36 ばくん

 オズワルドは杖で床を叩いた。

 青色に光る魔法陣が花開くように床に広がる。そこからこぶし大の球が生み出され、まっすぐにワイバーンへぶつかっていった。

 音からして威力の高さがうかがえるが――鱗が数枚剥がれた程度だ。


 ワイバーンが爪をオズワルドに振り下ろす。

 くるりと杖の先端を回すと床から幾多ものトゲが生み出されワイバーンの手や腕に突き刺さり動きを止めた。鱗をものともせずに貫いている、

 そのまま身体の下で、次々とトゲが生え刺さっていくが――胸部の鱗だけは受け付けず、ひん曲げた。さらに太い、杭ともいえる大きさのものを打ち込むもそれすら弾かれてしまう。

 オズワルドは眼鏡の奥で目を細めた。


「……屋敷を壊すぐらいでないと駄目か」


 物騒なことを呟いた。

 よだれを飛ばしながらワイバーンが叫ぶ。そしてカチカチと牙を鳴らしながら人間たちを見回す。どれが一番食事にふさわしいかを見極めるように。


「ルミリンナ、魔獣に命令かなにか出来ないのか」

「力の弱いものなら苦労しませんが、ドラゴン種は力量もプライドも高いですから無理です。さっきのだって『起きろ』『来い』という簡単な呼びかけですし、それすら不快みたいですからね……」


 話している間にもワイバーンが大きく口を開けたので咄嗟に音を遮断する。

 オズワルドたちの鼓膜は守られたが、壁に亀裂が走りカップが割れた。空気がびりびりと振動する。

 声すらも武器にするドラゴン種は多数で群れることが多く、対策に時間がかかる。今のような攻撃を受けないために音を完全に閉ざすと全体的な反応が遅れかねない。それは魔獣と戦う上では命取りに等しい。一言でいえば厄介だ。


魔王わたしの立場は万能ではなくて、最終的には暴力がものを言うんです」

「統治もなにもないな……」


 聴覚が元に戻って、アクロは平然と話しを続ける。

 こういう状況に頓着しないところは魔術師に向いている、と思いながらオズワルドは杖を真っ直ぐ下に振り下ろす。


「【攻撃魔術展開・圧縮・指定『喉』】」


 ワイバーンの首が見えない首輪をつけられたかのように絞られる。

 声を出そうとも叶わず、くうをかいて悶えた。骨や筋肉が軋む音がここまで聞こえて来た。

 無表情でさらに力を込めていると後ろからガッと肩を掴まれる。よろめきながらも振り返ると、必死の形相のスロアがいた。

 

「殺すつもりか!?」

「当たり前でしょう」


 いっそ邪険ともいえる態度でオズワルドは首肯した。


「王都では、魔獣の飼育は魔獣管理施設以外では認められていません。また、どの国でもドラゴン種等極めて危険性の高い魔獣は飼育が認められていません。そもそも個人での卵の採取や幼体の持ち去りは違法ですが?」


 身に覚えがあるのかスロアは苦い顔を作る。


「もっと分かりやすく言いましょうか。王都内で高位の魔獣が発見された場合、迅速な殺処分が求められています。なので、私がこのワイバーンを殺したところで咎められる謂れはありません」


