15 黒い蝶
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バサバサと落ちていた紙が巻き上げられ、棚に納められていた本も飛び出し浮かびあげる。
予想していたことだ。魔法の力が強いものは追い詰められるとすぐに魔法に頼ろうとする。
めちゃくちゃに刃物を振り回しているようなものなので危険極まりないが、一方でワンパターンでもあるのでそこを見極めれば対処はしやすい。最も、その見極めが難しいのだが。
オズワルドは至極冷静にブレスレットを杖に戻し、構えたときだった。
「■■■」
聞き慣れない言語が、隣で発された。
「は――?」
頭から冷水をぶっかけられたと勘違いするほどの寒気。
同時に、ぶわりと視界の端で黒い蝶が舞った。
ただの蝶ではない。形だけを模した濃い魔力の集合体だ。
それらが紙や本にぶつかっていきその場に固定していく。気持ちの悪い光景だ。一瞬前までは荒れくるっていたものが突然ぴたりと制止したのだから。
風が、止んだ。
「ルミリンナ?」
横にいる少女は片腕を目線まで上げて蝶たちに指示をしているように見えた。
呼びかけに答えず、彼女はじぃっとイジーリアを見つめていた。
その瞳は緑色ではない。
忌々しく、恐ろしい、未だに夢に見る、色。
「■■■」
ぼそぼそと呟きながら空間をなぞるように人差し指を下ろす。
その先には、イジーリアがいた。自分の魔法が無効化されぽかんとしている。
「っ、【防御魔法展開・籠】!」
開声魔法は久しぶりだ。単純なものなら簡単に展開できるのだが、杖を使えるようになると呪文の長さと手間が面倒で魔術師の大半は使わない。オズワルドの場合、今回は並行して魔術を展開させるために使用する。
唱えながら杖で魔法増大術式を展開し、呪文をさらに補強する。
イジーリアの頭上に迫っていた蝶たちを半透明の【籠】が閉じ込めた。相当な力を入れているはずなのに抑え込むだけで精いっぱいだ。以前魔術師同士の喧嘩を仲裁したときだってここまでの威力は無かった。
力づくで外に出ようとしているというよりは、これは――術式を『破壊』しようとしている。
【籠】がダメージを受け、オズワルドに戻ってくる。片手の親指と人差し指がひび割れ血を吹き出す。
「ルミリンナ……ッ!」
周りは気付いていない。いや、気付く余裕がないのだろう。
暴走した魔法、そしてこの得体の知れない蝶から発される高濃度の魔力。
いわば油をそのまま飲まされているようなもので、人体が受け付けきれず拒否反応を起こしているはずだ。現に皆喉や心臓を押さえている。このままでは悪影響が出てしまう。
中指の爪が剥げた。
ここまでの状況になったのは、十八年前以来だ。あの時はアレキがいた。ロッダムも、クラリスも。
今ここに居るのはオズワルドだけ。
「ああクソ!」
正しい方法かどうか分からない。だけど試すしかないだろう。
このままでは手の骨が弾けかねないし、魔力が切れたらあの蝶が何をしでかすか。
オズワルドはアクロに手を伸ばし――
「このバカ!」
――後頭部を強く引っ叩いた。ぱこんと良い音が鳴る。
「えっ」
アクロが頭を押さえた。
同時に蝶が霧散し、紙と本が床に落ちていく。
オズワルドは長々とため息をつきながら杖を振り、イジーリアを捕縛する。あとでレルドあたりに解除方法を教えなければならない手間はあるものの、また暴れられるよりはマシだ。
割れた爪を治癒魔術で治す。本来は聖職者以外が治癒魔法を使ってはいけないのだが、このどさくさ紛れなら誰も気づかない。
「……オズ、今のは?」
「おいおい、仕事中だろう隊長殿。ルアナ女史が慣れない暴れ方をして……まあ魔力をまき散らしたんだろうな」
他の憲兵がうずくまったりまだ回復をしていない中、すぐに起き上がれたあたりさすが第2部隊隊長というところか。
杖をしまう。ふと、ひっかかりを覚えたが――それは後で良いだろう。
どちらにしろアクロとは後で話さなければならない。
「残りの取り調べはそちらに任せます。申し訳ありませんでした、うちのバカ弟子候補が余計なことを言って」
アクロの頭を掴み下げさせる。なお、自分は下げない。
「怪我人が出ていたらどうするつもりだったんだこのバカ」
「うっ」
「ああいや……結果論から言えば、ルミリンナさんの言うことは正しかったことになりますし、魔術師殿も我々に危害が及ばないように動いてくれましたから」
「甘いですなあ隊長殿は」
人には被害がなかったものの、本棚や机椅子、カーペットは見える範囲で切り裂かれており酷い有様だった。幸いにもオリエリック館長に新しい傷はつかずに済んだようだが。
アクロの推理が合っていたことになるが、同時にアクロが推理しなければこんなことにもなっていなかったはずで。
褒めていいのか悪いのか微妙に迷うところであった。オズワルドは、自分の師匠ならどうするか考えてみたが、多分こういう場では大笑いして終了していただろう。
「……というか魔術師殿が乱入したのが事の発端ではないんですかねえ?」
「存じ上げませんねえ」
顔をわざとらしく背けるとレルドは舌打ちをした。
「とりあえず、まだ話があるなら付き合いましょう。捕縛の術式を解く方法も教えなければなりませんし」
「……魔術師殿」
「はい?」
「いつの間にそんなに親切になられたんですか? 頭打ちました?」
「はっはっは。お前にも捕縛魔法かけてやろうか」
とりあえずは蝶について追求されずホッとする。あるいは魔術になれていないと形として認識できないものなのか。
『妖精避け』の魔法陣が破れちからを失ったおかげか、館内妖精がそろりとこちらの様子を伺いに来た。なにかに気づき、何匹かがアクロに集まってくる。
「わ、なになに?」
「……魔力」
「あっ……」
小声で教えると、アクロは慌てた様子でわずかに漏れていた魔力を抑える。
食事のにおいを嗅ぎつけて寄ってきた館内妖精はがっかりしたように離れていく。学内妖精と違い愛想があまり良くないのだ。
ちらりと、アクロの瞳の色を確認する。緑色に戻っていた。
「隊長殿」
「はい、魔術師殿?」
「もしこの事件の細かいレポートが出来たら、こちらに流してもらえませんか」
「無理です。規律ですから」
レルドはきっぱりと言い放つ。
それから部下たちを横目で見つつ目線で「了解」と返した。さすがに堂々とは承諾できないからだ。
会うのは数年ぶりだがまだ協力してくれるのだなとオズワルドは不思議な気分になる。てっきり溝が出来ているものと思っていた。
いくつか会話を交わし、オズワルドとアクロは解放される。
大学へ続く道を離れて歩きながらふたりは無言であった。
切り出したのは、アクロだ。
「……先生」
「なんだ」
「どうして来てくれたんですか」
「学内妖精がうるさかったからだ。お前が餌付けしているから懐いているんだろう」
「そう、でしたか」
「ああ」
わずかな沈黙のあと。
「……気づいちゃいましたよね、先生」
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