33 部屋を物色

 思わず漏れ出した魔力が互いに寒気をもたらし、我に返る。

 オズワルドは感情的にならないように努めて冷静に聞き返す。アクロは自分の手の甲をつねっていた。


「勇者の呪いですか? いやぁ、彼は人を呪うようなことはしないと思いますが……」


 なにせ魔王にすら慈悲を与えようとしたほどの善者だ。

 特に関わりもなかった貴族を呪うとはとても考えられない。


「いいえ、勇者様は我々を選別しているのです。この世界には卑しき心のものと豊かな心のものがおりまして、勇者様は卑しき魔王を打ち倒しました。しかし魔王がいなくなったからと言って皆が豊かになったとは言えません。我々の敵である卑しきものを減らしていくことが勇者様の真のお勤めなのです」

「は――初耳なのですが?」


 勇者アレキをひとり看取った魔術師は震え声だった。

 その隣で『卑しき魔王』と評価された少女は杖を収納しているブレスレットをひたすら弄っている。足元から蝶の羽根が覗いたり引っ込んだりしているのでオズワルドは気が気でない。


「そうでしょうね。人を導き裁く存在となった勇者様に仲間は要りませんから」

「あ、そうなのですか。へえ……」


 勢いの良い回答をされてしまったので怒りより先に納得をしてしまった。


「フロプ様は勇者の選別によって亡くなられたと?」

「はい!」

「なるほど」


 非常に帰りたくなった。

 自身の言っていることにまったく疑問がないのだろう。それどころか普通に教会の教えに反すること(人を呪うことは罪になる)を平気で口に出しているが、そのあたりどう考えているのだろう。教会に盾突くとろくなことにならないというのに。

