第33話 父親
「まっ、いいわ。オジサン、もう一回、ホームラン打ったらサービス券、二枚なんて、どお?もちろん、打てなかったら謝るわ」
中年店員が、にやりと笑うのが見えた。
「よし、いいだろう。ただし、130キロだ。さっきと同じ条件じゃないと納得できない」
「分かったわ、交渉成立ね。約束は守ってもらうわよ」
「そっちこそな」と、なかなか定員らしからぬ態度、そんな中年オヤジの威圧にも動じる事なく、アオイはドッシリと構えていた。むしろ、自分の方がプレッシャーに押しつぶされそうだ。130キロ、さっきはタマタマだ。調子が良くても……。
「頑張れよ、シンジ」
「ありがとう、な」
「別に僕は本当の事を言っただけだ」
それが嬉しいんだ。正しいことを正しいと、誰に対しても言える事……自分には到底できない。ただ、なんだろう、二人を見てると、少しだけ打てる気がしてきた。
「アオイも……ありがと、な」
「はぁ、何ニヤニヤしてんのよ。打たなかったら殺すわよ。マジで」
——怖いよ
アオイに急かされながら、ドアに向かう。間違いなく、130キロと書かれた看板にゴクリと唾を飲みながら、ガチャリとドアを開けた。
「ほら、ドア閉めろ。アブね~だろ」
「大丈夫よ。ネットがあるじゃない。私、反射神経いいし。でも、ファールチップ打ったら殺すわよ。もちろん、ホームラン打たなかったら……殺す」
「こえぇ~よ」
静かな怒気を含みながら、立ち退く気は見せない。仕方なく視線はデジタルパネルの映像へ。バットを構える。振りかぶるプロ野球選手。ドアの看板の130キロを思い出す。確かに先程は打てたが……そう容易く打てるなら苦労はしない。再度、弱気が現れる。振りが遅れる。バットが空を切る。
「脇が甘い、もっとコンパクトに振りぬかないと」
「うるさいな。わかってるよ」
「わかってるなら、しっかり打ちなさいよ」
——そんなに怒鳴るな。思い出すじゃないか
「おいシンジ、しっかり振りぬけ。大振りするな」
「父さん、こんな早い球、打てないよ」
「マシンバッティングはな、見たこともないボールを打つことに意味があるんだ」
「でも、130キロなんて、小学生で投げてるやつ見たことないよ」
放たれたボールは襲い来るように見え、たじろぎながらも、必死でバットを振る。
「ちゃんとボールを見て、コンパクトに振りぬけ」
「ボールを見ろって言われても」
「野球に限らず、スポーツって言うのはな、反復練習が重要なんだ。打てるようになった球を気持ちよく打ってても、それは素振りと大差ない。出来ないことも繰り返し、繰り返し練習すれば、いずれ体が対応して打てるようになる」
がむしゃらにバットを振りぬく。チッと音を立ててボールが擦れる。唸りを上げていた白球の軌道を少しだけずらした。
「父さん、当たったよ」
「凄いじゃないか。もっと頑張れば、ファールじゃなくてヒットが打てるようになるぞ」
「ホント!父さんみたいにホームランも打てる?」
「ホームランか……草野球だけどな。もちろん、頑張って練習すれば、シンジにだって打てるようになるさ。さっ、腹減ったろ。帰りは餃子でも食って帰るか」
「やったー。かあさんは」
「かあちゃん、待ちくたびれて車で寝てるってさ」
「なんだそれ」「ハハハッ」
そんな、他愛のない思い出話。現実でもチッと音を立てて打ったボールはファールチップ。ガシャンと白球が金網を揺らす。
「危ないじゃない。前に飛ばしなさいよ」
「だから、危ないって忠告したんだ」
「シンジ、ファールはいらないの。ホームランよ、ホームラン!」
「へい、へい」と気のない返事はしたものの、力強くグリップを握る。古びたバッティンググローブからぎゅるりと音がする。
——父さんか
父と一緒に作りあげた基本的なスクエアスタンス。バットは軽く肩の上に浮かす。小さなテイクバックからの腰の捻り。バスンと放たれるボールに対し、鋭いスイングが白球を弾く。
決してキレイな金属音は響かなかったが、打球は放物線を描き電工パネルの上、点在するホームランと書かれた丸い的を射抜いた。女性の流暢な声でアナウンスが入る。「やった、やった」と自分の事のようにアオイがはしゃぐ。
「どうよ、うちのシンジの腕前は。凄いでしょ。これで、認めてくれるわよね」
カウンターのオジサンはバツが悪そうにサービス券を二枚手渡した。うちのシンジ、マジで照れ臭い。
「おじさん、これ一つ、ストラックアウトに代えてくれる。値段は一緒だから、構わないわよね」
アオイの申し出に、ダメとも言えず、もごもごと何かつぶやきながらも券の交換に応じた。
「じゃ、一枚はもらうわね」
「ちゃっかりしてんな」
「しっかりの間違いでしょ。ユイナ。ちょっと」
「なーにー。お姉ちゃん」と冷たいココアを飲んでいた少女が、ひょっこり顔を出した。
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