37 呪い
パニッシュラ邸に戻れたのは日も暮れる時間帯だった。
毒、魔獣、そして屋敷の一部倒壊と要素がてんこ盛りだったためにひとつひとつ説明していたら当初の帰宅予定時間を大幅に越えてしまったのだ。もう指輪を見つけた時点であきらめてはいたが。
応接間にいたメイドはほとんど知らされておらず、結果的に何が起きているのかさっぱり理解できていなかった。なのでこれ幸いとオズワルドは自分に有利になるような証言をし、お咎めのひとつも被ることなく屋敷から帰ることが出来たのだった。
……貴族とその使用人が同時に死亡、しかも死因が秘密裏に飼われていたワイバーンに捕食されたというのは大事件だ。むしろ今日中に帰れたことが奇跡である。
「とんだおつかいだったね」
客間にて一通り話を聞き、ホリーが苦笑交じりに言った。
手には絹のハンカチで包まれた指輪がある。
「フロプ・フェンチ・キッサイカの死亡についてだが、キミたちは責任を負わなくていい。……日常的に毒でも盛られていたかね。早かれ遅かれ、死んではいただろう」
「……」
「まー、こうなってしまうと『やっぱり一度は会いに行けばよかったな』って思ってしまうね。人間のさがというべきか」
どう声をかけるべきか悩んだが、慰めの言葉などホリーは欲していないのだろう。
不器用な弟子は頬を冷やしながら何も言わずただ様子を窺う。
「それにしても、どうして指輪が私への贈り物だと思ったんだい? 手紙とかそういうのは無かったんだろう?」
「師匠の石に似た鉱石――紫水晶を枕元に飾っていました。その下に置かれていて、だからきっとこれが師匠へ渡したいものなんだろうと」
「なかなか……そこまで思われていると気持ち悪いね」
容赦のない感想であった。
「いい年したジジイがいい年したババアを思い続けるって巷に出ている小説にもないよ。若いもんを巻き込んでしまって申し訳なかった」
けらけらとホリーは笑った。足元の犬が頭を上げ、くぅんと鼻を鳴らす。
犬の頭を撫で、彼女はハンカチごとオズワルドに突きつける。
「はい」
「はい?」
「勇者殿のモーニングジュエリーを私が持つ資格なんざないよ。あのバカも、もしかしたら私を経由してオズワルドに渡したかったのかもしれない」
「……いいんですか」
「少なくとも私よりは持っていていい存在だ」
オズワルドはそっと受け取った。
複雑そうな表情で指輪を見つめる。
「文字や装飾から見るに、他の国で作られたものみたいで。……盗まれたあいつの一部が、他の国で勝手に加工されているんだと思うといたたまれなくなります」
「勇者殿は世界を救った存在だからね、あやかりたかったり崇めたい連中もごまんといる。……歴史に名を残した魔術師や学者たちが教義に反して火葬のち灰にしてほしいと望むのも分かるよ。知らない人間のコレクションにされたらたまったものではない」
ふぅ、とホリーは息を吐いた。
それからアクロに話しかける。
「キミはそろそろ着替えてきなさい。その格好のまま帰るとオズワルドとの妙な噂が立ちかねないしね」
「妙な噂?」
「デートとか」
「ぶっ」
盛大にむせるオズワルドを横目に、アクロは理解できないといった風だ。
「デート? 恋愛関係にある男女が共に遊び歩くというあれですか? わたしと先生はそのような関係ではありませんが……」
「傍から見たらそう見えてしまう可能性もあるってことさ。……教え子まで恋愛に疎いってどういうことだい、オズワルド」
「俺のせいではないだろうがババア」
瞬時にホリーは杖を取り出しそれでオズワルドの頭を叩く。あまりに滑らかな動作だった。
撃沈するオズワルドを無視して使用人を呼び、アクロの着替えと帰り支度を頼む。
ドアが閉まり、ふたりきりになった。足音が完全に聞こえなくなったことを確認すると復活した義理の息子を鋭く見据える。
「——オズワルド。キミ、一部わざと話さなかった部分があるね?」
「……」
「どうして囚われていたワイバーンがわざわざキミたちの元に襲い掛かって来た? 聞く限り、おおかた地下で飼育されていたのだろうし、体力を奪うために絶食状態で動くことすら億劫だったはずだ」
地下に特別設けられた空間でワイバーンの飼育痕があった。
飼育するには劣悪な環境であると憲兵たちが話していたのをオズワルドはそれとなく聞いていた。
「そんなワイバーンが、突然、動き出して、キミたちの元に現われた? そんな都合のいい話があるかな」
「実際起きましたから……」
「これは仮説だが――。あの少女は完全に魔王のちからを失っていないらしい。ならば魔物を統べる方法も知っているはずだ」
半分当たっていて半分間違えている。
魔王のちからはアクロの身体になってもまだ健在である。一方で、もともと統べることはできないようだ。
「それを利用して、ワイバーンをわざとおびきよせたね。キミのことだから事態をさらに最悪にしてうやむやに終わらせたかったとか、そういうのがあると思うが」
否定できない。
