目覚めはさむい

 パチ、パチ、と焚き木の割れる音に意識が引き戻される。








 眠け眼で私は目の前の焚き火の光をぼんやりと眺める。




 辺りはひどく静かで暗い。夜の深まり具合を見るに今の時刻は日付が変わるかどうかというところだろう。




 今夜は特に冷える。身体をくるんでいた毛布を無意識に引き寄せていた。








 どうやら少し、眠っていたらしい。








「……ゆめ」








 寝起きでぼうとする頭で呟く。








 随分と懐かしい光景だった。




 もうずっと昔、あの人に初めて逢った頃の夢。




 夢とはいえ、久しぶりにあの人の姿を見ることができて自然と口元がほころぶ。




 けれど、それも一瞬だ。




 目が覚めてもあの人はいない。あの人の笑顔はもうどこにもない。








 それはこの十年、ずっと続いてきた日常だった。








「……はあ」








 白い吐息と一緒に胸に灯った温かいものも抜け落ちていく。もう心は完全に冷え込んでしまった。








 私は毛布を剥いで、八つ当たりするように焚き火を踏み消す。




 すぐさま荷物を纏めてその場を後にした。
















 眠ったように、あるいは死んだように静かな夜の森を歩いていく。








 人の手の届かない深い森は未だ魔獣の領域だ。特に夜の闇は魔獣たちの纏う黒色魔力と相性が良い。




 闇が深くなる程、魔獣たちはその力を増していく。




 本来ならこんな行動は自殺行為だ。








 けれど、私はそんなことお構いなしに森の奥へと進んでいく。








 この捜索を始めて既に三日。








 服の汚れが目立ち始め、自分の体臭が鼻につくようになってきた。








 一度街へ戻ろうかとも思ったけれど、私は今日もこのまま奥へ進む。




 腰に佩いた短剣の感触を確かめるようにそっと触れた。








 なんとなくだけれど、捜している獲物は今夜、見つかるような気がした。
























 歩きだしてから二時間ほどが過ぎた頃、森は変わらず静まり返っていた。








 魔獣どころか、小さな動物の息遣いも聞こえてこない。




 月が雲に隠れた薄暗い夜、木々の間から差し込む僅かな星の明かりだけを頼りに歩き続ける。








 そして、その異常はついに現れた。








「……ビンゴ、かな」








 風に乗って漂ってくる微かな血臭。




 その匂いの源泉を辿るように奥へ奥へと進んでいく。




 魔力の気配を断ち、足音を殺しながら、速度だけは徐々に早く。








 幾許もしない内に、その場所へと辿り着いた。
















 そこは森の中の開けた場所だった。








 そこにだけ草木の一本も生えておらず、ぽっかりと地面がむき出しになっている。奥には洞窟があり、恐らくはそこを仮の棲み処にしていたのだろう。








 洞窟の手前で、巨大な黒い〝ナニカ〟が蠢いている。それが動く度に、ぐちゃり、ぐちゃり、と不気味な音が聞こえてきた。








 微かに漂っていた血臭は今や暴力的なレベルだ。〝ソレ〟が放っているだろう獣臭も加わって生理的な嫌悪感が湧いてくる。








 不意に雲が晴れ、月明かりがその姿を照らした。








「グルル……ッ」








 それは禍々しい黒い体毛に覆われた獣だった。








 獣の爪と牙は夥しいまでの血量によって汚れきっている。地面に四肢を着いた状態でも、その体高は優に三メートルを超えていた。








 けれど、その巨大さよりもさらに異常なのはその頭部。獣の頭部は首元から三本に枝分かれしていて、それぞれが独立した意志を持っているかのように、目の前の肉へと喰らいついている。








 およそ自然界では存在しない異形の怪物。








 悍しいその姿は、神話に登場するという地獄の番犬を思わせた。








 目を凝らすと、魔獣が喰らいついている肉は人間の死体だった。手も足も首も噛み千切られていて、最後に残った胴体をじゅるじゅると啜られている。








 状況は確定的――あれが、私が捜していた獲物だ。








「――よう。随分と旨そうに喰ってるじゃないか、化け物」








「……ッ⁉」








 背後から声をかけられた魔獣が勢いよく振り返る。食事に夢中になっていた魔獣は、どうやら私の存在に気づいてすらいなかったようだ。








 私はその場に荷を放ると、無造作に歩を進めながら、辺りを見渡す。








「随分と多いな。セリアから犠牲者は三人だと聞いていたが、この三日でさらに増えていたのか」








 周囲には魔獣の食い残しと思しきモノが散乱していた。あまりにもバラバラになり過ぎていて、それだけでは正確な数は分からない。けれど、散乱した肉片パーツを見るに、少なくとも十人は下らないだろう。








 私はその惨状を淡々と見つめた後、再び魔獣へと視線を戻す。








「状況は理解できているな? わざわざ説明してやる義理もないけど……早い話が、お前少しはしゃぎ過ぎたんだよ。最初の三人で満足してもっと遠くへ行っていれば、こうして私に追いつかれることもなかったのに」








 本当に度し難い、と。






 呟きながら、魔獣へとさらに近づいていく。目の前の獣はそれを敵対行為と認識したのか、毛を逆立て、ギギ、と牙を剥き出しにする。








「抵抗するなら好きにしろ。どちらにせよ結果は変わらない」
















「グゥオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ‼」




















 そして、深い森の奥で三つの獣の雄叫びが響き渡った。












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