2021/05/14:興味がある。――――――――――――――――――#自説
「興味」とは一体何なのだろうか。人の行動の多くが興味で決定されるとするなら、興味を持つ事は非常に重要である。ただ、興味自体に興味を持つ人は余りおらず、漠然とした感性のまま、日々が経過する。
私は前までインターネットと言う物をあまり使ってこなかった人種である。無料でメールアドレスを作れると知った後はそうでも無くなったのだが、それまでインターネットは只の検索ツールであった。漫画や小説は自身で古本屋に赴き、何となくで買っていた。動画を見たいと思ったことは何度かあったが、アカウントを作る手法を調べることも無く、諦めていた。ここで「興味はあったが実際にしてみようとは思わなかった」という現象が確認できる。つまり興味には何段階か存在していて、対象に遭遇し興味を抱く第一段階、その対象にアクションを起こす第二段階が少なくともあるだろう。
私は余り行動を起こさないタイプである。クラスの役職分けで、最後に残った物を担当するくらいには自身で何かを決めようという気が無い。理由は簡単で、その役職にも興味があるのでどれでもよいと考えているからである。ゆえに、私はオタクとか言われる一つの物事に異常に執着できる人間を尊敬する。私にもこだわりはあるが、それはノートの書き方だったり個人的な物であり、他者が関与する事柄については他者の意見を最大限尊重する。
そのような人間であるので、私には興味はあるが行動に移していないことが山のようにある。例えばプラモデル。恐らく好きな部類であると思っているが、塗装の問題やゲート処理が確りできるのかなんて考えるだけで、行動に移す気が薄れる。いかんせん面倒くさがりなのである。逆に言えば、面倒でないことなら大体なんにでも興味を持って取り組むと言える。
小説は私としてはかなり気軽な物だと思っている。なんせ初期投資が無い、書かなくても何も言われない、匿名性がある。するだけなら以下に簡単か。だが、一つ思うことがある。私は小説を書くことに興味を持っていない。書く前までは確かに興味があったが、一度書いてからは特にそういった感情はない。興味とは行動し、対象を知ってしまうと消滅する一時的なものである。つまり、色々な事に興味を持っている人を見掛けた時は、その人は行動的な人間ではないと考えられる。自分が持っているジャンルのマンガ本に興味があると言われたら、その人はそのジャンルのマンガをあまり読んでいないし、ソロキャンに興味がある人はソロキャンをした事が無い。
ある意味当然のことであるが、興味について明文化を試みてみた。しかし興味自体が何者であるかは依然わからない。
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昨日もそうであったが、パーソナリティの名前を考える予定がある事を、小説を書き始めてから気づく。
「カタカナが良いか、普通の日本名が良いか、芸名が良いか。」
小説に書く名前は実在しない名前にすることもあるらしい。末端の小説家にはあまり関係ない話ではあるが、J・K・ローリングが著作を発表する前に、ハリー・ポッター氏は果たして存在しただろうか。大人ならばともかく、子供ならいじめられてもおかしくない。
「ラジオのパーソナリティー……、ラジ子……、なんか聞いた事あるな。却下。
文字でラジオを行うことが明白だといい気がする。
無線文子……、文だと手紙がさきにくるか。
自身の子供に名を与える時と同じ感覚で、キャラクターに名前を付けたい。動物も買った事の無い自分に適切な名前を付けれるだろうか心配である。日を置いて、何度か反芻しよう。
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