第26話 入部届け

 少女は学校指定のネイビーの鞄から、用紙を二枚取り出した。


「はい、これ入部届け。書いて。名前は本人が書かなきゃダメなんだって。そしたら私が持っていってあげるから」


 そう言って、片方を手渡す。


「まだ、俺は入るって決めて訳じゃ……」


 このチームじゃ勝ち抜けないのは一目瞭然だった。自分と目の前の少女を合わせても三年生は五人。負けると分かっていて努力が出来るほど、自分は良心的な人間ではない。

 ましてや、思い出づくりのため、ただの馴れ合いでの野球は、やりたく無かった。


 あの日、宇都宮の春の県大会で涙し、「夏こそは全国に行こう」と仲間達と誓いをたてた日。夢は儚くも崩れ去った。親の手によって、親の我儘で崩れ去った。……もう、あの、チームをなくして光は潰えた。三年間の努力が水の泡となって消えた。


「ほら、キャッチャーミット。部室に眠ってたやつだけど良いよね」

「俺の話を聞けよ。俺は野球部には入らないって」


「……で」

「だから、入らない」


「はっきり言ったら、私の球が捕れないと。あなた130キロのボールが捕れるのよね……それとも、あれは嘘ってこと」


「嘘じゃない!」

「だったら……ね」


 夏風がブルペンの少女の髪を薙ぐ。後ろ髪、真ん中で整えられたポニーテールが揺れる。初動は緩かに、キャッチボールから始めた。

 徐々に肩を温めていく。懐かしいキャッチャーミットの感触。もう、野球はやらないと決めていたのに、心がざわつく。妙に他人のミットが体に馴染む。


「座って」と彼女に促される。


「防具、つけた方が良いかもよ」

「ご冗談。それほど、ブランクは長くない」


 ――オマエがどれほどかは知らないが、俺だって、全国を目指すピッチャーの捕手を努めて来たんだ


 彼女は大きく振りかぶる。左脚が上がる。制服のスカートがハラリと揺れる。ドキリとした。


「なんだ、見せパンかよ」

 何処からか、意思を代弁するかのような下卑た声が聞こえた。


 彼女は気にすることなく体を捻り、テイクバックを十分に取る。体重移動は大胆に、大きく大きく足を開く。綺麗な腕のしなりと、地面から這い出るような見たことのないアンダースロー。サブラリンと呼ぶにふさわしい。


 流麗な投球フォームに目を奪われていた。次の瞬間、目の覚めるようなストレートがミットに突き刺ささり、快音を響かせる。


「アンタやるわね。ホントに捕れるんだ」

「ま、まあな」


 彼女の魅力に烏合の衆が集まりだす。


「やっぱり、アオイはスゲーな」

「もう、大丈夫なのか」

「うん、大丈夫そうね。青木くん、もう一球いくよ」


 その後、何球うけたか分からない。彼女の球は衰えることなく、ミットに快音を響かせた。気持ちが良かった。構えた所にボールが吸い込まれていく。心地よい捕球音がするたびに、彼女は可愛らしく微笑んだ。


 彼女は満面の笑みで投げ込む。野球が楽しくて、楽しくて、たまらないという笑顔だ。いつしか自分も笑っていた……楽しかった。



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