第25話 露呈せし魔王

 だが、森を進んだ先で、私たちはそれに遭遇した。


「あ、あらら~……マジでいたんだ」


 マイカが苦笑いしながら後ずさる。視線の先にいたのは熊。


 ただしただの熊ではなく、魔界に生息する凶悪で狂暴な熊、ゲイズ・ベアだった。奇しくも熊出没事件の発端となったのと同じ魔物が、私たちの前に姿を現したのだ。


『……ニコル、手はずはいいな?』

『は、はい!』


 私とニコルは念話で確かめ合う。あらかじめ、魔物が現れた時の対処を打ち合わせてあったのだ。


 村の皆は知らないが、ニコルに魔物と戦えるだけの魔力および気概はない。そのためあくまでも私が対処する、だが私が魔王であることは知られるわけにはいかない。


 そこで、まずニコルが閃光魔法を放ち、目がくらむほどの光で魔物と、同行する者の視界を奪う。そしてその一瞬の隙に、私が魔物を片付けるのだ。


 転移魔法で避難してもいいのだが、大事なのは『ニコルなら熊を倒せる』という事実を作り、村人を安心させること。それに他者を転移させるには時間がかかる、やはりここで光にまぎれて私が駆除してしまうのがベストだろう。


「みなさん、私の後ろに! 魔法を使います、目をつぶっていてください!」


 ニコルが皆をかばいつつ両手を構える。熊は今にも飛び掛かってきそうだ。


 私も隠れるフリをしつつ、ニコルの脇で密かに魔法を準備する。一瞬のうちに熊を片付け、そして元の場所に戻る。私の力ならば、問題なく可能……


 だがその時。


「ぐっ!?」


 突然、私の胸に走ったのは強い痛み。そしてすぐに、焼けるような熱さが胸の中で暴れ始める。


 しまった、これは魔女の持病の発作。よりにもよってこんな時に……!