 ここに長居しても、知らない勇者の話をされるだけだ。事実なら構わないが、死後の勇者がどうたらという話をされるのは不愉快であった。

 手紙を取り出してスロアに渡した。


「私の師より、フロプ様に宛てたものです。現当主のスロア様でも問題はないと思いますのでどうぞご一読ください」


 もはや目的の人物は故人だ。フロプが不利な状況にならないようにと立ち回る必要もない。

 ——ここからは、自分たちの身の安全の確保に気を遣えばいい。


「これは……——父が【紫煙の魔術師】様へ渡したいものがあった? 確かに、彼は【紫煙】様を気に入っておられましたが……」

「形見の品となるものでしたら結構です。師もうるさく言わないでしょう。ですが、どのようなものかは教えてほしいということでしたので一目見させていただけたらと」

「……このようなことを考えていたことも、お渡しするものがあったことも、知りませんでした」


 スロアの目つきがあからさまに鋭くなる。

 やはり手紙をホリーへ出したことは家族に黙っていたらしい。

 紙にしわが寄るほど握りしめたあと、取り繕うような笑みでスロアは顔を上げた。


「そうだ、父の部屋をご覧になりますか? もしかしたらその渡したいものの正体が分かるかもしれません」

「よろしいのですか?」

「このまま成果なくお帰りするのも嫌でしょう? どうぞ、こちらへ」


 急かされるようにして部屋を出される。

 ちょうどワゴンを引いてきたメイド長のユズリは3人の姿を見て瞬きする。


「ハキョ、いまから父上の部屋にご案内するよ」

「畏まりました、旦那様。——誰かつかせますか?」

「いいや、いらない。茶の準備をしていてくれ」

「承知しました」


 意味深長な目配せをスロアとユズリが交わしていたのをオズワルドは確かに見た。

 招かれざる客人であるのは自覚しているので早々に追い出す計画でもたてているのだろうか。そんなことせずとも用がすんだら帰らせてもらうのだが。

 スロアの先導で歩いていく。

 廊下に敷かれたふかふかのカーペットの感覚に慣れず歩きづらい。一方でアクロは慣れた調子で足を進めている。


「魔獣の絵が多いのですね」


 アクロは等間隔に掛けられた絵画を眺めながらつぶやいた。


「祖父の代から集めているのですよ。私も好きで、たまに迎えてるんですよ」

「良いですね。父も仕事のついでに魔獣の彫り物をよく購入しています。そのたびに母に叱られていますが」

「ははは、彫り物も魅力的ですね。本物には敵いませんが」


 社交辞令の会話をしながら一室の前で止まる。立派な扉だ。


「ここが父の部屋です。遺体は地下に安置しているのでご安心ください」


 オズワルドというよりはアクロに向けての言葉であった。

 普通の令嬢ならその気づかいはありがたいのだろうが、元魔王はいまさら死体のひとつふたつ見ても反応がない。

 アクロとオズワルドが先に通され、スロアが最後に入る。部屋の鍵が閉められないか耳を澄ませていたがそのような音は聞こえなかった。

 部屋の主が永遠にいなくなったことが嘘のように、まだ生活感の残る空間だ。

 葬儀が終わるまでは部屋をそのままに留めておくという風習が王都にはある。万が一死者が還って来ても問題なく生活を続けられるため、ということらしい。


「いちおう遺言書は探しましたが、『呪い』はあっという間に死に至らしめますからね。書く暇もなかったようです」

「はぁ……」


 呆れ果ててもうなにも言うまいとあいまいな返事をする。本当に帰りたい。

 本棚を眺めていたアクロは振り向いて尋ねる。


「その『呪い』で死ぬときは、苦しいのですか?」

「ルミリンナ――」

「そうですね。父の場合は、夜中に起こりました。頭痛や嘔吐に苛まれて、最後は胸が苦しいと言っていました。恐ろしいですね」


 死体の有無は伝えてくるわりに死に際のことは繊細に話す。

 感情の込められていない語りからして、自分の親の死などなんとも思っていないのだろう。


「それが『呪い』、ですか……」


 アクロは不審げな表情をしている。それはオズワルドも同意見だ。

 精神にかけるものならじわじわと幻覚や幻聴に襲わせ発狂させていくものなどバリエーションが豊富にあるが、物理的なものは意外にストレートなものしかない。一度食らったことがあるが、感覚としては見えないハンマーで頭をぶん殴られたような威力だ。

 そんな、まるで毒でも飲んだような症状が出るなど聞いたことが――

 はっとして、スロアがよそ見した隙にアクロへ囁く。


「……毒か?」


 答える代わりに彼女はサイドテーブルを見る。薬品のようなものは乗っていない。

 カンテラと置物がいくつかあるだけだ。

 窓側にアクロは歩いていく。そこには水差しと花瓶が置かれていた。


「立派な陶器ですね。どちらも真っ白で、なめらかです」

「ああ、それは隣国の門外不出の技術だそうですよ」

「それに、このお花もきれいです。こちらはお庭から摘んだものですか?」

「そうです。庭師が育てたものをメイドが活けています」


 その周辺をざっとみるが、やはりそれらしきものはない。

 夜中にわざわざ毒を盛りに来るものがいたということか――?

 考えれば考えるほど深みにはまっていく。というより、前当主の死亡原因など明かさなくてもいいはずだ。わざわざ面倒事に首を突っ込まず、本来の目的を達成できればそれでいい。

 サイドテーブルに目を向ける。

 紫水晶の球体が大切そうに中央に飾られている。……そういえばホリーの持つ杖の石はこれに似ている。

 苦い顔になりつつもどうやってこの球体は固定されいるのかその下を覗き込んだ。横幅の広いリング状のものが支えているようだ。

 指輪だろうか。見たことのない装飾だ。一部が小窓のようになっており、灰色の糸が編み込まれているのが見える。

 ひどく、見覚えがあるような。

 紫水晶をどかして指輪を手に取る。内側に文字が彫られていた。まじまじと見て、あやうくぶっ倒れそうになる。

 このままポケットに滑り込ませようとしたが、明らかに様子のおかしくなったオズワルドをスロアは疑わしく思ったらしい。


「【紺碧】様、その指輪はなんですか?」


 言い逃れをするにも立場が悪い。

 少しずつ帰宅時間が伸びていくのを感じながらオズワルドはぼそぼそと答える。


「……もしかしたら、これを渡したかったのかもしれません。紫水晶が上に置かれていましたから、師匠に渡すものを師匠に関連するもので示したのでしょう」

「まさか婚約指輪とかそういうものではないでしょうね」

「いいえ」


 指輪を掲げる。


「18年前のとある日と、イニシャルが彫られていました。外側には灰色の糸――ではなく、髪が」

「髪?」

「ええ。世ではモーニングジュエリーというそうですね」


 勇者に関するものは聖遺物となっていると聞いていた。

 埋められる前に一部が持ち去られた事件があることも知っている。犯人は捕まったり捕まらなかったりだ。

 だから予想はついていた。ついていたはずなのに、いざ目の前にするとめまいがする。


「これは、です。本物かどうかは不明ですが」

「……ほう」


 明らかに目の色が変わったスロアに、オズワルドはひっそりと息を吐いた。

 どうやら、簡単に帰ることは出来なくなったらしい。

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