃんと野球できるの最後だし、どうせならって」
「ユイナ〜」「辞めてよ、お姉ちゃん」と戯れ合う姉妹。
「わたしは、私の球を捕れるキャッチャーがいた。それだけよ。ねぇ、ハヤト」
「あ、あぁ」
後部座席くらなじられ、バツ悪そうに頷く、アオイの元相棒。アオイが昔話に花を咲かせる時、どうしてか、もやっとした感情が湧き上がる。
「なによ、その目」
「アオイ、シンジは僕に嫉妬してるんだよ」
「んなわけねぇーだろ!」
ーーこれって嫉妬?まさかね。
自分で自分を嘲笑いつつ、標的がいつの間にか自分に向いている事に気づく。
「シンジは、どうなのよ」
「えっ、俺?」
一同、うんうんと首を立てに振る。
「だって転校初日、先生が青木君に勧誘したら、野球部には入らないって、頑なに言ってたでしょ」
「やっぱりわたし、私の美貌にやられたって事ね」
「ち、ちげぇーよ!」
不意を突かれて
「なぁ〜んだ、私じゃダメだけど、アオイちゃんなら良いって事。大人の女性の良さが分からないとは、まだまだ青木君も子供ね」
「ほ、ホントに違うんだって、からかわないで下さい。なんて言うかな。アオイの球を受けたら、また野球やりたいなぁーって。なっ、ハヤトなら、何となく分かるだろ。同じキャッチャーとして」
「同じキャッチャー、ね……まっ、分からなくてもないよ」
「だろっ」なんて返答を返しながらも、少しハヤトの声が悲しそうに聞こえた。助手席の少年の顔色は窺えないから、もしかしたら気のせいかもしれない。
「なによそれ、つまんない。まっいいわ。それより、キョウコ先生は何で、ですか?」
「へっ、わたし?」
急な方向転換。質問者が急遽、回答者に。確かにアオイと同じ疑問を持ってはいた。野球のルールすら全く解らない先生。仕事と割り切ってしまえばそれだけだが、さすがに本人の融通が全く通らないとは思えない。
「だって、このままじゃ、あの子達、可哀想じゃない。先輩に好き勝手荒らされて、後輩も入って来ないし。それに、前任は、責任だの何だのって言って……」
「前任って、杉浦先生じゃん。いいの?いちおう、先生の上司でしょ。そんな事、言っちゃって」
「上司、ね。いいのよ、アオイちゃん。今でもノックがしてぇだの職員室で言うのよ。じゃあすれば良いのにっていうと、規則だとかなんだ言って……。」
「杉浦先生って、数学のか」
「そう、ずっと野球部の顧問だったんだが、あの事件がきっかけでな」
自分の質問にハヤトが答えた。ハヤトの言うあの事件とは、先輩とユウキの乱闘騒ぎの事で間違い無いだろう。
「男なんて、やれプライドだ。立場がどうだとか、そんなんバッカリよ。くだらない。」
先生の話がヒートアップしていく。「そうよ、そうよ」と女性陣が囃し立てたところで、車は赤石橋。目的地に到着した。何故か少しだけホッとした自分がいた。
「じゃあ、また明日、学校でね」
そう言って片手を挙げる先生。無骨な車を見送った。赤石橋で白峰姉妹とも別れる。そして、ハヤトも……?
「もしかしてだが、アオイは肩を痛めてるかもしれない」
振り向いた瞬間、少年の儚げな眼差しが、ぼんやりと赤石橋の下、チロチロと音を立てて流れる小川を見つめていた。悲しげな声の余韻が、大芦川の遥先、更に下流の思川まで流れていくようだった。
刹那、思慮深気なアオイの元相棒は、ハッと我に帰る。何も言わずとも目があった。
「いや、憶測だ。忘れてくれ。じゃあな」
「おっおう。じゃあな」
これ以上、言及する事が出来なかった。ハヤトは決まりが悪そうに、そそくさと去っていった。その姿を、橋向こうの少女の影が眺めているような、そんな気がした。
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