諍い(中編)

(……ちっ、嫌なやつに会ったわね)






 ミリアリアは内心で舌打ちする。




 声をかけてきたのは中肉中背の若い男で、年齢はミリアリアよりも少し下くらいだろうか。




 皺ひとつない白の団服に腰に佩いた両手剣。


 ミリアリアと同じ騎士の恰好をしてはいるが、その表情は明らかな嘲笑を浮かべていた。






「やれやれ。聖王国の騎士も質が下がったね。まるで安いチンピラのようじゃないか」






 アルカは呆れたように溜息をつく。




 しげしげと観察していると、男はソラが怖がっていると気を良くしたのか、殊更に身を乗り出してきた。






「返事が聞こえないな。それとも言葉を知らないのか? 見たところこの国の人間ではないようだが、なぜ君のような部外者の子供がここにいる?」






 再度の誰何に、ソラははっとする。






「ああ、すいません。僕は―――」




「――この子はただの見学者よ、ウェルズリー騎士」






 ソラが答えるよりも早くミリアリアがソラと男の間に割って入る。




 男はおどけるようにミリアリアへと視線を向けた。






「おや、これはこれは。我らが第六分隊のエイベル隊長ではありませんか。こんなところで一体何を? 本日は確か特別任務とやらに従事する予定だったのでは?」




「これがその特別任務よ、ウェルズリー。アークレイ市長の要請により私は団長からこの子の案内役を任された。貴方にとやかく言われる筋合はないわ」






 男の名はアラン=ローヌ=ウェルズリーといった。




 聖王国南部の地方貴族ウェルズリー家の三男であり、今期に第六分隊の所属となった新米騎士。




 つまりはミリアリアの部下だ。




 プライドが高く、入団して以降も周囲と頻繁にトラブルを巻き起こす問題児で、特に直属の上司であるミリアリアに対しては普段から何かと反発していた。






(……ほんっとタイミングが悪いわね。よりによってソラ君と一緒の時にこいつに出くわすなんて)






 ミリアリアは手振りでさりげなくソラを席に留め、上段にいるウェルズリーを堂々と見上げる。




 ウェルズリーは、つい、とミリアリアから視線を外し、ソラを見やる。




 それから、ハッ、と、傲然と鼻で嗤った。






「別に文句をつけているわけではありませんよ、エイベル隊長。まあ、こんな子供のお守りが特別任務とはいささか面白い冗談とは思いますがね」




「任務の重要性を貴方如きが判断するとはそれこそ面白い冗談ね、ウェルズリー。いつから貴方はそんなに偉くなったのかしら。ここは貴方の我儘が全て罷り通るお屋敷ではないのよ?」






 お坊ちゃま、と。




 ミリアリアは冷たい声音で、くすり、と嗤い返す。




 その言葉に、ウェルズリーは表情を消して、おもむろに腰に佩いた剣の柄に手を添えた。






「吠えるなよ、平民風情が」




「人の優劣は血筋では決まらない。あれだけ叩きのめされておいてまだ学んでいないのかしら」






 苛烈な殺気を向けられるも、ミリアリアは剣を抜くどころか構えもしない。両手をダラリと下ろしたままの自然体だ。




 このような事態は実は初めて、というわけではない。




 これまでもミリアリアはウェルズリーから決闘紛いの挑戦を幾度となく挑まれている。




 その結果は全てミリアリアの全勝。




 二年前、己の無力を知ったあの日からミリアリアは死に物狂いで鍛錬を繰り返し、平民としては異例の若さで分隊長の座に就いた。




 アウローラのような規格外ならともかく、入団して一年にも満たない新人の剣など素手で制圧できる自信がある。




 唯一懸念があるとすれば―――






(後ろにはソラ君がいる。万が一にも危害が及ばないように注意しないといけないわね)






 ちらりと背後を確認しつつ、ミリアリアはわずかに重心を落とす。対してウェルズリーは即座に抜剣できるよう構えをとっている。




 二つの闘気がぶつかり合い、アリーナにいる他の団員たちもその異様な雰囲気に気づき、鍛錬の手を止め、ざわつき始める。




 一触即発の空気の中、ミリアリアとウェルズリーは互いに一歩踏み込もうとして、






「はーい、ストップ」






 軽い口調とともに、背後にいたはずのソラが二人の間に割り込んできた。




 突然の行動にミリアリアは顔面を蒼白にし、ウェルズリーは怪訝な視線をソラに向ける。




「ちょっ⁉ 何してるのよ、ソラ君ッ⁉ 危ないじゃないっ⁉」




「危ないのはミリーさんの方ですよ。何これから殺し合いするみたいな空気出してるんですか」






 詰め寄るミリアリアにソラは呆れた声で返す。




 水を差されたウェルズリーは顔を顰め、唸るように声をかけた。






「……何の真似だ、少年。関係ない者は下がっていたまえ」




「いや、僕のことで揉めてるっていうなら関係なくはないでしょう。ただまあ、お前部外者だろって言われたらその通りですけど……僕のことが気に入らないならすぐに出ていきますので、それで収めてくれませんか?」






