34 毒

 再び応接間へ戻り、オズワルドとアクロはスロアと向かい合って座っていた。

 あいだのテーブルには指輪が置かれている。


「父がこのようなものを持っていたなんて、知りませんでした」

「私は勇者の遺髪が装飾品になっていたことに少なからずショックを受けています」

「……」


 それに注がれる感情はまったく異なるものだ。

 スロアは欲しいおもちゃを見る少年のような面持ちだが、オズワルドは腐敗物でも見たかのように頬が引きつっている。アクロは無の表情だった。

 そもそもモーニングジュエリーは家族が個人を失った悲しみを癒すために作らせ、身に着けるものだ。だというのに知らない人間の手に渡った挙句装飾品になり、知らない人間が喜んでつけるのだろうと考えると吐き気がする。

 本来身につける資格のあるアレキの家族は全員土の下だ。


「なんでお前ばっかり」


 声を出さずに呟く。叫びたくなる衝動を呑み込み、オズワルドはスロアの顔を見た。


「——いかがなさいましょうか。何故フロプ様が師に指輪を渡そうとしたのか不明ではありますが……どうもあなたにとっては大事なもののように見えます。お父様の遺品でもありますし、このままスロア様が所有されますか?」


 アクロは信じられないといったようにオズワルドの横顔を凝視する。

 だが仕方のないことだ。ここまで欲している雰囲気を察さずに預かってしまえば、このあとどのような嫌がらせを受けるか分かったものではない。スロアが自分から言わないのはあくまでも『譲り受けた』という体裁を保ちたいからだ。

 悪評ぐらいは普段より受けているのでオズワルドは平気だが、ホリーとルミリンナ家に不利になるようなことは避けたい。

 手首に通した皮紐と灰色のビーズを指先でなぞる。納得する答えが与えられるわけないのに。


「よろしいのですか?」

「ええ」


 よろしいわけがない。このまま奪い取ってしまいたいぐらいだ。

 隣のアクロはなにか言おうとし、オズワルドの苦悩を悟ったのか沈黙を貫いた。

 彼女が一番勇者について口を出せない。前世を抜きにすれば、アクロは勇者といっさいの関わりが無いからだ。

 ふたりの心中など知る由もないスロアは気持ちが悪いほど満面の笑みであった。


「嬉しいです。勇者様もお喜びになることでしょう」

「……所有者が誰か程度の話ではないですか?」

「直に誰の所有でもなくなりますよ」

「はい?」


 オズワルドが眉をひそめると同時に、ノック音が響く。


「お話し中失礼いたします。お茶をお持ちしました」

「頼むよ」


 ユズリともうひとりのメイドがワゴンとともに入室してきた。

 てきぱきと無駄のない動きによって3人の前にはあっというまにティーセットが用意される。

 ふわりと花の香りがする紅茶だ。


「どうぞお召し上がりください。お口に合うと良いのですが」

「ありがとうございます。——その前に、不作法をお許しください」


 そう言いながらオズワルドは懐からよく磨かれた銀のスプーンを取り出し、紅茶に浸した。

 スロアとユズリの様子を伺いながらオズワルドは引き上げてハンカチでふき取る。依然として曇りのない輝きを放っている。


「すみません、なにぶん命を狙われることもありますので……自衛のための行為です。ご了承ください」

「大変ですね。魔術師も」

「好きで入った道ですから後悔はありませんよ」


 そう言いながらひとくち含む。飲み下し、カップを置いた。

 彼に倣って手を伸ばしたアクロの手首をつかむ。


「飲むな」


 オズワルドは低い声を出す。


「まったく……」


 視線を向けた先はユズリとメイドだ。

 あからさまに狼狽えたメイドとは対照的にユズリは冷たい目をしている。


「口に合うわけがないでしょう。それともこの家は、客人に毒を盛ることをもてなしとおっしゃるのですか?」

「なんのことでしょう?」


 ユズリは冷ややかに言う。


「わたくし共が、貴方様の飲み物に毒を入れたと?」

「そのように言っています」

「しかし、飲みましたよね」


 にこやかにスロアは指摘する。


「銀などで反応するわけがありません。これは選別の薬。豊かなものには害はなく、卑しきものには毒になるのです。すぐにどちらかが分か――」

「分かりませんよ。皆様、一度は『勇者の伝説』をお読みになったことはありますか?」


 もうひとくち飲みながらオズワルドは渋い顔をする。

 毒と自ら言ったものを再び飲むものなのでその場の全員が目を丸くする。

 「苦い」と呟いて角砂糖をそのまま口に放り込んだ。


「王に報告した話が脚色されているので大げさなところもありますが、おおむね事実なんですよ。その中で、ひとつ――私は絶対に話したくなかったのですが戦士が漏らしたエピソードがありましてね」