「問題はここからだ。オズワルド、キミは最初からキッサイカ家の新当主とメイドが食われることなんて織り込み済みだったんじゃないか?」
否定できない。
「前当主を殺したから? 違う。新興宗教にはまっていたから? 違う。毒を飲まされたから? 違う。新当主と険悪になったから? 違う。では、あとはなんだ?」
ホリーはオズワルドの手元を指さす。
「その指輪だろう、オズワルド・パニッシュラ。【紺碧の魔術師】。勇者殿の友人で理解者、その最期を看取った魔術師」
「……分かっているなら、わざわざ言わないでくださいよ」
「汚い手を使ってほしいものを手に入れるのは誰でもやるさ。私だって、昔はやった。だがなオズワルド。なにが問題かはちゃんと理解してくれ」
小さい子どもに静かに説教するような口調だ。
「ルミリンナ嬢のちからを使ったね? 他人のちからを借りて強奪するのは最低の行為だ」
「……」
「それがきっかけで彼女が暴走してしまったら、その責任はオズワルドのものだぞ。もし周りに甚大な被害を及ぼすのならばその時はキミが彼女の命を絶たなければならない。それが分からないほどキミは子どもではないはずだ」
「……理解している。魔王の能力を使って勇者のものを取り返すなんてばかばかしいこともちゃんと分かってる。だけどアレキが望んだわけでもないのに選別とやらで人の命が無駄にされていることも許せなかった。本当なら新当主ぐらいは助けられたけれどそうしなかった。俺のエゴでルミリンナを使い、この終わりになったのは、ちゃんと自覚している」
「本当にキミは勇者殿のことになると前後不覚になるねえ」
ひどく小さい声で、付け足した。
「まるで呪いだ」
〇
迎えの馬車の前でオズワルドたちは別れの挨拶を交わしていた。
「『魔力封じ』はそこのばか弟子経由で送るよ。その『魔力封じ』は貰っておきなさい。どうせこちらは手元にあっても使わないんだ、必要な者が持っている方がいい」
「あ、ありがとうございます」
元オズワルドの『魔力封じ』に触れながらアクロは礼を言う。
「オズワルド、たまには手紙を出しなさい。甘いものは控えて。無茶なことはしないように」
「はいはい……。師匠も年なんですから無理しないでくださいよ」
「キミに心配されるほど危険なことはもうしていないさ。さあ、もう行きなさい。遅くなる」
「はい。またお会いしましょう、ホリーさん」
「元気で、師匠」
馬車に乗り込む。用意が済むとゆっくりと動き出した。
小さくなっていくホリーたちが完全に見えなくなるとオズワルドは窓から目を離した。
「……なんだか、大変な二日間でしたね」
「そうだな」
「まさかワイバーンに会うとは思いませんでした」
「俺もだ。——ルミリンナ、手を出せ」
「はい」
指輪を取り出し、アクロの手のひらに乗せた。
「大事にしてくれ」
「え……え!? そんな、だって、先生のものでしょう?」
「俺のものではない。お前が持つのに一番いいだろう」
「どうして……」
「お守りだ」
オズワルドは無意識に手首にある灰色のビーズを弄る。
なんのちからもない、とある村で出生を祝い作られる質素なもの。
——アレキから直接渡された遺品。
「お前を殺した存在が、お前と共に在る。魔王として動き出しそうなら、首を切られた痛みを思い出せばいい」
「本当にいいのですか。言ってくれたらいつでもお返しします」
「勇者を知らない連中よりお前が持つならいいと思ったんだ。俺が手放してもどうせ知らない誰かの宝石箱の中だ。だったら、お前が一番適している」
「……では、わたしが持たせていただきます」
「ああ」
アクロは小指から順に通し、最終的に親指にはまった。大学内には結婚指輪をはめている者はもちろん、刺青を入れている者やアクセサリーをじゃらじゃら下げている者も多くいるので目立たないだろう。
しばらく落ち着かなそうに指輪を撫でていたが、疲労と馬車の揺れによってかいつのまにかアクロは眠りに落ちていた。
ときおり窓の外から入ってくる光によって銀髪が輝くのをぼんやり見つめながら、オズワルドは意識に浮かび上がってきた記憶を回想する。
はるか先の魔王城があるという場所をアレキはオズワルドともに眺めていた。
灰色の髪を遊ばせながら、旅の始まりからまるで変わらない屈託のない笑みをオズワルドに向ける。
「オズはさ、国に戻ったらどうするんだ? 魔術師のままどこかで働くのか?」
「魔術師は魔術師以外になれねえよ……。魔王倒してから考えることにしてる。アレキは?」
「俺もー。あ、でもひとつ考えているのはあるかな」
魔王を倒した。
国に戻った。
だが、残された未来はわずかしかなかった。
『勇者』に選ばれた人間は、短命だ。
「この旅が終わったらさ、」
明るく、無邪気な、誰も傷つけないはずの、願い。
「俺を一番弟子にしてくれよ」
一方で、それはあまりにも重い呪いとなる。
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