 新任とはいえ現役の騎士を前にソラは飄々と答える。聞き分けの良いその言葉にミリアリアは納得がいかず、ソラの肩を掴んだ。






「ちょっと待ちなさい、ソラ君。ソラ君があんなやつに気を遣う必要なんてないのよ? 団長が許可を出してるんだから、ソラ君は気にせず堂々と―――」




「そういうわけにもいかないよ、ミリーさん。僕がいることで不快になる人がいるなら無理に居座るつもりはない。それに今日はもう充分見学できたから」




「でも、」




「いいから。行こう、ミリーさん。帰る前にアウローラと合流しないと。それじゃ、えーとウェルズリーさん? 失礼します」






 被せるように言って、ソラはミリアリアの手を引いて歩きだす。若干不満そうではあったものの、ミリアリアは大人しくソラについていった。




 と、その時。






「――待ちたまえ、少年」






 観覧席の階段を上り、横を通り過ぎると、ウェルズリーが声をかけてくる。






「? まだ何かあるんですか?」






 呼び止められ、ソラが振り返る。




 その表情には貴族である自分に対する畏怖や敬意といった感情は見られない。




 そのことがウェルズリーには勝負に水を差されたこと以上に気に食わなかった。






「……先ほどアークレイ市長の要請で団長が許可を出したと言っていたね。君は市長とはどういう関係なんだ?」




「どういう関係って……セリアさんには僕が記憶喪失で倒れているところを助けてもらったんです。それから色々とお世話になってます」




「記憶喪失?」






 ウェルズリーは訝しげにソラを見やる。






「事情はよく分からないが、それならなぜ君は騎士団支部へ来た? 確かにここには常駐する医師はいるが、彼らは別にその手の専門家というわけではないぞ?」




「別に記憶を戻す手がかりを探すために来たわけじゃありませんよ……ここに来たのは個人的に騎士っていう人たちのことを知りたかったからです」






 その言葉に、ほお?、とウェルズリーは口角を上げる。






「だとしたら、彼女を案内役にしたのは人選ミスだな。何しろ、そこの女ほど騎士道に反した者はこの支部にはいないからな」




「……どういう意味ですか?」






 不愉快そうにソラが純黒の双眸を眇める。




 その反応に、ウェルズリーは益々口の端を大きく吊り上げた。




 獲物を甚振るように、醜悪に。






「なに、第十七師団の者には周知の事実さ。君の隣にいるその女は二年前、とある魔獣の偵察任務に就き、失敗した。本来ならば取るに足らない簡単な任務だったはずだが、功を焦ったその女は与えられた役割を逸脱し、魔獣へと攻撃を仕掛けたのさ。結果、その女が所属していた偵察隊は壊滅し、原因であるその女だけが生き残った」




「…………」






 あてこすりのような暴論だったが、ミリアリアは言い返そうとしなかった。




 自分にはそのことに対して何も言う資格がないというように、ただ拳を握りしめて耐えている。




 それを横目に、ソラはウェルズリーへと視線を向けた。




「その話ならさっき本人から聞きましたよ。貴方は、ミリーさんが生き残ったことが騎士道に反するって言いたいんですか?」




「そうとも。無様を晒して生き残るくらいなら、潔く散るのが騎士の本懐だ。その平民の女は私欲のために共に戦う仲間を犠牲にした。私はね、少年。仲間を見捨てて逃げだしたその臆病者が未だに騎士を名乗っていることが許せない。ましてや、それが己の上に立っている現状には甚だ業腹なんだよ」




「…………」






 ミリアリアは心底、辟易とする。






(……何よ。結局は〝そこ〟なんじゃない)






 ウェルズリーが自分のことを隊長として認めていないのは理解している。




 自分が騎士として完璧などと己惚れているつもりはない。




 他の小隊長に比べ、劣っているところも、足りないところも多々あるだろう。




 だが、この男はそれ以上に、『平民』で『女』であるミリアリアが貴族である自分の上に立っていることに対して不満を抱いている。




 たとえどんな働きをしたところで、この男がミリアリアを認めることはないだろう。






 ウェルズリーは名案を思い付いたと言わんばかりに軽快に、パン、と手を打ち合わせた。






「そうだ。騎士のことを知りたいというなら、ここからは私が案内を引き継ごう。君は先ほどもう充分見学できたと言っていたが、そんなはずはあるまい。この支部には見るべきところがたくさんある。この国の文化や歴史。貴族の繁栄。そして騎士の何たるかを教えてあげよう。記憶喪失だというなら是非とも来たまえ。きっと、君の記憶を取り戻す良い刺激となるだろう」






 得意げに語り、ウェルズリーは大仰にソラへと手を差し出す。舞台に立つ役者さながらの、どこか芝居がかったような仕草だった。






(――勝手なことを……っ)






 ぎり、と。ミリアリアは歯ぎしりする。




 今すぐウェルズリーの顔面に拳を叩き込みたい気分だった。




 その提案がソラのことを真剣に考えてのものだとは思えない。




 恐らくはただミリアリアの仕事を奪い、彼女を貶めたいだけなのだろう。




 こんな提案は無視してさっさとアウローラと合流すべきだ。




 けれど。






(優先すべきなのは私のことじゃなく、ソラ君にとって何が一番いいのか、ということよね)






 もし、ここでウェルズリーに後を引き継げば、少なくともソラはこの支部をもっと見て回れる。アークレイ市長の名前が出ている以上、ウェルズリーもそうそう下手なことはしないだろう。






(私が恥をかくのは別にいい。でも……)






 どちらがソラにとってより良い選択なのか、ミリアリアは逡巡する。








 そして、ミリアリアが結論を出すよりも早く、ソラは、にこり、と笑って。








「悪いけど、遠慮しておきます」








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