第23話 学びし魔王

 あれから数日が経過した。


 奇妙なことに、魔物の出現はパッタリと止んだ。ニコル曰く依然として魔力は残っているはずなのだが、それまで幾度となく起きていた魔物の転移がなくなったのだ。


 無論それは喜ばしいことなのだが、良い事であろうと悪い事であろうと原因が不明では気持ち的に平穏ではない。あの、ゴーレムを消した謎の人物の存在も気になる。


 いずれにせよ、ニコルが魔力除去の道具を揃えるまで、私は待つしかない。


 幸いこの数日は平穏な暮らしができている、それを楽しむとしよう……






 ……いや違う! こうではない!


 こんなモヤモヤとした悩みを抱えては、到底平穏とは呼べん! やはり解決せねばならん、早急に!


「シャイさん、どうしたのですか?」

「む? いやなんでもない」

「なんでもなくはないでしょう、いきなり首をぶんぶん振って」


 などと考えていたら、レアに突っ込まれてしまった。そんなにわかりやすく態度に出ていたのか私は?


 今は朝のベッドの上。結局今も私とレアは一緒に寝ている、レアががっちりと私に抱き着くのも相変わらずだ。


「ん……いや実はな」


 ごまかさねばならぬが、ちょうど別の悩み事があったので、それを使うこととする。


「今日、オリヴィンは休日だというではないか。私にとっては初めての休日、何をすればよいかわからんのだ」


 そう、前々から言われていたが、本日小料理屋オリヴィンは定休日。私が村に来てからは初めてで、これまではオリヴィンで働くことで一日を過ごしていた私は、手持無沙汰になっていたのだ。


「えっと……シャイさん、趣味とかはないんですか?」

「趣味? ないな」


 魔界に娯楽の類はほとんどなかった。魔女が持ち込んだものもいくつかあったが、いずれも私には合わなかった。


「じゃあ……オリヴィンに来るまでは、何をしてたんですか?」

「む? そうだな」


 魔王だった頃は魔女の報告に適当に返事したり、ニコルから魔法を教わったり、寝首をかこうとする魔族を蹴散らしたり……


 だがそれ以外の、ほとんどの間は。


「寝てた」

「寝てましたか」

「うむ」


 私の元の肉体は意識的に休眠ができるということもあり、暇なときはもっぱら寝ていた。


「まあ、それでもいいんじゃないですか? お母さんも、休みの日はほとんど寝てますし」

「むう……」


 たしかに休むという目的に合わせれば、寝るというのも間違ったことではない。スピネルは実際そうしているらしい。


 だが。


「いやダメだ! 私はレアと休日を過ごしたいのだ!」


 それでは魔王だった頃と変わらない。せっかくの平穏な暮らしだ、妹と仲良く遊ぶといったことをやってみたい!


「シャイさん……」


 レアが笑みを漏らす。彼女も同意見と見てよさそうだ。


「レアよ、お主は休日何をしているのだ? 私もそれに倣うとしよう」

「えっと、私は本を読むのが好きです。お話が好きで……」

「では私も本を読むぞ!」

「それじゃ、オススメの本を……」


 レアはいそいそと書棚に向かう。レア自身も楽しんでいるのがよくわかった。


「これです、『宝石の園と守り人』。不思議な世界の冒険のお話です」

「おお! では早速読むとしよう」


 うきうきとしながら、レアに手渡された本を開いてみる。


 だがそこで、ある大問題が発覚した。


「……読めん」

「え?」

「字が読めん。そうだうっかりしていた、そもそも私は字が読めないのだ」


 そう、私は字というものを一切読んだことがなかったのだ。魔界で暮らす上では問題なかったため、すっかり忘れていた。字というものの存在は魔女がよく魔導書とやらを読んでいたので知っていたのだが……


