52 繋がり

「スロア・フェンキ・キッサイカにスズランの毒を教え、勇者信仰とやらを吹き込んだのはあなただろう」


 うっとりとした表情のスロアを思い出す。

 ——あそこまで自分も盲信出来ていたなら、もう少し楽に生きられただろうか。

 いや、それはきっとできない。

 勇者は……アレキは親友だから。


「あら、私は彼になにも吹き込んでいませんよ」

「なんだと?」

「キッサイカ家と私は関わりがありませんもの」

「なら、ユズリ・ハキョという女性はご存知ですか?」

「……」


 アクロの出した名前に、クラリスはわずかに目を見開いた。


「スロア新当主とハキョさんは親密な中のように見えました。ハキョさん経由でそのような教えが渡っていてもおかしくはありません。ではハキョさんはスズランや勇者信仰をどこで知ったのか? ——ここです」


 寝ころんだまま、腕を大きく広げる。

 その親指に、指輪が光る。


「ユズリ・ハキョはカサブランカ孤児院の出身であり、あなたが世話をした子どものひとりではなかったですか?」


 ね? とアクロは頭を動かしてクラリスのほうを向いた。

 そのまなざしは鋭い。


「シスター・クラリスがいつからここにいて、ハキョさんがどのくらいの期間いたのか、そしていつから勇者信仰なるものを広めたのか、わたしにはまるで分かりませんけれど――でも間違えてはいないでしょう?」

「……その大胆さと自信に満ちた思考回路を羨ましいと思いますね」

「ありがとうございます」

「今の褒められていないからな」


 嬉しそうに礼を言うアクロへすかさずオズワルドがツッコミを入れる。一瞬嫌味を流したのかと思ったが表情を見るにストレートに受け取っているようであった。妙なところで素直だ。

 聖女は細く息を吐きながらうつむいた。赤髪が揺れる。


「確かに、イジーリアとサブラ、そしてユズリはこの孤児院出身です。——今は亜人の子を中心に受け入れていますが、最初の頃は他の孤児院からあぶれてしまった子たちを引き取っていたのですよ」

「……もうずっと、だったのか。子どもたちをあなたの思想に染めていったのは最近ではなくて、最初からだったのか」

「そうです。他シスターはまるめこんで……マザーは途中から訝しんでいましたが、思考をぼんやりさせる薬を少しずつ盛って事なきを得ました」


 オズワルドが最後に会った時のマザー・ベルリカの反応が鈍かったのはそういう理由だったようだ。

 どうして気付けなかったのだろうと後悔する。今にして思えば違和感を覚えるところはいくらでもあったはずだ。

 クラリスがうまく隠しながらおこなっていたとしても――かつての仲間のたくらみを見逃してしまった。

 後戻りできないところまで行ってようやく何が起きたか知るのは、胸が苦しくなる。


「勇者信仰、というのは誰が言い始めたのでしょうね。ただ私は勇者を忘れさせたくなかった。紙とインクで出来た物語の中で終わらせたくなくて、ならば畏怖と感謝を捧げられる存在に祀り上げてしまえば消費されるだけの存在にはならないはずだと。オズ、あなたもそう思いませんか?」

「……あいつは望んでない。信仰されることも、畏怖と感謝も、なにも。ただ静かに暮らしたかっただけだ」

「彼の気持ちではないですよ。オズワルド・パニッシュラ、あなたはどうなのです?」

「……」


 あたりは無音になる。まるでオズワルドの答えを待つかのように。

 彼は空を見上げる。手の届かない光が瞬いていた。


「あいつは俺の親友だ。俺の兄貴分で、仲間で、弟子候補で、大事な、愛しい存在」


 たとえ永遠に失われたとしても。


「アレキの死を看取るのは俺以外許さないし、アレキの横に立つのも俺だけだ。あいつに縋りついて世界を分かった風でいるやつらにアレキを渡すつもりは、一切、無い」


 無理やり立ち上がり、クラリスを睨みつける。

 きょとんとしたあとに彼女は素の笑いを漏らす。


「……驚きました。オズ、あなたずいぶんと傲慢なのですね」

「魔術師は傲慢で偏屈じゃないとなれないんだよ」 


 余裕げに笑ってみせたはいいが、力を抜けばそのまま倒れてしまいそうだ。


「……孤児院の結界の修復は、ただの理由付けだったんじゃないか。俺の身辺調査もかねてトルリシャが大学に迷わず行けることの確認、俺が孤児院にすぐ向かうかどうか、子どもたちを人質にして言うことを聞くか……。あの壁だって、本当は侵入者の仕業ではない。違うか?」

「ふふ――気づくの遅いですよ」

「本当にな」


 いや、気づいてはいたのだ。動かなかっただけで。

 クラリスが暗躍していたなど信じたくなかった。

 自分のことながら人間味ある思考に呆れてしまう。


「イヴァかノヴァがあなたの指示で壊したんじゃないか? あのふたりは、力が強かったから」

「ええ。文句ひとつ言わずにやってくれました」


 ちら、とクラリスはアクロを見る。

 アクロの胃の、さらに中にあのふたりがいる――ということを伝えやしないかハラハラとした。

 彼女は小声でつぶやく。


「イヴァとノヴァ。働き者で、美しい子たちでした」


 ひどく悲しそうな表情をした。

 それが演技なのか、心からなのかオズワルドには分からない。


「だけど、犠牲を積み重ねてでも私はあの楽しい時間に戻りたかった」

「……停滞した未来に希望はないんだよ、クラリシア」


 今ならアレキの言ったことがうっすら理解できる。

 どれほど過去を渇望し、その時のままで留めようと待っているのは破滅だけ。せき止められ膨れ上がった時間がすべて破壊する。


「アレキのいない世界を生きなくてはいけないんだ、俺達は」

「……」


 改めて口に出すと意外にストンと胸に落ちた。

 アレキは、もういない。

 ここにいるのは残された勇者パーティだ。


「大人みたいなことを言えるようになったんですね、オズ」

「もうおっさんだよ俺は」


 風が吹き始め、あたりの空気を流していく。

 ゆっくりと雲が現れて夜空を隠していった。


「――まもなく異変を察知した憲兵が来るでしょう。まず私がお話いたします。頼みますよ、オズ」


 ぶわりと魔法陣がふたりの身体の下に展開された。


「待て、クラリス!」

「さよならオズ」


 抵抗する魔法陣を出そうとするも、魔力がうまく引き出せないためにもたつく。

 まだ話したいことがある。あるはずだ。これが、クラリスと話す最後の機会かもしれないのに。

 しかし、あっけなくオズワルドは深い眠りに落とされた。

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