 むしろここで見逃すほうが重罪になってしまう。

 何代も前の国王が魔獣の襲撃によって命を落としたことを受け、王都では非常に厳しく生育が取り締まられている。

 魔獣管理施設でも、万が一があった場合は二つ名を持つ魔術師たちが即座に召集され討伐隊が編成されるということからも厳重に警戒態勢が取られていることが分かる。


「このっ……ならこっちにも考えがある!」


 言うが早いが、スロアはオズワルドの顔を殴った。貴族の長兄のほとんどが護身術を習う。その学びがしっかりと生かされてしまった。

 アクロが慌てて支えようとするも勢いに負けてふたりで床に転がる。

 意地というべきか魔術は解除されていない。だが術式を固定させるために必要な動作――視線を外してしまったために威力は確かに下がった。


「こいつは卵から育てたんだ! 家族そのものなんだよ!」

「そう思っているのはあなただけですよ。家族のくせに翼は切るんですね」


 口の中を切ったか、唇から垂れる血を手の甲で拭いながらオズワルドは起き上がる。


「そいつはただ『エサが給餌してきている』程度にしか思っていません」

「そんなことはない!」

「否定するのは勝手ですがね。私は昔、そういう甘い考えによって村ひとつがそっくり食われたのを見たことがありますよ」

「父上と同じようなことを言う……!」


 ギリギリと歯ぎしりしながらワイバーンとオズワルドのあいだに立つ。

 そして誇らしげに言い放った。


「皆、魔獣を恐れ過ぎなんだ! 見てくれ、こんなに大人しくて美しい――」


 当然、というべきか。

 鼻先に現われた獲物に気付き、ワイバーンは口を開けた。喉の奥までが良く見える。

 だが高揚感に支配されたスロアは気付かない。

 そんな彼の元へ駆け寄り、ユズリが勢いよく突き飛ばした。


「旦那さ――」


 ばくん、とワイバーンがユズリの上半身を呑み込んだ。

 ぼきぼきと硬いものが砕ける音ともに大量の血が口からしたたり落ちる。

 しん――と一瞬の静寂のあとに部屋の隅にいたメイドが絶叫し、気絶した。

 ぶらぶらと揺れる足が抵抗もなく口内へと飲み込まれていく。首を絞められているはずだがそんなことお構いなしにワイバーンは獲物を胃に入れようとしていた。それほどに空腹なのだろう。


「ユ――ユズリィッ!!」


 スロアは狂乱状態で彼女の足首を掴む。

 牙にがっちりと挟まり抜けることはない。


「今すぐ放せ!」

「ユズリーッ!」


 オズワルドの鋭い声を無視してスロアは口をこじ開けようとする。

 開いた。

 そして、スロアの頭をかみ砕く。


「……」

「……」


 咀嚼音だけが響く。血の匂いが濃くなり、気分が悪くなるほど室内の空気は重さを増していく。

 合わせたわけではないが同時にため息をついた。


「ルミリンナ」

「はい」

「この部屋そのものを破壊してこいつを潰す。お前とあのメイドのお嬢さんに防御は張ったが、もし崩れるようなら補強してくれ」

「……先生の魔術にわたしのが耐えきれるでしょうか」

「無理なら『破壊』しろ」

「それでいいなら」


 食事に夢中なワイバーンに杖を突きつける。杖の先端に浮く石の周りに複雑な魔法陣が浮き上がった。


「【攻撃魔術展開・圧縮・指定『空間』】」


 直後、強い風が巻き起こる。壁と床がひび割れ、剥がれて、調度品が崩れていく。

 まぶたを閉じるかのように部屋が狭まっていった。


 ワイバーンは立つことができなくなりその場に這いつくばる。

 咆哮をしようとしたがもはや身動きすら出来ない様子だ。

 やがてぼこぼこと身体が波打ち――爆ぜる。緑色の体液がそこらに飛び散った。


 即座にオズワルドは術を解除する。

 応接間はもはや見る影もなく、遮蔽するものもすべて壊されたのでほとんど外だ。ここまで派手に壊すといっそ清々しい。


「……おい」


 手についたワイバーンの血をぺろぺろと舐めているアクロに気づき、思い切りオズワルドは顔をしかめる。


「あ」


 無意識だったのか彼女は恥ずかしそうに止めた。


「いいにおいがしてつい」

「……ワイバーンから?」

「はい。魔獣って美味しそうなにおいがするんです」

「食うなよ?」

「人を食べたあとのは口にしませんよ」


 そういうことではない。

 ……昨日、うわ言のように「お腹が空いた」とつぶやいていたが、あれの対象はまさか――


 最悪な思考にたどり着く前にアクロが「先生?」と首を傾げてきた。

 我に返り、考えを振り払う。

 気絶しているメイドが安全かを確認し、様子を見に来てあんぐりとする使用人たちを一瞥しながらオズワルドは黒い蝶を手の中で潰していたアクロにささやく。


「ルミリンナ。言い訳のつじつま合わせ、するぞ」

「あー……はい……」

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