第87話 常闇の魔皇レン

 目の前に立っているだけで体が震えた。

 全身の毛穴から汗が噴き出るような嫌な感覚に襲われた。

 叶と相対したときよりもなお悍ましい死の気配が体に纏わり付く。

 威圧だけで呼吸を止められそうな感覚に押し潰されそうになりながらも、大きく深く呼吸することでどうにか意識を保つ。


「問おうか。俺の友、セバスチャンを殺した女というのは……貴様か?」


 冷たい声音のレンの問いかけに梓が黙り込むが、やがて意を決して頷いた。

 その反応を見てレンが目を細める。


「そうか、貴様か。……カナウ様、申し訳ございません。この女……俺が斬り捨てます」


 レンが抜剣した瞬間、周囲に満ちる闇の力がさらに強くなった。

 梓と一緒に立ち向おうとしていた英雄たちが胸を押さえて苦しみ出す。あまりの圧と恐怖に心臓が悲鳴を上げているのだ。

 白く輝く雪のような髪の間から覗く赤い目の輝きが、本能的な恐怖を呼び覚ます。

 倒してきたあの吸血鬼の姉妹とは完全に別次元の力を有していると予想し、梓や何人かの英雄たちが鑑定で情報を確認する。そして、あまりの力に絶句してしまう。


【レン】

種族〈魔人〉 性別〈男〉 総合レベル5012 ジョブ〈魔剣士レベル999+ 魔皇レベル999+〉


 この場にいる全員の総合レベルを足しても届かない。

 感じる力は魔王と酷似しているがまた違うもの。それが、魔皇のジョブによるものだろうと予想する。


「だったらなんだ……レベルがなんだ……」


 魂を砕かれるような恐怖に抗いながら、必死に強がってみせる。


「私は叶の頭を砕いて殺してやるんだ! お前なんかに負けるはずないッ!」

「そう思うのならかかってこい。すぐに後を追わせてやる」


 レンが剣を鞘に収めた。

 その瞬間、二人の英雄が体を百を超える肉片状に切り刻まれて絶命する。

 いつ攻撃を受けたのか見えなかった。梓の頬にも薄く切り傷が刻まれる。

 隔絶した力の差に残った英雄たちが半狂乱に陥った。

 武器を強く握りしめ、ほぼ泣き叫ぶような形でレンへと攻撃を仕掛ける。


「ちょっ! 待っ――」

「……"常闇の剣戟・天獄刃千本桜”」


 抜剣と同時に空中に千本の桜のような闇の花樹が形成される。

 レンの振りの動作と同時に桜の樹からは花が吹き荒れ、黒い輪郭を持つ桜の花が吹雪のように舞った。

 それら一つ一つが人体はもちろんのこと鋼すら容易く切断する刃だ。

 そんな花吹雪に巻き込まれて無事でいられるはずもなく、攻撃が収まる頃には遺体の一つも残らない惨状が繰り広げられた。

 肉片の一欠片も残らない完全虐殺。ただ広範囲に広がった血の海が犠牲者がいた唯一の証拠だ。


「ほう。貴様はまだ少しはまともな判断ができるようだ」

「あ……あぁぁ……」

「さて……まずは右手首を切り落とす。その次は左手首を。次いで右足首、左足首と切り落とし、死なないように調整しながら同じ順番で腕と足を切り落としてから心臓を刺し貫いて殺してやるよ!」


 段々と言葉に熱が籠もり、殺意が乗せられる。

 明確な死のイメージを植え付けられ、我慢がここに来て限界を迎えた。

 震えていた足が遂に脱力して立っていることも出来なくなる。

 無様に這って逃げようとするが、その前に闇の斬撃が飛ばされた。

 宣言通りに右の手首を切り飛ばし、血飛沫が飛び散る。


「いぎぃ! ぎゃあああぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 武闘家としての武器、それも利き手を失った。

 これだけの力の差があるレンを相手に右手の喪失は死を意味し、先ほど言われた内容通りの無惨な最期が連想される。


「い、やだ……ふざ……けないでよ……なんで……私が……!」


 諦めなければ道が見えるかもしれない。

 希望に縋り付こうと逃げることをやめないが、現実はどこまでも残酷だった。

 部屋の扉が黒紫の炎で閉ざされ、さらには針のようなものが体へと打ち込まれる。


「がッ!? あ……あああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 切断された断面が熱を帯び、さらなる激痛に襲われる。

 ような異質な状態に、しかしそれを気にするだけの余裕は失われている。

 退路を断たれ、絶望で目の前が暗くなると頭上から声が聞こえた。


「無様な姿よね。あれだけ人を下に見ていたやつが今や地面に這いつくばっているなんて」


 血涙で濡らした目で声のする方を見ると、闇の翼を展開させた叶と目が合った。


「か、なう……」

「息も絶え絶え。くくっ……面白すぎて笑える」


 無言で梓に近付いたレンが勢いよく背中を踏みつけた。

 靴底から刃も飛び出し、刺されたことと骨を砕かれるような衝撃で、耳覆いたくなるような絶叫が部屋に轟いた。


「これよこれ! この声が聞きたかった! この時をずっと待ちわびていたわよ!」

「ご……ごめ……ごめんなさ……い……ゆるして……たすけて……と、とも……ともだ……ともだち……でしょ……」


 血を吐きながら懇願するように手を伸ばす。

 レンがその手も切り飛ばそうとするが、叶はそれを制止した。ゆっくりと地上に降り立って梓の前にしゃがみ込む。


「そっか。私たち、友達だったんだ」

「う……うん……だから……これまでのこと……あやま……」

「そっかそっか。私たち、友達だよね」


 笑顔でそう言った叶は、梓の影を鋭く変質させ、右の肺を貫いた。


「あぎぃ!」

「私が知ってる友達っていうのはね、苦しんでいる時に追い打ちをかけるものなんだ。それに、友達同士の貸し借りはちゃんと返さないとだよね。私たちが友達だったのなら、今までの分全部返してあげるから」


 闇で作られた無数の器具に、梓が完全に絶望する。

 過呼吸となり、肺を片方潰されているために息を吸うだけでも苦しい。

 苦痛で気が狂いそうな梓の顔に掃除機のようなものを押しつけると、風魔法を起動させて吸引を始め、顔の皮を剥ぎ取った。


「まだまだこれから! 私もレンも全然満足してないよ!」


 レンが凪いだ剣が左手首を切り飛ばす。

 拷問よりもなお辛い地獄が始まり、悲鳴と狂気的な笑い声がどこまでも聞こえる。

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