「というか、レアは字が読めるのか?」

「はい、簡単なものなら。この村の子供はみんな字は読めると思いますよ、ルカさんのお母さんが教えてくれてます」

「ほう、なんと」

「その本も、ルカさんちから借りてきたものなんですよ」

「なんとなんと」


 この村に本を売る店はないので本の出所が気になっていたが、ルカの家だったか。たしかのあの大きな家ならば書庫のひとつくらいあるだろう。


「では私もルカの母に字を習うぞ!」

「ですね。じゃあ今日は勉強の日にしましょうか」

「うむ!」


 そうして、私たちはルカの家へと向かうのだった。





 幸いその日、ルカの母も時間のある日だったということで、快く教師を引き受けてくれ、ルカの家の応接室を借り勉強会が始まった。


 のだが。


「ぐぬぬ……これとこれは同じ字なのだな?」

「そうです。ちょっと書き方が違うだけですね」

「だが、それとそれは違う字だと?」

「はい。ここの払い方が違うので」

「わから~~~~~ん!!」


 教本を前に、私は悲鳴を上げた。隣にレアに座ってもらい逐一助言を貰っているが、それでもわからない。初めての身に、字はあまりにも難しかった。


「まあまあ、焦らずゆっくりやりましょうね~」


 ルカの母はにこやかに教えてくれる。実際村の子供に教えているだけあってその教え方は見事で、知識自体はするすると私に入ってくる。


 が、そもそも字というものの存在自体が、私との相性が悪いのだ。


「どうだシャイちゃん、ここらでちょっと休憩してチェスでも……」

「パパは邪魔しないでね?」

「は~い……」


 チェス盤を手にドアを開けたルカの父が、妻にたしなめられすぐに引っこむ。正直、チェスでもやりたいのは山々だったが、私としてもここで退くわけにはいかない。


「ぐう、おのれぇ……! だがこれしきで私が怯むと思うな!」

「なにと戦っているんですか」

「文字とだ! 今に見ていろ、貴様ら全て読み明かしてくれる! 一文字残らずだっ!」

「その意気その意気~」


 頭の中がぐるぐる回るような感覚と戦いながら、また文字と格闘する。苦戦する、という感覚は、魔王たる私にとって珍しいことだった。


「我が真の力、見せてくれるっ! おおおおっ!」


 私は気合を入れ、レアも驚く速度で勉強を進めた。






 が、数分後。


「じゃあ飲み物とお菓子持ってくるから、ちょっと待っててね~」


 そう言ってルカの母が部屋を去る。


 私はというと、ソファの上でひっくり返っていた。


「ぐぐぐ……頭が発火しそうだ……」

「だ、大丈夫ですかシャイさん」

「おのれ文字めぇ……ややこしいのだぁ……」


 私は文字を相手に、完全に打ち倒されてしまった。気合はよかったのだが、肝心の体力が追い付かなかった。知力の面なので今回は関係ないと思っていたが、また魔女の体の貧弱さに足を引っ張られた形だ。


「すまぬなレア……だが私はまた必ず蘇る……! 蘇りし私は今度こそ、文字どもを殲滅してくれよう……」

「はいはい、無理はしないでくださいね」


 膝枕をしたレアが私の頭を撫でる。これではまるで立場が逆だが、今の私には抗議する力もなかった、


「……本当に、無理はしないでくださいね」


 その時、ふいにレアは声のトーンを落とした。


「シャイさんは、強がりなところがあると思います。私の見てないところで、無茶してるんじゃないかって。心配なんです」

「レア?」


 表情に乏しいレアだが、普段と少し様子が違うのは私にもわかった。いつになく真剣で、訴えるように語り掛けてくる。


「私、シャイさんはシャイさんでいてくれればいいんです。お姉ちゃんらしく、なんてなくても。シャイさんは、シャイさんですから。私はそれで……」

「いや、違う!」


 私はレアの言葉を遮った。たしかに私は姉らしくあろうと、ちと身の丈に合わぬ背伸びをしようとすることもあるかもしれない。


 だが今回は、それとは別に、退けない理由があったのだ。


「私は、レアと同じ本を読みたいのだ!」


 あの時、文字を読めぬとレアの本を返した時、わずかだがレアは落胆を見せた。きっと、自分が好きな本を私にも読ませ、感想を言いあったりするのを楽しみにしていたのだろう。


 私はそれを裏切ってしまった。一刻も早く字を読めるようになり、レアの望みを叶えてやらねばならない。それは姉として、というよりは、家族としての純粋な気持ちだった。


 私はレアの笑顔が好きだ。レアの笑う顔を見ると心が満たされる気持ちになる。平穏を感じるからか、単にレアがかわいらしいからなのかは定かではない、だが理由はどうでもいい、私はレアを笑顔にしたいのだ。


「だから文字とは戦う! なんとしても今日中に、あの本を読んでみせるとも! 安心して待つがいいぞ」


 拳を突き上げ、私は誓った。


 それを聞いたレアは。


「……なんですか、それ。ふふっ」


 少し呆れたような顔をしながらも、笑ってくれた。


「やっぱり、シャイさんはシャイさんですね。心配して損したかもしれません」

「そうとも、心配には及ばぬ、今に私は……」

「でもシャイさん、そんなにあの本が読みたいなら、ほかにも方法がありますよ」

「む?」


 そうしてレアは、ひとつの提案をしたのだった。





 結局その日、体力的に文字に打ち勝つことは叶わず、戻ってきたルカの母に菓子と茶をいただき、ルカの父と軽くチェスで対決し、そのまま帰った。


 だが……帰った後、私とレアはあの本を読んだ。


 肩を寄せ合い、2人で本を持ち、開く。そして本に書かれている文字を、レアが読み上げる、という方法で。


 私たちは一日中肩を寄せ合って書を楽しみ、充実した休日を過ごしたのだった。

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