「シャイさん!?」

「シャイたん、どした!?」


 苦悶は到底隠しきれるものではなく、レアやマイカにも異常が伝わってしまう。


 だがゲイズ・ベアはすぐにでも襲ってくる。もはや猶予はない。


「閃光魔法っ!」


 手はず通り、ニコルが魔法を放った。雷光のごとき閃光が、一瞬辺りを覆い尽くす。


 レアとマイカが見ていないこの間に、私が熊を始末せねばならない……ならないのに。


「が、ハッ……!」


 ダメだ。体が動かない。呼吸がうまくできず、魔力を練れない。膝をつき、倒れ込もうとする体をなんとか支えることしかできなかった。


「まぶしっ……ってニコルん、熊いるよ!?」

「しゃ、シャイさん……!」


 そうこうしている間にマイカもレアも目を開いてしまう。


 そしてそれは、ゲイズ・ベアも同じ。目くらましを受けて怯んでいた熊は、目に光を取り戻すと、激昂のうなりと共に私たちに襲い掛かった。


 だが。


「なめるなァッ!!」


 私は叫び、地面を蹴ると、ニコルの前に躍り出て、魔法を放った。私の指先から、火炎が生まれる。


 断末魔の暇すらない。魔王の魔力が生んだ火炎は眼前の全てを、一瞬のうちに飲み込んだ。


「フッ!」


 指を横に振り、魔力を止める。炎は瞬時に鎮火した。


 後に残ったのは、黒焦げになった森の木々と……物言わぬ炭と化した、熊の亡骸のみ。


「っとと……ふーっ……」


 飛び出た勢いで地面に倒れ込みつつも、私は安堵の息を吐いた。胸の痛みも嘘だったかのように引いていた。ひとまずレアたちを守ることができて良かった。


 だが……同時に、別の問題も生んでしまった。


「すご……今の、シャイたんがやったん?」


 目を丸くするマイカ。レアに至っては言葉を失っていた。


 当然だろう、目の前の惨状を見れば。真っ黒に焼け焦げた森、息絶えた魔獣。全て、私が引き起こしたことだ。


 終わった。今度こそもうダメだろう、この威力を見られてはただ魔法が使えるという言い訳も効かない、きっと魔王だと露呈してしまう……


「シャイたんありがと~~~~~~っ!」

「うっ!?」


 いきなり、マイカが抱き着いてきた。


「あたしほんともうダメかと思ったよ~! 助けてくれてありがと~っ」

「ま、マイカ……?」

「シャイたんも魔法使えたんだね! でも苦しそうだったけど大丈夫?」


 私を忌避するどころか、感謝し、頬ずりまでしてくるマイカ。私は面食らっていた。


「マイカ……私が怖くないのか?」

「ん? 怖くなんてないよ、シャイたんカワイイし」

「カワっ……い、いや、そうではなくてな、これほどの魔法を使えるのだぞ?」

「ん? んん~~~……」


 マイカはなぜか考え込んだあと。


「うちのパパも力めっちゃ強いけど、怖くないよ?」


 と、あっけらかんとして言ってのけた。


「私も……シャイさんは、シャイさんですから。怖くはないです」


 レアもそう同調した。


「いやでもびっくりはしたよ? ほんと。とんでもない爆発だったし、熊さん丸焼きだし……でもあたしらを守るためにやってくれたわけだしさ。ぶっちゃけドキドキすごくてあんま頭回んないんだけど」

「びっくりはしましたし、今もしてます。でもやっぱり、シャイさんはシャイさんです」


 2人はそう言葉を続けたが、私の耳にはほとんど届いていなかった。


「フ……フハハハッ」


 ああ、なるほど。私は思わず笑みが漏れた。


 これが平穏に生きるということか。悪く言えば平和ボケ、危機に対する鈍化。だが良く言えば……それでも生きていけるほどの、平穏な日々を送ってきた証拠。


 もし彼女らが魔界に行けばすぐに死んでしまうだろう。だがそれゆえに彼女らが生き物として劣っているかといえばそうではない。


 彼女らは心に余裕があるのだ。これまで私が感じてきた平穏の幸福とは、その余裕にどっぷりと身を任せることだった。


 マイカの言ったことはある種の真実を突いているといえよう。人間同士だろうと、ナイフ一本持てば人は人を殺せる。だが、隣人が自分を殺すのでは、と怯えて暮らす人間はいない、少なくともこの村には。


 平穏とは、互いの信頼によって成り立つ。


 そして私は恥じた、彼女らを疑ったことに。


 魔法が使えることが露呈し、村にいられなくなると危惧することは、即ち彼女らが私を忌避し排斥するのだと考えること。これまで幾度となく見てきた優しさを、親しみを、裏切る行為だった。


 ならば、私がやることはひとつ。


「うむ! 今まで内緒にしていたが、私は魔法を使えるのだ!」


 私は胸を張って宣言した。これぐらいで彼女らは私を忌避したりはしない、という信頼を込めて。


「やっぱし! でもすっごい威力だよね、魔法ってやっぱすごいわ」

「ああ、実は私はな……」


 私は思っていた。


 いっそのこと、私が魔王だと明かしてしまってもいいかもしれない。村の皆を信頼する、と決めたのだ。これ以上隠し事をするわけにもいくまい。


 そうだ、そうしよう。信頼こそが平穏への道。村の皆を信頼し、魔王だと明かそう。村の皆なら、私が魔王だと知っても大丈夫なはずだ。


 もしダメだったら。


 その時は……その時は……


「……ちと、平均よりも魔力が高いのでな。その分加減が苦手なので、あまり使いたくはなかったのだ」


 自然と、私の口からは嘘が漏れていた。魔王だと明かしてしまえばいいと思ったのは事実、だがなぜか、私の口はそれを言えなかった。理由は私自身にもわからなかった。


 魔法のことをあまり知らないマイカは、そうなんだー、と納得した様子なのでひとまずは問題なさそうだ。


 そうだ……それでいいのだ。思えば別に元魔王だと明かす必要などないのだ、徒に不安の種を与えるよりは黙っておけばいい。これは信頼を裏切る行為ではない、ただ、話す必要がないだけで……


「と、とりあえず一旦村に戻りましょう。また、別の熊が出るかもしれませんし」


 ニコルが提案し、私に目配せする。強力な魔力をかぎつけて他の魔物が現れるかもしれない、と、訴えているのがわかった。


「そうだな、そうしよう。ちと私も疲れた」

「あ、そうだシャイたん、さっきなんか苦しそうだったけどあれは平気なん?」

「あああれか、あれはまあただの発作だ、タイミングが悪かっただけだな」

「シャイさん、ほんとに大丈夫ですか? とにかくお店で休みましょう」

「うむ。そろそろおやつだしな、またワッフルが食べたい」


 私たちは並んで森を歩き、村へと帰る。


 なぜこの時、嘘をついたのか。


 やがて私はその理由を思い知らされることになる。

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