 もはや行儀よく振舞うことも嫌になってオズワルドは頬杖をついた。


「毒沼の精霊に求婚されているんですよ、私」

「毒沼の精霊――?」

「ルミリンナ、お前は読んでいるはずだよな。どういう話だった?」


 突然話を振られてアクロは慌てる。

 ぱたぱたと手振りも交えて話し始める。


「えっと、指先を浸しただけでも死に至る毒沼に住む精霊が、魔術師に惚れて求婚したんですよね。それで、一緒になりたいからと沼の中に引きずり込むために毒耐性の祝福を与えて……でも旅を続けたいという意思の強さに負けて見送ったんでしたっけ」

「いや、普通に引きずり込んできたからボコボコにしたが。――まあそういうことです。私はほとんどの毒に対して耐性があります」


 殺されにくくなったのか、選ぶ死の手段が減ったのか。


「味覚も調整されてましてね、毒は苦いんですよ。銀に反応しないということはヒ素以外――そしてフロプ様のものと同一でしょうか?」

「……」


 結局前当主の死に関わることになってしまった。

 だが、分かって毒を出されたのなら黙っているわけにはいかない。


「毒では、ありません」

「そうですか。ではここで選別を見せてもらいましょう。あなたは豊かなるものなのでしょう? なら、死に至るはずがないわけだ」


 自らのカップをスロアの方に滑らせながらオズワルドは笑う。


「さあ、どうぞ?」


 言葉に詰まる主人を庇うようにユズリが近づき、威圧的にオズワルドを見下ろした。


「旦那様に不遜な態度を取ることはお止め下さい」

「毒を混入されなかったら私ももう少し柔らかい対応をしていますよ、メイド長」

「選別の薬です。そう旦那様もお伝えしていますが、理解ができませんか」


 睨み合うふたりの間で、アクロはふいにカップを指差す。


「ハキョさん。この紅茶、いい香りですね。とくにお花の香りが」

「え? はい……」


 空気をまるで無視したセリフにユズリは面食らったようだった。


「どのようなお花を調合しているか、見させてもらってもいいですか?」

「……茶葉はもうふやけていますよ」

「構いません。姉が紅茶好きで、参考にしたいのです」


 今しがた毒だなんだと揉めていたのを見ていたはずなのに、のんきなことを言う。

 ユズリはちらりと新当主に視線を送ると、おろおろするメイドにポットを持ってこさせた。


「こちらです」


 中は茶色い茶葉に混じり刻まれた白い花弁がある。


「わあ、これは上質なものですね……。なるほど、こうすると匂い立つのですか。ありがとうございます」

「いえ。……パニッシュラ様もご覧になりますか? 毒の痕跡がないか確認するために」

「では一応」


 ちらりとオズワルドも覗き込む。

 花弁に見覚えがあるが、名前が出てこない。答えを出す前に引っ込められてしまった。


「あと、応接間のお花、すごくきれいです。生けたのはあなたですか、ハキョさん」

「え? はい……そうですが」


 いきなり口数が増えた少女を警戒しているのか、メイド長は慎重に頷いた。


「部屋ごとにお花は分けているんですか?」

「部屋を使用する方の好みや雰囲気ごとに分けていますね」

「そうですか。――ならば」


 焦らすように間を開けて。


「フロプ様のお部屋の花と、今ポットに入っていた花びら。同じもののように見えますが、どういう意図ですか?」

「……そうか。あの花はスズランか。毒持ちの花」


 花から根に至るまで毒を持つ白い花。

 ホリーの植物園の奥の奥に植えられているはずだ。神の世界にあった花を人間の世界に持ってきたら祝いの魔法が反転し毒が生まれたとかそういう逸話がある。

 ぴくりとユズリが反応した。


「そうなんですか?」

「……知らないでそこまで導けたのか……逆にすごいな……」


 直感や勘がするどいのか。


「スズランなんですね、あの花は――スズランを生けた水を、水差しに移したのではないかとわたしは考えています。夜中に体調が急変したというので、寝る前か喉が渇いて起きたときに飲んだのではないかと」

「……」


 オズワルドはハラハラとする。

 馬車での会話を覚えているといいが。


「ハキョさん。人を殺す花だと分かりながら生けるのは、どんな気持ちなのですか?」


 だめだった。

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